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 「今年に入ってからテロが頻発し……」といった台詞が枕詞となり、事件の映像が流れる報道番組を目にした方も多いのではないだろうか。フランスでのテロや、アメリカでの銃乱射を伴うテロ、あるいは日本人を含めた多くの民間人が犠牲になったバングラディシュでのテロ等々、無辜(むこ)の人々が犠牲になったとの報せは耳にするたび、胸が痛む。

 そうした悲劇は、衝撃の大きさ故に強い影響力を見せる。それが端的に表れているのが、テロを契機として、これまで覆い隠されてきた偏見などの負の感情が世に出てしまう事例である。

 こういった反応は、テロが市民に与えた被害にもまして、深刻な形で社会全体の安定を損なわせる。「自由で平和な社会を守らなければならない」という掛け声の下、テロに向き合ううちにその社会自体が閉塞感を強め、対立を深めるという自家撞着を起こしているのである。

 筆者は研究上、各国のテロの現場を歩き、人々の声に耳を傾けることが多いのであるが、それを繰り返すうちに、テロに止(とど)まらず、多くの社会問題や政治課題において他者を受け入れず、寛容的でない感情が社会に滞留していることに気づいた。

 そして、そうした感情に注視を続けていると、多くの問題の根本が、澱(おり)のように人々の心に巣食う「怒り」であることが見えてきたのである。この連載では、その本質や概要を辿っていくが、第1回となる本稿では近年のテロが映し出した社会の変化を明らかにしていく。

移民排斥、続発するテロ、暴力への対抗……

 昨年(2015)11月に発生したパリ同時多発テロ後、フランスのオランド大統領はテロ活動に関与して有罪となった二重国籍者の国籍剥奪を盛り込んだ改憲案や、犯行を表明した「イスラム国」への空爆強化を進めることを明らかにした。

フランス国民戦線のルペン党首をオーストリア国旗を振って歓迎する人々201606拡大オーストリアを訪れたフランス国民戦線のルペン党首がウィーンで熱狂的に歓迎された=2016年6月
 そうした反応は、フランス国内においてイスラム教徒への反発を誘発することとなる。具体的には、テロ直後の州議会議員選挙で極右政党「国民戦線」が移民排斥を掲げて広範な支持を獲得し、ヘイトクライム(憎悪に基づく犯罪)も多く発生したのである。

 偏見や憎悪の矢面に立たされた中東出身者の中で、2015年以降、特に注目を集めたのが100万人以上にのぼるシリアからの難民である。彼らの流入に対して、当初はその悲惨な状況からヨーロッパにおいて受け入れの気運が高まったものの、中東出身者によるテロなどの犯罪がたびたび報道されるにつれて、彼らを拒否する動きが広がり、排斥の動きも見られるようになった。

 難民の目的地として、最もよく挙げられるドイツにおいても、フランスと同様に反難民を掲げる極右政党「ドイツのための選択肢」が本年3月の地方選挙において躍進し、難民の宿泊が予定されていたホテルへの放火といったヘイトクライムも見られた。

 また、アメリカにおいても、6月にフロリダ州オーランドの同性愛者の集まるナイトクラブにて、「イスラム国」への忠誠を公言した米国籍を有するアフガニスタン系移民2世による銃乱射テロが起きている。その事件は、アメリカ国内で過去に発生した銃乱射事件の中でも最多の犠牲者を出した。

 そうした暴力に対抗するため、アメリカでは事件後、殺傷能力の高い銃が飛ぶように売れ、ある銃器メーカーの株価は前週比で10%以上の伸びを見せた。そして、大統領選の共和党候補となったドナルド・トランプ氏は、この事件を受けて銃規制に反対すると共に、犯人の発言や背景を踏まえ、自らが唱えるイスラム教徒の入国禁止政策の必要性を改めて強調したのである。

攻撃行動を採るか、理性的に対応するか

 そうした各国の反応を見ていると、現在、「テロが何を生み出すのか」という点に、一般に考えられているものと違いが生じているように感じられる。テロは英語でterrorismであり、terror(恐怖)とism(主義)との概念が掛け合った言葉である。つまり、攻撃対象や構成員に恐怖を与えることで、自らの主義主張を通そうとする行動がテロとされてきた。

 しかし、現在テロは社会に恐怖を与えるというよりも、「怒り」を社会全体へ広げ、対立を助長している。テロを受けて、本来は冷静さを見せるべき各国首脳も、会見の場などで「憤り」や「報い」といった文言を用いることが少なくない。

