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権力を持った側がやってはいけないことがある

安倍政権のメディア戦略を問う 牧原秀樹自民党前副幹事長VS水島宏明上智大学教授 

松本一弥 朝日新聞夕刊企画編集長、Journalist


安倍政権のメディア戦略を問う

牧原秀樹・自民党国対副委員長兼ネットメディア局次長、前副幹事長 VS 水島宏明・上智大学教授 VS 松本一弥・朝日新聞WEBRONZA編集長

水島宏明さん水島宏明さん
牧原秀樹さん牧原秀樹さん

松本 政治とメディアの関係がここ数年かなり変化してきています。自民党は例えば2014年11月に在京テレビ局に対し、選挙期間中の報道内容についての詳細な「お願い」を文書で直接要請しました。あのケースにみられたように、報道の側からすると、「圧力」や「介入」と感じられるような政治家の言動がそう珍しいことではなくなっているからです。この傾向はとりわけ第2次安倍政権以降において顕著ではないかと思います。

 同時に、政治の側によるテレビ報道の徹底的なモニタリングや、ツイッターを始めとするソーシャルメディア上のネット言説を対象にした監視・分析といったことも、もはや「あたりまえ」の光景になっています。

 報道現場で働く人たちの話を実際に聞いてみると、そうした政治の側の変化に伴い、メディアの側でも例えばテレビ番組などを作る過程で政治家に対する「忖度(そんたく)」が時に働いたり、萎縮的な反応が出たりもしているようです。戦後、いく度となく問われてきた報道や表現の自由の問題が改めて問われているといえますが、その一方でメディアの分断状況が進む中、「政治VSメディア」という問題に対する人々の関心は一般に薄く、そこを政治の側につけ込まれている印象もあります。

 とはいえ、政治の側とメディアの側、ないしはメディア研究者の側が互いに自分のまわりに「壁」をめぐらせ、壁の内側から相手を激しく批判し合うというだけではあまりにも紋切り型の対応で生産性を欠きます。緊張関係や緊張感は保ちつつ、むしろ政治の内部に向けて、ゆるやかな対話の「通路」や「回路」を切り開きたい、そんな思いから今回の対談を設定しました。

 今日は、ネット戦略を始めとする情報戦略に早くから取り組んできた自民党を代表して、国会対策委員会副委員長兼ネットメディア局次長で、前副幹事長、そして前青年局長でもある牧原秀樹さんと、上智大学教授の水島宏明さんとともに、「安倍政権のメディア戦略」を軸に議論をしていきたいと思います。まず最初に、牧原さんには2016年の参院選を振り返ってもらいつつ、「今回、自民党は具体的にどのような取り組みをしたのか」についてお話しいただければと思います。

今までのやり方は通用しなくなった

牧原秀樹さん牧原秀樹さん

牧原 18歳選挙権については青年局長として直接の責任者でしたので、この点から申し上げたいと思います。

 私たちが大変苦労したのは、この若者世代というのはかなり多くの人が新聞を読んでいないし、テレビを見ていないということなんです。では彼らがどこから情報を得ているかというと、ほぼスマートフォンからです。ニュースも、ヤフーニュースなどのネットニュースを見ている。

 そうすると、自民党がこれまでやってきたやり方というのはまったく通じないわけです。ですから、基本的には私たちもネットによる発信をまず第一に考えました。

 それで、例えば自民党の青年局のホームページをスマホ対応にしたり、コンテンツについても「スマホで見る」という前提で作ったりしました。自民党の政策を訴える中に「あべぴょん」というちょっと面白いゲームみたいなアプリを入れてみたり、選挙戦の最後のほうは、動画でかつわかりやすい、内容をコンパクトにまとめた施策の説明をアップしたりという形で、「若者はネットでニュースを見るんだ」という前提での情報発信を相当しっかり考えました。

自民党は「原点回帰」した

水島宏明さん水島宏明さん

牧原 ただ同時に、これとは一見すると矛盾するようですが、直接触れ合う機会をとにかく増やすということにも積極的に取り組みました。

 これは実は、参院選で私たちが一番力を入れたところです。自民党の青年局の一番の強みは、全国隅々まで青年局のメンバーがいるということですので、「必ず若者と接点を持って、直接接してくれ」という話を彼らにしました。

