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[4]意見交換のネットワークが「公共圏」

脱「私生活主義」の動きが確実に出てきている

齋藤純一 早稲田大学政治経済学術院教授

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、3月18日に早稲田大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

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「現状への否」はどこに向かうか

 アメリカの政治学者で、ロバート・パットナムという人がいます。『孤独なボウリング』。まさにボウリングを一人でやる、そういうタイトルの本を書いています。あらゆるコミュニティが衰弱している。ただし例外があって、宗教的なコミュニティ、これだけは力が強くなってきている。それ以外の中間集団は、押し並べて力が弱くなってきている。こういう実証的な分析をした本です。それでは、人々が抱いている不安や不満はどのような回路に向かっているのでしょうか?

 「現状への否」の感覚が、どの社会でもだいぶ強くなってきています。自分がいま置かれている状況を肯定できない。そういう感情のあり方を憤懣=resentmentと呼びます。別に現状に不満を抱くことは決して悪いことではない。ウィリアム・コノリーという人の言葉を借りれば、まさにそうした否の感覚こそ、現状とは違ったあり方を社会的に探求しようとする民主的エネルギーの源泉たりうる。しかし、そういう感情が民主的な回路に向かっていくだろうかというと、なかなかそうは言えないところがある。これを私は「逆向きのルサンチマン」とい呼んでいます。ルサンチマンというのは、基本的にニーチェの使い方だと、強者の足を引っ張る、引きずり下ろす。

 対して「逆向きのルサンチマン」は、抵抗力が弱い、叩いても安全な人に対して向けられる。例えば生活保護世帯に対するバッシングがその典型です。不正受給率というのは、2パーセントを超えません。ごくわずかです。ところがメディアでもたびたびクローズアップされるということが起こっている。あるいは官僚や公務員とかですね。叩いても大丈夫だと。いまそうした否定的感情の標的とされているのは、先ほどもお話ししましたが、移民ですね。

 そういう者を叩く政治家にはポピュラーな支持が集まる。トランプもそうですね。大統領になればある程度は抑制は効くのかもしれないけれど、反知性を売りにするわけですからやはり怖いことは怖い。こういう一見強力に見えるリーダーに対する「拍手喝采」型の民意の表明をどうとらえるか。ヴェーバーとかシュミットの言葉を使えば、カエサル主義的な、シーザーに拍手喝采を送ったような、そうしたゆがんだ民主的正統化が起こっている。「現状への否」の感情、これが、悪しきポピュリズムに短絡しがちであることは否定できません。現状打破をそうした方向に短絡させない、いわば拮抗力をどうつくりだしていくことができるかが問われます。

脱クライアント化の動きも

 ただ、そんなに悪いことばかりではないでしょう。市民の脱クライアント化の動きも確実に見えてきているというのが、私の感触です。クライアントというのは、福祉サービスがどれだけ受けられるか。年金がどれだけもらえるかと。あるいは私的な経済的な要求をどれだけ貫徹できるか。そういうことには関心があるけれども、他方で公共的な意見形成にはまるで関心がない。そういう人を福祉国家の「クライアント」と呼びます。「私にちゃんとサービスを与えている限り国家を支持する」、こういう態度です。だんだんそういう私生活志向の条件が失われてきているという客観的な事情があります。

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 とりわけ若い世代においてはこのことが当てはまります。奨学金制度、いまのところは、ごくごく貧弱です。場合によっては500万円、700万円という借金を大学生のあいだにしょい込まざるを得ないとすれば、やはり人生に暗い影を落とすわけですね。就活をしても、この会社に行けば奨学金が返せるからということで、自分の好きな仕事じゃなくても、お金が入りそうな職種を選ぶ、そういう話を聞いたこともあります。とりわけ若い世代においては、私生活主義をやりたくてもやれなくなってきている。そういう現状への否が、制度を具体的にどういう方向に変えていけばいいのかという展望や議論といかに結びつくかが重要でしょう。

 これが現状だと思います。一方でそういう脱クラアント化の動き、人々がapathyから脱していく動きというのも確実に出てきていると、そういうふうに思います。

 途中ですが、時間ですのでこれで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。
会場:(拍手)。

~質疑応答~

小原隆治(早稲田大学):はい。どうもありがとうございました。これまでの6回の講座と比較しても横文字とカタカナ言葉と、カタカナ人名がすごく多い(笑)。というお話でしたが、それは初耳という人名などは、ザクザクッとはさみで切っていただいて。それで私たちが直面している市民社会の分断、社会経済的な側面での分断、文化的な側面での分断、それを修復する仕組みとしてのデモクラシーのあり方はどう考えたらいいのかという、大筋のところで理解していただき、質疑応答に進んでいただければよいかと思います。

 ずっと話してきてお疲れのところ恐縮なのですが、ちょっと言葉の整理をしていただくといいかなと思います。一つは、デモクラシーの話が続いたあとに、「公共圏」という言葉が出てきて、デモクラシーと「公共圏」という言葉の関係、これが一つ。それからタイトルそのものにありますけど、「公共圏」という言葉自体が、それほどなじみある言葉ではないので、市民社会と公共圏の関係について、少し説明してもらって。

齋藤:はい。「公共圏」というのは、やっぱりハーバーマスが使った言葉がだんだん一般に使われるようになってきたという事情があります。原語ではこういう言葉(Öffentlichkeit)です。また横文字で申し訳ありませんが。開かれた議論の空間、そういう意味です。公共圏というのは何らかの制度でもなく、特定の組織でもない。私たちを間にある情報交換、意見交換の開かれたネットワークを指している。いろんな観点を互いに突き合わせて、例えば性的な少数派がいまの婚姻制度に対して、どういう意見を持っているか。そういったことについて意見の交換を行う。

 公共圏には当然抗争もあります。公共圏相互の媒介があることが重要なわけですけれども、これが切れてくると、あちらは全部ノイズだと、こちらだけがヴォイスだと、そういう切り分けができてきてしまう。「国会の外がうるさい」とだれが言ったのでしたっけ、本気の意思表明を騒音扱いしていましたけど。そうではなくて、お互いの異なったヴォイスを交換し合う、そういうネットワークを広い意味での「公共圏」といいます。

 市民社会というのは、それを市場から区別するなら、さまざまなアソシエーションから成り立っている。アソシエーションはそれぞれ内部の目的をもつけれど、ときに、外部に向けて発信していくということがある。例えば現行制度が、 ・・・続きを読む
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筆者

齋藤純一

齋藤純一(さいとう・じゅんいち) 早稲田大学政治経済学術院教授

早稲田大学政治経済学術院教授。政治理論。著書に『公共性』(岩波書店, 2000年)、『政治と複数性——民主的な公共性にむけて』(岩波書店, 2008年)、 訳書にアーレント『アイヒマン論争』(共訳, みすず書房, 2013年)など。デモクラシー論と平等論の接点に関心がある。

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