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[5]市場を通じた分配での格差が問題

企業の経営者と労働者の所得の開きは大きすぎる

齋藤純一 早稲田大学政治経済学術院教授

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、3月18日に早稲田大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

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~質疑応答~

Q:先生がたぶん質問の時間をいっぱい取ってくださったので、おしりのほうの話が、何だか私、レジュメを読んでもよくわからないので、20番の「おわりに」のところも含めて、まとめて的なお話を少ししていただけるとありがたいのですが。

グローバルに共有されている制度もある

齋藤:先ほど、ナショナルなものの回復によって社会の統合をはかろうとする思潮の話をしました。長い伝統とか固有の文化が引き合いに出される。じゃあだれが固有の伝統を定義するのか。何かあるかないかわからない、ナショナルなもの、そういうものに頼らない社会統合を考えていく必要があるだろうと考えています。いったんそういうものに頼ってしまうと、それにコミットできない人々というのは、二級市民として扱われるようになってしまう。それからこれは私の考えですけれども、市民というのは別に国内にだけいるわけではない。お互いに生活条件を左右するようなそうした制度を共有している人、そしてその制度を変えていくことができる立場にある人々、それを「市民」という言葉で呼ぶ。とすると、国内の制度だけではなくて、グローバルに共有されている制度もある。

 例えば、これはトマス・ポッゲという人が強調するわけですが、WTOという貿易その他に関する取り決めを左右する制度がある。こういう制度を通じて私たちはグローバルな貧困を引き起こしている、と彼は言います。年間1800万人が貧困が原因となって死んでいく。これは国外だから関係ないかというと、そういうわけではないでしょう。私たちが影響力を行使できる制度によって、そうした貧困関連死が引き起こされているとすれば、私たちは市民として、それに対して責任を負っている。こういうふうに考える。ですから、市民は国内に閉じるわけではない。

熟議には誇るべき成果がある

齋藤:それから最後にお話ししたことの関連でもう少し。正当化の理由を検討する熟議っていうのは、即効性はないかもしれない。でもこれをずっと私たちはやってきている。断続的にやってきていて、その成果もそれなりに出ている。これはやはり誇るべき成果であって、やがては性的少数者に対する制度的な差別というものをなくす、「やがては」ではないですね、いまそうなってきている。そういう差別的な制度は不正義であるという、そうした規範的な判断が定着してきている。ハラスメントというのもだいぶ定着してきた。まあ大学にいるといろんなことがあって……これ以上言うのはやめますけど。(会場・笑)。だいぶ時間も取られます(笑)。ハラスメントによって、身近な権力関係を問うこともだいぶ定着してきた。

 じゃあ熟議だけで行けるかっていうと、そんなことはもちろんありません。政治学者の中には、選挙で委任したら、次の選挙まで市民はあれこれ言うなというひともいます。あとで、もしダメだったら、政党や政府のパフォーマンスが悪かったら、次の選挙のときにダメ出しをすればいい、こういうことを言う有力な政治学者もいます。

 でも、そうはいきません。そのあいだに様々な重要政策が実際には推し進められる。そういうときには熟議と並行して、countervailing=拮抗力、対抗力、カウンターをつくっていくことも大事になる。デモであったり、オキュパイであったり、様々な形でカウンターの意思表明をしていくことが必要になる。それによってまた熟議が喚起される。ということで、理由の検討だけを地道にやりましょうという話ではない。これも先ほど言いましたが、議会だけが代表ではない。いろんな代表の形態がある。市民の意思を正統に代表するのは議会ですけれども、あるいは直接投票ですけれども、いろいろな意見や観点を私たちは代表することができる。直接行動を含めてあの手この手で代表することができる。

貧困と格差の問題

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齋藤:貧困と不平等についても少し補足します。貧困が解消されれば格差は許容されるのかという問題です。また横文字(decent minimum)を書いてしまいました(笑)。憲法25条は、「健康で文化的な最低限度の生活水準」と規定していますから、このディーセント・ミニマムを求めています。リバーテリアンのハイエクも、「金のないやつは死ね」とか、そういうことは言わない。生存レベルでのミニマムは保障すべきである。それ以上のまともなミニマム、つまり健康で文化的なソーシャル・ミニマムを国家は保障する。こういうミニマムがあれば、あとは公正な競争の条件があればいい。いくら格差が開こうと、構わない。ソーシャル・ミニマムがある程度以上のレベルであって、「用意ドン」とスタートするところがフェアであれば、あとはどんな帰結が生じようと構わない。こういう議論をする方もいる。これを私たちは受け入れていいのかどうか。

 いま、企業の経営者と労働者の所得の開きは優に100倍を越えている場合がある。こんな開きが必要なのか。また「労働分配率」という言葉があります。企業の収益をどう分配していくか。株主への配当、内部留保、経営者への報酬。そして一般の労働者に対する報酬。この最後のものを労働分配率と言います。これが企業の業績が回復しても、全然増えない。実質賃金はこの4年間低下しています。96、97年あたりを転機に、所得は減少するわ、社会保障は後退するわ、さらには雇用保障も後退するわ。総じてソーシャルセキリュティは低下してきている。そういうときに、どれだけの格差があっても構わないと、本当に言えるのだろうか。私は、先ほどお話ししたように、一定以上の格差は、市民の間の対等な関係を損なわずにはいないと考えています。

当初分配での格差をコントロールすべき

齋藤:再分配機能が日本においては弱いということをお話ししましたけれども、実はやはり当初分配、国家を通じた再分配以前の当初分配、つまり市場を通じた分配にも問題がある。当初は分配を私たちは自然なものと考えますけども、そうではないわけですね。給料をどれだけもらうか、なかなか自分の力が及ばないので、みんな当たり前だと思うんですが、そういうわけではない。収益がどれだけ労働者に対して分配されているのか。最低賃金規制によっても当初分配は変化します。当初分配のあり方も自明視せずに、制度を通じてコントロールしていく必要があると思います。

 これは「違う」と言う人がいるかもしれません。満足できるセーフティーネットがあれば、あとはフェアな競争があればいい。そういう考え方に対して、私は、 ・・・続きを読む
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筆者

齋藤純一

齋藤純一(さいとう・じゅんいち) 早稲田大学政治経済学術院教授

早稲田大学政治経済学術院教授。政治理論。著書に『公共性』(岩波書店, 2000年)、『政治と複数性——民主的な公共性にむけて』(岩波書店, 2008年)、 訳書にアーレント『アイヒマン論争』(共訳, みすず書房, 2013年)など。デモクラシー論と平等論の接点に関心がある。

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