 選挙のビラも受け取らない、政治のニュースなんて全然見ない、新聞も取らない、テレビも見ない、見てもいわゆる政治ネタのようなものは一切関心がない、こういう人たちが大多数であるとすると、直接触れ合う以外の伝達手段がありませんので、初めからそういう前提を置いて、直接触れ合うということにすごく取り組んだということです。いってみれば原点回帰ですね。

スマホに対応するため、1分半で情報発信

牧原秀樹さん牧原秀樹さん

牧原 ネット戦略やテレビ戦略については、私は直接担当であったわけではありません。ただネットについては自民党が野党だった時代に、自民党本部1階の喫茶室に特設スタジオ「カフェスタ」というものを作り、自民党の「今」を動画で配信してきました。

 自民党公認の「ネットサポーターズクラブ」というものもあって、彼らが各地でビラ配りをしたりしてくれて多大な力もいただいています。

 ネットの場合は、ネットサーフィンで私たちのところにやって来る方に対して、非常にわかりやすいコンテンツを並べるということが大事です。

 昔はパソコンで動画を長々と見てくれたんですが、今は特にスマホ全盛で、だいたい1分半ぐらいしか見てくれない。そこでそのぐらいの時間できちんと情報を発信する、ということに重点を置きました。

 ネット戦略で難しいのは、見る人が固定化することなんですね。例えば「カフェスタ」に安倍首相が出演しても、見ている人は1万人ぐらいで、いつも同じ人なんです。広がりをつくるのがすごく難しいという限界を私たちは感じていて、これはブレークスルーできていない、一つの大きな難しい課題です。

 今回の参院選では、全国公募で、ネットだけで選んだ人を1人出したんです。「全国比例で1人出しますよ」とネットで公募して、30人ぐらいの候補者が来ました。その人たちにはネットで所信表明をしてもらい、最後はネットで投票して決めたんですが、そうやって選んだ候補者なのに、結果的にはビリになってしまいました。

 というわけで、「ネットで支持を得るというのはなかなか難しい」というのが結論ですね。

選挙でのネット戦略は縮小傾向に

松本 最近、『情報参謀』という面白い新書がでました(講談社現代新書)。日経ベンチャー編集長などを務めた小口日出彦さんが書かれた本です。小口さんは2009年の衆院選で自民党が下野して以降、自民党のメディア戦略の参謀の一人として取り組みにコミットされたそうで、その中身がいろいろ書かれています。

 「クチコミ@総選挙2009」といった複数の企業や組織から成るチームを立ち上げ、そこでテレビ報道を24時間365日チェックしたり、インターネット上のブログや掲示板の書き込み、拡散の仕方などの情報を大量にデータとして集め、そのデータを数理モデルにあてはめて全国300小選挙区の得票率予測にもチャレンジしたりーーといったことなどが具体的に紹介されています。

 2010年には「情報分析会議」が「コミュニケーション選挙対策会議」に衣がえしてバージョンアップしていく場面なども活写されていますが、当事者として、当時の実態はどんな感じだったのでしょうか?

牧原 実は私もその会議に参加していたのですが、正直、今回の参院選ではそうした取り組みは縮小傾向にあったというのが実態だと思います。もちろん選挙の時にはネット動向等はチェックしていたのですが、以前ほどそこにお金と時間を使うことはありませんでした。

 何しろ、自民党が野党のころは何をやってもマスメディアにはまったく取り上げてもらえず、映らないという自民党が初めて抱える悩みがあったので、先ほどご説明した「カフェスタ」を作ったりしてどうやってプレゼンス(存在感)を高めていこうかと試行錯誤したわけです。そんな中、いろいろな専門家にも自民党に来ていただいて具体的にアドバイスをもらってきたという経緯がありました。

 自民党が与党になってからは、テレビやネットについて引き続きいろいろなデータはいただいていますが、はたしてそれが選挙の時の票にどれぐらいつながるのか? という疑問がかなり出てきた。そこにかける予算と得られる効果を考えたときに、党の幹部のほうでも非常に疑問視される方がいたりして、今回、そういう戦略の立て方は縮小傾向にあったというのが私の認識です。

