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[8]韓国と日本の博物館から見える歴史の物語

ケネス・ルオフ ポートランド州立大学教授

 これで韓国の博物館については、すべて評定が言い渡されたことになるだろうか。国の歴史を語る段になると、ほかの自由民主主義国の博物館も、大方が似たりよったりといえるだろう。

 ここで検討してきた博物館は、それぞれ多元的な視点を反映している。それは人口5000万人の国民が期待するものであり、自由民主主義国としての韓国が、現在、オープンに(たいていは)表明しうる視点である。公的資金を受ける博物館は、現在公式に認められた歴史を提供しがちである。とはいえ、民主化以降につくられた韓国の国立博物館のなかには、解放後の独裁的体制を驚くほどあからさまに告発しているものもみられる。

 韓国の(歴史に関する)「博物館風景」を、米国の博物館、あるいはほかの自由民主主義国の博物館風景と比較してみるのも有益かもしれない。米国もまた、ほかの自由民主主義国と同様に、過去に、奴隷制から原爆投下にいたるまで、暗い歴史の一面を経験してきた。

国立の近現代史博物館がない日本

 しかし、ここで私は、日本の博物館風景との簡単な比較をおこなってみたい。というのも、日本は、韓国からすれば、根源的な「他者」にほかならず、その民族性もまるでちがうとされているからである。さらにまた、私はとりわけよく知る国として、日本のさまざまな博物館でフィールドワークをおこなってきたという理由もある。

 とはいえ、前もって言っておきたいことがある。それは、これまでみてきた韓国を含む、ほかの自由民主主義国の博物館の風景と比べて、日本の博物館の歴史分野については、良い面も悪い面もある、と私が評価していることである。

 日本と韓国の博物館で著しく異なるのは、現代史の領域である。日本には、日本の近現代史を全面的に扱う博物館は存在しない。これは国立博物館に事欠かない国においては、奇妙な回避である。千葉県の不便な場所にある国立歴史民俗博物館は、先史時代から現代までの日本の歴史を扱っているが、このことは現代史の部分の取りあげ方が希薄だということを意味している。

 現代史を取り扱う国立博物館が存在しないのは、現代史をどのように語ればよいかについて、国内で激しい論戦があるためだ。率直にいって、こうした近現代史博物館の不在は、帝国主義時代、そしてとりわけアジア・太平洋戦争(1931-45)についてどう考えるかという点について、日本政府が戦後、近隣諸国はいうまでもなく、みずからの国民にたいしても、納得できる見解を示すことができていないことを示している。

似たり寄ったりの独立記念館と遊就館

 東京にもどこにも現代史を扱う国立博物館が存在しないことが、遊就館の価値を高めている。 ・・・続きを読む
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筆者

ケネス・ルオフ

ケネス・ルオフ ポートランド州立大学教授

1966年、米国ニューヨーク州生まれ。ハーバード大学を卒業、コロンビア大学で博士号を取得。専門は日本近現代史。1994~96年、北海道大学法学部の助手・講師をつとめる。2004年、大佛次郎論壇賞受賞。現在、オレゴン州のポートランド州立大学教授兼日本研究センター所長。 訳書に『紀元二千六百年――消費と観光のナショナリズム 』(朝日選書、訳・木村剛久)、『国民の天皇――戦後日本の民主主義と天皇制』(岩波現代文庫、監修・高橋紘、訳・木村剛久、福島睦男)。