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[3]メディアの規制の必要性について考える

市場だけに委ねていては、多様な言論が出てくる状況にはない

阪口正二郎 一橋大学大学院法学研究科・教授

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、4月22日に立教大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

拡大講演する阪口正二郎教授

権威主義体制が認める自由

 今のリベラル・デモクラシーにとっては、「表現の自由」というのは、標準装備になっていると言えますが、では権威主義的な体制のもとでは「表現の自由」がないのかというと、必ずしも全面的にないわけではない。権威主義的な体制だって、程度問題で、リベラル・デモクラシーほど保護しないだけで、表現の自由を保護すべき権力側の理由があります。どういう理由かということを考えると、三つぐらいあります。

 一つは、現在の中国を見ているとよくわかりますが、最近、中国では政治を批判する言論が割と許されていますね。ただしこれには限定がかかっています。地方の腐敗についてはどんどん告発してくださって結構です。ただし中央の共産党の一党独裁などを批判することは許さない。これは要するに、中央が地方をコントロールするために、むしろ国民に地方の行政を自由に批判させて、地方の権力を弱めて、中央の権力を強めようという、そういう意味で、ツイッターなどでの批判も認めるようになっている。そういう要素があるだろうと思います。

 それからもう一つは、これは古典的な議論なんですが、「表現の自由」を認めないでどんどん規制していくと、不満というのはどんどん深く地下に沈殿する。それがやがて爆発する。それは何よりも権威主義体制にとって怖い話です。だから限定をつけた範囲内で、ある程度は表現させておいたほうが、まあ「ガス抜き」という言葉をイメージしていただければいいと思いますが、そのほうが安全なのだということがある。

 それから三つめは、体制の正統性を一定程度確保するためにも、やはり「表現の自由」は必要なんだということが考えられる。いくら権威主義体制だからといって、批判を全部抑え込めるほどの力を持っている国は、たぶん将軍様がいる国はそうなのかもしれませんが、中国ぐらいになるとさすがにそれは無理だろうと思います。そうすると、一定の正統性の確保のために、ある範囲内までは、むしろ「『表現の自由』をうちは認めているんだよ」ということを示す可能性が出てきます。

 ただしこれは括弧つきの表現、ある範囲内までの保障となり、中央の権力を脅かすことだけは許さない。でもそれ以外だったら一定の範囲までは「表現の自由」を確保するほうが、むしろ権威主義体制が権威主義体制でありながら生きていける。

規制されない印刷メディア

 それで、ここから放送法の話です。高市発言を理解してもらうために、ということです。

 「表現の自由」というのは、「思想の自由市場論」という議論がはやっているように、市場というイメージで考えられていて、原則、規制はよろしくないというのが、「表現の自由」の一般論です。

 ただし、規制をしてもいいと考えられている分野があります。

拡大講演する阪口正二郎教授
 簡単に言うと、メディアを二つに分けて、印刷メディアについては普通の「表現の自由」で自由にして、規制は最小限にとどめる。他方、放送メディアについては規制をかけるということになっています。だから実は、自由なメディアと規制されるメディアと、現在二元化されているわけです。

 表現の自由の規制には「内容に基づく規制」と「内容中立的な規制」の二種類の規制が考えられます。「表現の自由」の内容に基づいて規制するのはよくないというのが原則です。「内容に基づく規制」というのも、厳密にいうと、「主題に基づく規制」と「観点に基づく規制」に区別できます。一定の主題について規制する、たとえば「イラク戦争について報じることはだめだ」というのが「主題に基づく規制」です。

 一方、イラク戦争について、「イラク戦争に賛成する言論はよいが、反対する言論はダメだ」というふうに、一方の観点のみ規制するのが「観点に基づく規制」です。

 これらの「内容に基づく規制」は印刷メディアについては原則禁止されるべきだと考えられます。どうしてかというと、そういう規制を行うと、言論市場が著しく歪曲されるからです。

 たとえば、ある観点について賛成の言論はいい――たとえばこの自民党の日本国憲法改正草案に賛成の言論はいくらやってもいいが、批判するような立憲デモクラシーの会の講演は一切だめだ、となると、まさに市場には一方の言論しか流れないということになりますから、市場が歪曲されるということになります。

 もう一つ、一方の観点のみ許して、一方の観点のみ規制するというこの「観点に基づく規制」は、大体あやしげな動機が働いています。まさに政府は自分たちを批判されたくないために表現を規制するという、その最たる例です。だから印刷メディアについては「内容に基づく規制」は原則禁止されるべきです。ただし放送メディアについては、そうはなっていません。

放送法の公平原則

 まず現行法の簡単な解説をします。電波法4条というのがまずある。これはたとえば無線局を開設する場合は総務大臣の免許を受けなければならない、ということになっています。今回問題になっているのは、放送法の4条1項という条文、「公正原則」ないしは「公平原則」、どちらでも構わないのですが、そういうものがあります。

 今回問題になっているのは、4条1項の2号と4号、特に2号なんですが、「放送は政治的に公平でなければならない」と書いてあります。それからもう一つは4号。「意見が対立する問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」というのが放送法の規定です。

 これは文字通り、「表現の自由」の内容に基づく規制です。まさに内容が公平でなければいけない。それから多角的にいろいろなものをとらえなくてはいけないという、そういう「内容に基づく規制」を法律自身が肯定しているということです。

 もう一つ、「集中排除原則」というのもあります。これは放送局を複数支配することか禁止されています。つまり放送を独占してはならないということです。こういう規制は普通、印刷メディアにはない規制です。先ほど言ったように、印刷メディアについては、原則、表現の「内容に基づく規制」はしてはいけないということになっているのですが、それを放送メディアならしてもいいというのが、現在の日本の法制度です。あとでお話ししますが、多くのヨーロッパやアメリカの法制度もこれに近い。

 その上で最後に、電波法76条で、放送法4条1項に反する場合には、場合によっては電波を停止する権限を総務大臣は持っている、としている。今回の高市さんはこれで脅しをかけてきたんですね。4条1項の「公平原則」を守らなければ電波法76条で電波を止めるぞ、そういう話です。

なぜ放送を規制するのか

 ではなぜ原則自由な印刷メディアは規制できないのに、放送メディアのみ規制していいのか。

 伝統的な根拠がありました。一つはよく言われることですが、 ・・・続きを読む
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筆者

阪口正二郎

阪口正二郎(さかぐち・しょうじろう) 一橋大学大学院法学研究科・教授

1960年兵庫県西宮市生まれ。 1989年3月 早稲田大学大学院法学研究科単位取得退学。 東京大学社会科学研究所助手、同助教授、一橋大学大学院法学研究科助教授を経て、 2001年4月より一橋大学大学院法学研究科教授。 専攻は、憲法学、比較憲法学。 主要な著作として、『立憲主義と民主主義』(日本評論社、2001年)、『ケースブック憲法』(弘文堂、2004年)、『改憲は必要か』(岩波新書、2004年)、『神の法vs.人の法』(日本評論社、2007年)、『岩波講座憲法5 グローバル化と憲法』(岩波書店、2007年)、『自由への問い3 公共性』(岩波書店、2010年)、『新基本法コンメンタール憲法』(日本評論社、2011年)などがある。

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