松本 その分、直接触れ合うことに力を入れた、と。

牧原 ええ。正攻法で、以前からやってきた車座集会みたいなものに力を入れたということです。どんなに遠い所であっても、あるいは人数が少なくても、現実にその場に足を運んでお話をうかがうとか街頭演説をするとか、そういうところにシンプルに力を入れたわけです。

 そして実績をしっかりと愚直に訴えました。特に雇用データといった話は、繰り返しビラもまきましたし、街頭でも訴えました。例えば18歳選挙権でいうと、一番効果があったのはたぶんこの雇用の話です。

 彼らの数年先輩で、民主党政権の時に就職した人のところに就職相談に行ったりすると、「お前らはいいな。俺たちの時はひどかったぜ」ということを言うらしいのです。そうすると、「今は俺たち、就職状況が良くなってほんとうにありがたい」といった感想が学生の間で伝わるようなので、雇用対策などは我々としてもしっかりと訴え、ビラを作るということをやりました。

松本 テレビ報道を24時間チェックしたり、インターネット上のブログや掲示板の書き込みをウォッチしたりするといったことはいわば「所与」のこととして取り組みつつ、野党時代に行っていたような、ネット情報の詳細な分析結果などにはあまり依拠しない方向を選ばれたということですか?

牧原 はい。

ネット上の動きは「はかない支持」だ

水島宏明さん水島宏明さん

松本 先ほどの「情報参謀」という本には、自民党が2013年に立ち上げたネット選挙分析チーム「トゥルース・チーム」(T2)を中心に参院選を闘った状況も詳細に描かれています。「Truth Team」という名称は、オバマ大統領が大統領選で立ち上げた「Obama Truth Team」にちなむとのことだそうですが、チームには自民党のネットメディア局の議員や選挙スタッフ、顧問弁護士、IT関連企業が参加していて、同書には「T2の元請けは電通だった」と書かれています。

 そうした組織的な取り組みからすると、自民党は2016年の参院選でさらにその流れを「進化」させるのではないかと私は想像していました。それは例えば、2008年の米大統領選挙でアメリカのオバマ陣営がやったように、最先端のマーケティング戦略とビッグデータ分析、さらには行動科学に基づくターゲティング(働きかける対象の選定)、それらを駆使した選挙戦略といったものを総合的に推し進めようとしているのではないかと予想していたのです。オバマ陣営の実態は、埼玉大学教授の平林紀子さんが書かれた「マーケティング・デモクラシー」(春秋社)という本に詳しく書かれていますが、必ずしもそういう方向ではなかったということですか?

牧原 ネット選挙が導入されて、それがすごく有効だとはみんな思ったし、いろいろな工夫をしましたが、思ったほどの効果が現れなくて……。ただネットというのは、選挙で誰か特定の候補を落とすというような点においては、場合によっては「凶器」のようなものになり得るかもしれません。

 例えば1万人ぐらいのサイバーテロ部隊を持っている国が、都市部で当落線上ぎりぎりのところにいる候補者を落選させようと考え、「ネガティブ情報」をネット上で1万人分ぐらいワーッと書き込んだとしたら、その候補は落ちてしまう可能性があると思うんです。選挙が終わってみて、その書き込み内容は「ウソでした」となった時には、もはや挽回(ばんかい)はできない。

 そういう危険はあるので、「ネガティブ情報」のチェックは必要かもしれませんが、ポジティブな意味で、ネット上で盛り上がって実際の選挙の票につながっていくというのはどうも……。「加藤の乱<注>の時も同じようなことを言われましたが、ネット上の動きは実は「はかない支持」なんだな、ということが、だんだん認識され始めてきているという感じがします。

