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[5]「政治的公平」はメディアが自主的に判断を

 放送法の規定は倫理規範でいい

阪口正二郎 一橋大学大学院法学研究科・教授

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、4月22日に立教大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページhttp://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

拡大講演する阪口正二郎教授

昭和天皇の死去で見えたもの

 このあいだ、立憲デモクラシーの講座にも登壇された有名な憲法学者の先生とあるところで話をしていて、偶然、同じ経験をしたのだということを感じました。それは何かというと、昭和天皇が亡くなったときです。あの事件が起きるまでは、私たちより上の世代の大先生が、いろいろな時にしょっちゅう、「日本は戦前に戻るぞ」とおっしゃっていた。でも、それはいくらなんでもないんじゃないか、ナンセンスだと私は思っていました。私は1960年生まれですから、経済成長の中で育ったということもあります。「日本がそんなに元に戻ることはないんじゃないか。何を言ってるんだろう、この人たちは」と思っていました(笑)。

 しかし、昭和天皇が死んだときに、「自粛」という事態がおきました。「自粛」と名を借りていますが、おそらく「自粛」なんてものはないですよ。自分で本当に判断していたのではなくて、他の人がやめるからやめる、「他粛」です。それが一斉に起こり、日本社会が一色に染まったのです。メディアも全部そうでした。

 それ自体はたぶん、東日本大震災のときのACの訳のわからないコマーシャルが一斉にテレビの画面を支配したのと同じことです。「日本の絆」とか、ちょっと怖くなるようなことを言われて。自民党改憲草案の先取りか、みたいな感じがしましたが。

 それを見たときに、あっ、ひょっとしたら、日本社会がデモクラシーになっていると過剰評価をしていたのではないか、と反省しました。自分は間違っていて、「日本は危ない国に戻るかもしれないぞ」と言われた先生方を見直しました。僕と話をしたその憲法学者の方も、同じことを言っていました。あの昭和天皇死去の時の自粛ムードによって、日本社会を自分たちがどう見るべきかということを改めて教えられたのだと思います。

 それで、現在また同じような事態が起こっている。第一、安倍さんみたいな人がこんな草案を出してきて、堂々とやっていられる、そういう社会ですから実に怖い社会です。あの時、自分の認識を変えたことは間違っていなかった。まあ、さすがに戦前まで行くとは思いません。せいぜい先ほど言った、権威主義体制の「表現の自由」くらいになるのではないかと思いますが・・・そこに行く可能性はないわけじゃないというふうに、私はまじめに心配しています。

国策として生まれた放送メディア

西谷修(立教大学):阪口さん、ありがとうございました。ざっと振り返っておくと、現在の改憲の動き、2012年の自民党の改憲草案は基本的にどういうものかというと、現行憲法が掲げている価値をすべて否定するような形の、そして明治憲法より質の悪いような方向を持っている。そういうことを考えあわせながら、とりわけ最近問題になるメディア規制や言論の自由に関して問題を具体的に憲法条項や現在ある放送法に照らし合わせてみると、どういう問題があるのかという解説をいただきました。

 話を聞いていて、私も気がついたことがあります。新聞メディア、活字メディアというのは、基本的に、フランス革命を契機に広がるわけです。新聞というのは、基本的に民間から始まります。誰でも印刷機を確保して、いろんなことをすぐに自分で文章を書いて、配布すればできる。

 ところが放送メディアというのは、国家主導で始まります。というのは、テクノロジーが基盤になります。電波がなければいけないし、電波で配信するために、ものすごいインフラがいります。大体は国家事業として始まるんですね。だから国家の権力が強いところでは、初めからこれは宣伝の道具として使われる。ドイツの例であり、日本もそうです。でもその一方、イギリスでもアメリカでも、初めは国家事業として行われるけれども、それが株式会社化された社会の中にだんだん開放されていくことになります。

 例えばイギリスなどは圧倒的に報道メディアが発達しているんですが、どうしてかというと、植民地帝国だったからです。全世界の情報を集めなければならないし、自分たちにとって良い情報を全世界に広めなくてはならなかった。19世紀半ばからロイターという通信社ができて、BBCができますね。国策事業としてやる。そういうことがあって、放送は、やはり国家から権利を認証してもらう形で事業をやります。だから規制とどうしても切れないんですね。

いろいろな論点を言った上で、放送局が立場を選びとるのは自由だ

拡大講演する阪口正二郎教授
阪口:ちょっと一点だけ補足してもいいですか?