 ここで、改めて「怒り」とは何かを捉え直す必要があろう。心理学の世界では、怒りは欲求が満たされなかった時に、その阻害要因に対して生じるものとされている。そして、怒りは攻撃を伴うことが多いとされ、自分の所有空間に他の個体が進入しようとすると、それを阻止しようとして生まれるとしている(中島義明ら編『心理学辞典』有斐閣より)。ただし、攻撃行動は必須の要件ではなく、他者への怒りに対して、冷静な対話や第三者との相談等によって解消が目指されることもある。

 その選択を巡って分かれ道となるのは、怒りを感じた者が置かれた文化、関係性、経験値等である。つまり、「社会がその怒りに対して、どのような行動を採ることを是とするのか」という問いへの主だった回答によって、怒りを有した人が攻撃行動を採るのか、理性的に対応するのかの選択が変わってくるのである。

 そうした見方を現在の国際情勢に透かして見れば、政治家らが他者への拒否感や自らの欲求等を公然と表明し、それを社会が支持している状況と極めて類似していることが分かる。ただし、歴史を振り返れば、第二次世界大戦以降、世界は怒りや支配欲求に対して、理念で対処すべきとの認識を定着させてきた。感情に流されず、人権や人道、民主主義といった概念に沿うことが成熟した国家の採るべき道であり、そうした理念に基づいて、様々な国際条約も整備されてきたのである。

 そこには、帝国主義に基づく領土獲得競争、差別や偏見を起源とする非人道的行為などにより、多大な犠牲を生んでしまった歴史への反省があった。換言すれば、主権の平等、民主主義、人権といった概念は理想論ではなく、億単位の惨禍を回避するための現実的な手段であった。

葛藤の中にある国際社会

 しかし、現在ではあからさまに怒りや欲求を表明し、それを行動に移す場合が各所で増えてきている。中国の南シナ海における海洋政策や、ロシアによるクリミア併合といった国際法を無視した行為、あるいは前掲の難民やテロに対する感情的な対応、トランプ氏の共和党大統領候補指名の獲得といった動きは、それを支持する社会の存在なしには成り立たない。つまり、多少のぶれはありつつも、20世紀後半、理性的な行為を採るように努めてきた国際社会は変化の時期を迎えているのである。

 ただし、そうした怒りに基づく行動を是認する傾向は、全面的な支持を受けている訳ではない。先のフランスのオランド大統領が示した改憲案も結局、今年3月に市民の反対により否決された。また、年明け以降、難民や亡命希望者による各種の事件が連続したドイツでは、難民受け入れに難色を示す姿勢が高まったものの、メルケル首相は「地域社会の連帯感を損ない、開かれた社会の在り方や、助けを必要とする人を助ける意欲を損わせようとする犯人らの姿勢に対して、我々はそれを断固としてはねつける」と述べ、難民受け入れ政策を転換しない姿勢を明らかにしている。

 その意味で、国際社会は、かつてのように単純な領土的欲求や排他的な意識に従って政策決定を行うのか、理性的な道を選択するのかの葛藤の中にある。それは別に「政府は強権的で、市民が民主主義や平和を守ろうとしている」との単純な構図ではない。隣国である独仏の今年に入ってからの動向を見ても、それは明らかであろう。

 もちろん、多くの国が民主主義を採る以上、市民が過去から学び、自らが選ぶ政治家の判断を規定していくことが本来の道である。テロが引き起こす怒りと暴力の連鎖に対して、それを止める理性を社会が保てるのか、あるいはそこに身を投げてしまうのか。国際社会に生きる我々は、今、その選択を迫られている。 (つづく)


筆者

金恵京

金恵京(きむ・へぎょん) 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

国際法学者。日本大学危機管理学部准教授、早稲田大学博士(国際関係学専攻)。1975年ソウル生まれ。幼い頃より日本への関心が強く、1996年に明治大学法学部入学。2000年に卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程に入学、博士後期課程で国際法によるテロリズム規制を研究。2005年、アメリカに渡り、ローファームMorrison & Foester勤務を経て、ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学東アジア学部客員教授を歴任。2012年より日本に戻り、明治大学法学部助教、日本大学総合科学研究所准教授を経て現在に至る。著書に、『テロ防止策の研究――国際法の現状及び将来への提言』(早稲田大学出版部、2011)、『涙と花札――韓流と日流のあいだで』(新潮社、2012)、『風に舞う一葉――身近な日韓友好のすすめ』(第三文明社、2015)、『柔らかな海峡――日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル、2015)、最新刊に『無差別テロ――国際社会はどう対処すればよいか』(岩波書店、2016)。

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