 <注:加藤の乱>森喜朗内閣の打倒に向け、首相候補と目されていた加藤紘一氏が2000年11月、野党提出の森内閣に対する不信任案に同調する構えを見せたが、執行部からの切り崩しにあい失敗したことを指す。「時代の重い扉を一緒に押し開こうではありませんか」と加藤氏がネットで呼びかけると、10万通もの激励メールが殺到し、加藤氏は「理は我にあり」と勝利を確信して行動に出たが、幹事長だった野中広務氏らによって切り崩され、「鎮圧」された。

牧原 今回の参議院選の候補者の中には、「俺にはフォロワーがたくさんいて1位をとってやる」とおっしゃっていたのに、結果は落選した方がいたのを見て、改めてそうした認識を得たような気がします。そういう意味では、伝統的な新聞やテレビの発信は見直されつつあるではないかというのが、私の認識です。

「炎上対策」として「夜中に更新しない」

牧原秀樹さん牧原秀樹さん

水島 私の手元に、自民党が選挙期間中、議員や秘書を集めて「参院選ネット活用研修会」という勉強会をされたときの資料があります。「広報本部ネットメディア局 2016年5月30日」と書かれています。

 それを見ると、ネット選挙といっても誤解があるから、こういうことに気をつけましょう、選挙違反に問われる場合もありますなどという一般的なところも含めて教えています。それ以外では例えばフェイスブックの使い方も、「写真プラス文字3行(「続きを読む」にならないように)とか、かなりネットに詳しい人が指南していると思われます。

 また例えば、「注意すること ③炎上対策」というページには、「炎上しないためには……」として、「①夜中に更新しない(有権者が酔っている・気分が高揚している時間)②政策は専門分野のみとし、他者を批判しない③投稿に誤りがあった場合は素直に謝り、指摘に謝意を表す」などと書かれています。

 ネットやフェイスブック、ブログ、ツイッター、電子メール、ラインごとにいろいろな書き方についてのアドバイスもあって、「自民党はネットをよく知っているな」と感じました。

 私自身は、テレビの報道とネットの報道、両方を大学で研究したり教えたりしているものですから、「自民党のネット戦略は一体誰が教えているのだろう?」ということに関心があったのです。議員の方々からすると、自分たちのこれまでの蓄積の中でこうしたことを教えられるようになったのか、それとも外部の人たちが自民党の中に入っているのか、どちらなのでしょうか?

牧原 基本的には、外部の専門家をそれぞれ呼んでいます。ネットを専門にしている業者については全部知り合いがいますし、向こうも自民党にプレゼンをしたいと思っています。

水島 結果的に自民党はそれぞれの候補が、わりとまめに同じようなことを踏襲されていた印象です。ほかの野党と比べると、自民党候補のほうがネット戦略をきちんとやっていたという印象を私はすごく受けました。この「情報参謀」という本を読んでみると、自民党の選挙戦略は一歩も二歩も先へ進んでいるという印象を強く受けたのですが、そのあたりはやはり自民党として知見を蓄積したということですか?

小手先ではなく、本質的なところが問われる

水島宏明さん水島宏明さん

牧原 そういう知見の蓄積は相当あり、それぞれの議員も工夫しています。「ネットを使う」ということについて、ルーティン化しているんだと思います。議員同士の選挙の勉強会もけっこう多いですし、「こういうことをやったらすごくよかったよ」といったノウハウも相当共有されていますから。

 他方で、1回やったからそれで成功であとはそのままうまくやっていけるかというと、それではほかの政党にもすぐまねをされます。正直、我々の中では自民党のカフェスタがマンネリ化し、反対に民進党(当時は民主党)が取り組んでいた1分間ニュースは非常にコンパクトにやっていたと感じています。また、共産党はネットを非常にうまく使い、ネットでの拡散力は図抜けていると我々は評価しています。

 そのあたり、一回一回選挙のたびごとに蓄積をしつつも、それをどう発展させていくことができるかというのは、我々も悩みながらやっています。ネットを使った選挙戦略を考える人というか層が、自民党は比較的厚いのだと思います。

水島 SNSとの親和性も自民党は非常に高いですよね。

牧原 そうですね。ただ、今回のアメリカ大統領選におけるクリントン候補とトランプ候補の闘い方を見ても、そんなにうまくネット戦略をやっているというわけでもないと思うのです。結局、最後に見られるのは、小手先の戦略ではなく、もっと本質的なところではないかと、我々もだんだん思い始めています。

水島 その意味では、ネット以上に、新聞やテレビという媒体のほうがより訴求力があるというお考えなわけですか?

