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[5]済州島「4・3事件」の評価をめぐって

ケネス・ルオフ ポートランド州立大学教授

 解放後の歴史は紆余曲折をへているので、どの博物館もそれを全部カバーしきれていないようにみえる。だが、何はともあれ、近現代史博物館の第2展示室「韓国の建国」をみていくのが適切だろう。

 この時期は帝国日本の敗北からはじまる。しかし、このころ、朝鮮は第2次世界大戦の侵略者側ではなかったにもかかわらず、ソ連と米国により独断的に2分割された。米国側が導入したこの分割は、ふたつの対立する体制の出現をもたらし、両者は朝鮮半島の支配の正統性をそれぞれ主張することになった。

 それにつづき、1950年6月にはじまった同胞相争う内戦は、朝鮮に多くの破壊をもたらし、国家の統一はついに実現されないまま、1953年の休戦にいたった。こうして、激しい戦争はついに終結を迎えたものの、硬直したイデオロギー的対立が終わることはなかった。

 近現代史博物館は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の出現、朝鮮戦争、休戦後の韓国・北朝鮮間の相互関係も扱っている。北朝鮮にたいして、誇張した表現は用いられていない。キム理事によれば、それは韓国側が政治経済体制の競争に勝利したことを、韓国国民が確信しているためだという。

 とはいえ、1945年から現在までの両国の歴史が、語り尽くされているわけではない。むしろ、同博物館が焦点を当てているのは、韓国のほうである。

 もちろん、韓国の歴史は北朝鮮を抜きにして語ることはできない。しかし、韓国国内の歴史でさえ、紆余曲折に満ちている。それは思想的な抗争から、ひとつの国家の歴史に安直に組みこまれるのを拒絶する地域の物語にまでおよんでいる。

 キム理事と博物館スタッフは、博物館の展示が示しうる以上に、1945年をまたぐ継続性が、やっかいな問題であることに気づいていた。しかし、キム氏はむしろ、その非継続性のほうを強調しようとして、書簡で次のように述べている。

 1945年をまたぐ継続性という問題は、われわれの博物館が注意深く取り扱わなければならない主要テーマです。制度面や人員面において、植民地時代と解放後とのあいだに継続性があるのは疑いもない事実です。あなたのおっしゃるように(その問い合わせは省略)、その継続性は軍や教育制度、警察、経済の分野にもおよんでおり、その分野では植民地時代から人が入れ替わったわけではありません。
 にもかかわらず、私としては、1945年をまたぐ継続性という問題は、制度と人員の両面で判断するだけではいけないと思います。そのほかにも、考慮しなくてはならない重要な要素があります。
 たとえば、日本の抑圧があったにもかかわらず、朝鮮人の精神や民族自尊の念はつづいていたのではないかという点も調べてみる価値があるでしょう。日本の植民地支配の絶頂期に、朝鮮人は朝鮮語(ハングル)ばかりか、みずからの姓を使うことも禁じられました。こうしたことが実施されたのは、日本人が朝鮮人の民族的拠り所や文化を絶滅させようとしたからです。1945年の解放直後に、ハングルはよみがえり、朝鮮人はみずからの母語をふたたび使えるようになりました。
 それが意味するのは、植民地時代からはじまる旧組織や人事制度があったにもかかわらず、またそれが現に社会に浸透していたにもかかわらず、朝鮮人のエートスは死んではいなかったということなのです。言い換えれば、植民地支配に抵抗した人たち、日本の抑圧を堪え忍んできた人たちは、暫定的に妥協をしてきた人たちと分けて考えなければいけないということです。1945年をまたぐ継続性という問題は、あまりにも複雑なので、ひとつの視点からだけで判断はできません。

制憲議会選挙は「歴史の分水嶺」

 植民地時代との非継続性は、継続性と同じように重要である。それは1945年からの距離が広がるにつれて、さらに重要さを増していったといえるだろう。

 たとえば、1945年から1948年まで韓国を支配した在朝鮮米陸軍司令部軍政庁(USAMGIK)は、多くの韓国人から尊大な機関とみられていた。とはいえ、米国人も熱心な伝道ぶりを発揮して、まずは共産主義を壊滅させるために、米国流の民主主義をはじめとする米国流のやり方を韓国に持ちこんだのである。

 それはしばしば地元の実情をかんがみない傲慢なやり方だったかもしれない。それでも米国の監督者は、かれらの軍事的役割を、民主的な選挙で選ばれた(しかし、けっして共産主義的ではない)独立した韓国政府に引き継ごうと努めていた。

 学問的な研究論文においては、解放後の3年間の複雑なできごとをめぐって、いまも問題の整理がつづけられている。それは朝鮮半島とその地域の支配をめぐって競うふたつの体制が確立されるにいたる時期である。

 しかし、38度線以南だけを描く短い物語では、別の可能性はもちろん、抵抗運動や偶発的な出来事もいっさい省略され、その運動や事件が進展するなか、韓国の組織がそれにどう対応していったかについても、ほとんど触れられていない。むしろ、そうした物語は、強固な反共主義者で国家主義者の李承晩大統領が率いる共和国がつくられておしまいとなる。

 李承晩は少なくとも、いちおう自由民主主義の立場をとっているとみられていた。李承晩政権は、とりわけ北からの侵攻後は米国によって信頼されていたものの、李承晩は必ずしも親米的ではなかった。

 韓国の発足に向けて1948年5月10日におこなわれた制憲議会選挙では、不正投票が横行し、その後の李承晩政権(7月20日、議会により大統領に選出)はしばしば独裁的傾向を呈した。近現代史博物館は、1948年の議会選挙について、どちらかといえば前向きの評価を下しており、こうした選挙は植民地時代にも、いや以前の韓国でもありえなかった民主主義的な経験だったとしている。

 2015年9月に近現代史博物館を訪れるに先だって、私はキム理事に文書で疑問をぶつけていた。それは同博物館のペーパーバックの英語版ガイドブックに、次のようなはっきりとした論評がなされていることにたいしてであった。

 それを見れば、多かれ少なかれ博物館がこうした選挙をどのようにとらえていたかが理解できた。ガイドブックには、「この選挙は韓国の歴史の分水嶺となった。韓国はついに民主国家へと変貌をとげることになったのだ」と記されていたのである。

 近現代史博物館からの書面による返事はこうだった。 ・・・続きを読む
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筆者

ケネス・ルオフ

ケネス・ルオフ ポートランド州立大学教授

1966年、米国ニューヨーク州生まれ。ハーバード大学を卒業、コロンビア大学で博士号を取得。専門は日本近現代史。1994~96年、北海道大学法学部の助手・講師をつとめる。2004年、大佛次郎論壇賞受賞。現在、オレゴン州のポートランド州立大学教授兼日本研究センター所長。 訳書に『紀元二千六百年――消費と観光のナショナリズム 』(朝日選書、訳・木村剛久)、『国民の天皇――戦後日本の民主主義と天皇制』(岩波現代文庫、監修・高橋紘、訳・木村剛久、福島睦男)。