 立憲デモクラシーの会でこの放送法の記者会見をしたときに、最初に申し上げたんですが、放送に政治権力がダイレクトに介入するという、いかに今回のことが異常かということがわかる例として、クーデターを考えてください。クーデターを起こす勢力がまずどこを掌握するかというと、軍と放送局です。それだけ放送局というのは大きな影響力を持っている。それを奪いたいというのが一つです。

 それからもう一つ、先ほど、放送法4条の政治的公平ということを言いました。これはいろんな方が誤解されているんですが、政治的公平なんだから、偏向したメディアがあったら規制を受けるのは当然だろうと。しかし、そこでいう「偏向」は、相当に限られた場合しか偏向とは言いません。というのは、たとえば先ほど言ったように、問題について多様な観点をまず情報として流す。流した上で放送局が一つの立場を取るのは当然なんです。それをもし偏っていると言うなら、NHK一つで十分なはずです。放送局はいりません。一個だけでいいはずですね。

 公平というのは、すべての問題を同じように扱うということではない。いろいろな論点を言った上で、放送局が立場を選びとるのは自由だということです。

~質疑応答~

Q:「放送法の遵守を求める市民の会」というのがありますが、ああいう動きに対して、どうやって闘ったらよいのか、いい方法があったら教えていただければと思います。

阪口:一言で言うと、残念ながらいい方法はなかなかありません。ただ、あの人たちが言っている「政治的公平」というのは、自分たちにとって少しでも偏っていたら公平ではない、ということです。最後に放送局がどちらかの立場を支持したら、もうそれで公平ではないのだということなので、それは「政治的公平」の理解としては間違っているということを言い続けるしかないです。

スポンサーの「他律」の判断が怖い

Q:「放送法の遵守を求める市民の会」は、スポンサーを引き上げると、スポンサーに脅しをかけるということを言っていますが、あれは業務妨害とか、何か法律、刑法に触れるんじゃないかという気がするんですが、いかがでしょうか?

阪口:なかなかそこを巧妙にやっているんですよ、ダイレクトに営業妨害とかにはならないように。スポンサーになる自由があるので、気に入らなかったらやめるというのはなかなか法律的にはダメだとは言えない。ただ、スポンサーが本当に自分で決めたのか。さっき言ったまさに「自粛」と同じなわけです。どこか力の強いところが「こうしよう」と言ったら、違うことをして怒られたら嫌だから、自分もここでスポンサー降りようみたいな。それが一番私は怖いのだと思います。まさに自律した判断じゃなくて、他律の判断で、とにかく自分だけ目立つのはやめようと。

Q:2点お伺いしたいことがあります。まず第1点は、普遍性からの訣別ということだったんですが、これには重大な背景があると思うんです。つまり普遍性からの訣別ということは、普遍的価値の否定、そうなる背景には反知性主義、反理性主義、つまり思想の欠落があって、そのかわりにあるものは、独善的、情緒的な価値判断というイデオロギーの構造。つまりイデオロギーはあるが思想はない。そういう反理性主義という意味があるんじゃないかと思うのがまず第1点。

 第2点は、先ほどの放送メディアの公正原則です。そもそも論なんですが、はたして国家が決めることなのかどうかというのが私は疑問なんです。これは国家が決めることじゃないですよね? 政治的に公平なのかというのは、当事者の批判によって担保されて確保されるのであって、もし仮に国家にそれを許したら、批判を封じることになってしまうと思うんですが、以上2点について、うかがいたい。

阪口:1点目も2点目もおっしゃる通りです。1点目はよく言われるように、最近の改憲論の背景には反知性主義というものがあります。どうも安倍さんのお取り巻きの人たちは学者とか面倒くさいやつは嫌いだと。安部さんが大好きな学者(「お友だち学者?」)だけは取り込んでいるみたいですが(笑)。

 それからもう一つ、第2点のほうも、私は政治的公平というのはあってもいいんだけれども、それはメディアが自主的に判断すべきだと考えています。倫理規範でいいと。メディアが自分で公平にやろうとして、それでやるということはあったほうがいいとは思いますが。法的に何かどこかが決めるというのは、 ・・・続きを読む
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筆者

阪口正二郎

阪口正二郎(さかぐち・しょうじろう) 一橋大学大学院法学研究科・教授

1960年兵庫県西宮市生まれ。 1989年3月 早稲田大学大学院法学研究科単位取得退学。 東京大学社会科学研究所助手、同助教授、一橋大学大学院法学研究科助教授を経て、 2001年4月より一橋大学大学院法学研究科教授。 専攻は、憲法学、比較憲法学。 主要な著作として、『立憲主義と民主主義』(日本評論社、2001年)、『ケースブック憲法』(弘文堂、2004年)、『改憲は必要か』(岩波新書、2004年)、『神の法vs.人の法』(日本評論社、2007年)、『岩波講座憲法5 グローバル化と憲法』(岩波書店、2007年)、『自由への問い3 公共性』(岩波書店、2010年)、『新基本法コンメンタール憲法』(日本評論社、2011年)などがある。

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