牧原 それはやっぱり新聞やテレビが重要だとみんな思っているということですね。

 それこそ一時期は、「これからはネットの時代だ」みたいな雰囲気あったじゃないですか、オバマ大統領がそれで成功したとかいわれて。だけど、やればやるほど、あるいは、ここ数回のネット選挙が解禁された後の選挙結果を見て、自分たちの実感を考えると、特に選挙中のネット戦略というのは、本当にそんなに効果があるのだろうか?という疑問が出てきたわけです。むしろネガティブな効果はあり得るかもしれないけれど、ポジティブな成果はどうなのかと疑問がわきます。それよりも、ネットはむしろ平時からこまめにちゃんと更新しておいて、あとは直接的に仲間をつくることのほうが大事だと思います。

18歳選挙パンフレットをめぐって

松本 自民党は18歳向けの選挙パンフレット「国に届け」を作りました。冒頭のマンガ「軽いノリじゃダメですか?」は、女性高校生が主人公で、投票の仕組みなどを学んでいくという内容ですが、これについてはネットなどで「女子は恋しか考えてないかのようなマンガだ」「上から目線」「若者よ、自民党から小馬鹿にされているよ」などといった批判が出ました。これはどなたが作ったのですか?

http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/20/jimin-18voice-kuninitodoke_n_10075554.html

牧原 正直にいいますと、実は自民党青年局が作ったものじゃなくて、広報本部が作ったんです。パンフレットにはマンガ以外にも、「Uー20世代が自民党若手議員にインタビュー 政治って、選挙って何? 私たちの将来に関係あるんですか?」という座談会も載っていまして、私は小泉進次郎さんらと一緒にその座談会に出ました。

 で、この座談会はけっこういいなと思っていたら、パンフレットの裏面がマンガになっていて、実はがく然としまして。個人的な思いとしてはこのマンガはやめたほうがいいと感じたのですが……。

 ただ結果論からいうと、座談会の方の表紙は、ふつうに文字が書いてあるだけなのですが、街角でパンフレットを配ると全然取ってくれなかったんですね。ところがマンガ側をおもてにして配ると、みなさんすごく取ってくれるんです。

 だから批判が出たことも、かえって「どんな中身なんだ?」という、宣伝効果を呼びました。ただそれが本当に票に結びついているのかというと、正直、私にはわからないです。

 むしろ私たちがやったように、とにかく若者と接点をつくり、学生部をつくり、インターンシップを拡大し、いろいろな面でいろいろな人と接するということを進めて、「我々は真剣なんだ」という思いやメッセージを伝えていったことのほうが重要かなとは思います。

低調だったテレビ報道

牧原秀樹さん牧原秀樹さん

水島 私はテレビの報道を分析している人間です。ここ3回の国政選挙のテレビ報道で、各党の扱いがどうだったかとか、どういう形のニュースが多かったかなどを分析しているのですが、牧原さんからごらんになって、今回の参議院選報道、テレビ報道というのは、どのように映りましたか。

牧原 あまり盛んじゃなかったというイメージです。何か静かだったというイメージです。

水島 低調だったということですか?

牧原 ええ。だから逆に、政権交代選挙とか郵政選挙とかのように、これが争点だといったことがあまりなかったので、参議院選挙も、報道全体としては、今の豊洲の市場移転よりもはるかに低調だったというのが私の印象です。

水島 まさにおっしゃるとおりで、参院選のテレビ報道は表面的なものに終始していたんです。

 夕方のニュースで見てみますと、特に民放がそうなのですが、やっぱり劇場型の知事選の候補選び、アイドルグループ「嵐」の櫻井翔さんのパパが出るのか出ないのかとか、小池さんが出るのか出ないのかとか、野党統一候補は誰が出るのか、といった話でずっと引っ張られる。それぞれが夕方の時間帯に記者会見をぶつけてくるものですから、ずっとそれを報道していた。

