改憲を求める宗教的理由
2016年09月16日
この夏の参院選の結果により、日本政治は改憲の発議が可能な状態になった。その過程の中で大きく注目を集めるようになってきたのが、安倍内閣を支える宗教的・政治的運動である。特に日本会議が注目を浴び、その実態を探究した本が多数刊行され、ベストセラーにもなっている。
それらの本では、ある神道系宗教団体(生長の家)の元信者たちやそれを中心にした事務局(日本青年協議会)の大きな役割が強調されていることが多い。ただこれらの人々の戦略的な意味は重要でも、動員できる人数や資金の点では限定されている。量的な規模において大きな役割を果たしているのは、やはり神社界である。ところがその政治運動に関しては詳しい本がなく、死角になっている。
初詣の署名について私はメディアの取材も受け、本サイトで「神社が改憲運動をしていいのか(上・中・下)」を書いた。
神社が改憲運動をしていいのか(上)――「宗教の公共性」に照らして考える
神社が改憲運動をしていいのか(中)――改憲を主張するなら宗教的理由を説明すべきだ
神社が改憲運動をしていいのか(下)――追求すべき「公共神道」への道
この度、それがきっかけになって拙著『神社と政治』(角川新書)が刊行された。幸運にも全国都道府県の神社庁の中で、もっとも積極的に署名運動を行った東京都神社庁の庁長のインタビューも掲載することができた。
そこで、「神社が改憲運動をしていいのか」で問題提起を行った中心的論点について、探究の結果としてわかったことを簡単に述べてみよう。
上記の拙文では、改憲署名を神社が行うこと自体は政教分離に反しないと述べた。今の神社は国家から独立した民間の宗教法人なので、他の宗教団体と同じように政治活動の自由もあるからだ。ただ神社界の政治活動には世俗的な政治的ナショナリズムのような主張が中心になっているので、その宗教的論理が不明確である。そこで神社界にはそれを明確にする公共的責任があると論じた。
日本会議についての書籍においては、昨年(2015年)の安保法「成立」や自民党の改憲案とあわせて捉えて、このような活動は「戦前回帰」につながるという批判がなされている。実際には神社界にも考え方に多様性がある。それでも改憲を求める声が大きいのは確かだ。
改憲問題の焦点は何よりも安全保障問題、特に憲法第9条にあると考えるのが普通だろう。もちろん神社界でもこの点も含めて改憲を主張する人がいる。けれども逆に「9条は守るべきだ」としつつ、積極的に改憲を主張する神職もいるのである。なぜだろうか。
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