 そうすると、トータルの時間で言うと、参院選と都知事選、いや都知事選挙にもまだなっていない段階ですけど、3対1とか4対1で、圧倒的に都知事選のニュースのほうに持っていかれちゃっている。何日かに1回だけ参院選のニュースについてやるというようなありさまだったんですね。

 もう一つは、前回までの国政選挙と違って、争点があまりはっきりしないというか、安倍総理自体が「アベノミクスです」とおっしゃったことにも引っ張られた要素もあると思うのです。

 前回までは、原発の問題とかTPPの問題とか、いろいろな争点について各社が争点ニュースをやっていたのですが、これもあまりなくなってしまった。政治をやっていらっしゃる側から言うと、こんなテレビ報道で、国民にどうやって選べというのかと、もどかしさを感じられたのではないかなと思ったのですが、どうですか。

事前投票が増えて新たな悩みが出てきた

牧原 もどかしいというよりは、選挙のあり方の変質をすごく感じるのです。というのは、そもそも事前投票が非常に増えていて、選挙期間中の我々の訴えや活動、あるいは報道も含めて、どのぐらい意味があるのかということについて、現場ではけっこう悩みがあるんですね。

 例えば安倍さんを応援弁士で呼ぶと、ワーッと人が集まりますが、そういう人に聞くと「もう入れたよ」ということが多いのです。この演説を聞いてどっちの候補に入れようかという人の割合が、年々減っている。今回、安倍さんは、国会を閉会して翌日から遊説をスタートしているんですが、これは今申し上げたような理由からです。

 通常、総理は、選挙期間が始まってからやられるのですが、事前の活動にかなり力を入れるようになっています。選挙期間中の報道の低調さというのは気になりますし、若干のもどかしさはありますが、私がもし一国民でも、小池さんの東京都知事選出馬のほうが気になるし、蓮舫さんが出馬するかどうかのほうが気になります。ですからそういう思わぬハプニング的な要因も含めて、それはやむを得ないのかなとは思います。

 逆に今の豊洲の問題のようにあまりに加熱していると、時としてミスリーディングなことがあり得るので、選挙期間中の報道は討論のような形で公平に判断してもらうのがよくて、メディアのほうが争点をつくってライトアップするやり方じゃないほうが、冷静でいいのかなという気はします。

争点を問う番組が激減してしまった

水島宏明さん水島宏明さん

水島 今回、テレビの討論番組も、選挙期間中は1回しか行われなかったわけです。前回は4回あったのですが、そのあたりも含めて低調だったと思います。

 争点についての報道があまりなくて、逆に増えたのが、牧原さんご自身も出られた18歳選挙についての特集です。どんな戦略を各党がやっているかとか、「あべぴょん」やっていますとか、そういう類で、つまり、有権者が選ぶ争点は何で、どういう意見があって、どんな問題があるのかといった話は、あまりなくなった。

 これは2014年の総選挙と比べると、激減と言っていいぐらい減っているのです。

 そのかわり、非争点化したテーマが、すごく増えている。私は個人的には、そうした非争点化のニュースを「池上彰化」と勝手に呼んでいるのですが、池上彰さん的に、「そもそも参議院とは何か」とか、「合区とは何か」といった、そもそも論の解説がかなりを占めてしまう。「18歳選挙とは何か」とかですね。

 報道番組、ニュース番組なんだけれども、争点はこれだということをほぼ提示していなくて、各政党の党首などの演説に丸投げして、「はい、各党の主張です、ごらんください」。これは有権者からすると、よくわからない世界だった。これは国民にとって利益と言える現象なのかというと、私、ちょっと疑問に思っているのですが、いかがでしょうか。

牧原 結局、これは政治全体の仕組みの問題に帰着すると思うのです。例えば自民党と社会党が二大政党と言っていた時代は、誰もが自衛隊とか憲法とかで、イデオロギーの違いを感じていたわけです。ですから中選挙区の時代のほうが、はるかに政策の時代だったと私は思っています。

 ところが小選挙区になって、今回も野党共闘がありましたけど、「巨大与党に対峙する勢力が必要だ」と叫ぶだけでは、そういうやり方が民主党政権を生み、結果、大混乱が起きて、みんな嫌になっちゃったわけです。結局、問題は何をやるかであって、政治勢力をどうつくるかではないということを、国民は何となく理解してきたのではないかと思うのです。

「改憲勢力が3分の2」という報道への疑問

牧原秀樹さん牧原秀樹さん

牧原 その中で、例えば選挙の最後のほうに、私が一つイラッとした点としては、「改憲勢力が3分の2を占める」といった書き方あるのですが、正直、憲法改正の議論というのは自民党の中でも千差万別です。

 自民党元幹事長の加藤紘一さんのご葬儀があった時、私も参列させていただきましたが、山﨑拓さんが弔辞を読んで、「加藤、お前はほんとうに9条改正に反対なのかと言ったら、『俺は一文字も変えるべきじゃない、反対だ』と言った」という話を披露されていました。

 自民党の中にも、憲法を議論するのはいいけれど、別に9条は改正する必要は全然ないのではないかという人もいらっしゃるわけです。人権規定のところから含めて、自民党の中に憲法改正についての何のコンセンサスもないですよ、はっきり言って。それを改憲勢力だと位置づけるということも、我々も「ちょっとこれどうなの?」と思う。

 その一方で、その辺は国民も「ちょっとこれ違和感あるよね」と感じたので、あまり争点化しなかったのではないかと思うのです。

 逆に民進党の中にも、改正すべきだと、自民党よりよっぽど右寄りに言っている方もいらっしゃる。だからもう1回、本当に国民の政策選択をやるのであれば、選挙制度とか政治システムそのものから見直したほうがいいんじゃないかなと、そういう気がします。

松本 たしかに「改憲勢力が3分の2」というくくり方は、個々の政党が何をどのように変えようと考えているかという実態を必ずしもとらえていないというか、新聞の見出し的な要素が強調されすぎている面があるとも感じます。例えば民進党の中にも憲法改正に賛成の議員がいる一方で、改正に賛成している政党同士の間でどこを変えるかをめぐって相互に合意している点もないわけですから。その意味で「改憲勢力が3分の2」という見出しを単純に繰り返すのはある種の思考停止に陥っていないかという危機意識はあります。

 ただ同時に、選挙期間中の争点化というものは、メディア側が主体的に問題提起しなければそもそもジャーナリズムたりえないだろうと私は考えています。「政権のいうことを『争点』としてそのままたれ流す」ということでお茶を濁していても、それではジャーナリズムではありません。もっとメディアの側が積極的に争点を打ち出すべきだし、その努力が十分だったとはいえないと思います。

参院選の中身に踏み込まないTVキャスター

松本 参院選の具体的な報道ぶりについては、水島さんは朝日新聞社が発行している月刊誌「Journalism」の2016年6月号やハフィントンポスト日本版2016年7月11日に詳細なレポートを書いておられます。

http://www.huffingtonpost.jp/hiroaki-mizushima/vote-2016-tv_b_10922740.html

 それらの記事によると、例えばNHKの「ニュース7」で項目を立てて参院選を扱ったのは選挙期間13日中、わずか6日で、投票日前の最後の放送となった7月8日の「ニュースウォッチ9」では放送メニューの中に参院選はなく、最後にメインキャスターの2人が「あさって日曜日は参議院議員選挙の投票日です」「みなさんの大切な一票です。ぜひ投票に行きましょう」と話しただけだったそうです。

 水島さんは「この7秒足らずをにこやかに伝えることが報道番組のキャスターとしてやるべきことなの? この厚顔無恥ぶりはある意味、驚くほどだ」「もしも自分がこんな番組の担当者だったなら、穴があったら入りたいくらい恥ずかしさを覚えたはずだ」などと厳しく批判されています。NHKや民放各局の取り組みについて改めてどう思われますか?

水島 やはり自民党が強大な与党政権なものですから、かなり遠慮というか、萎縮している感じが見られるのです。例えば2014年の総選挙前、11月20日に自民党がNHKと在京テレビ局5社を自民党に呼びつけて渡した「選挙期間における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」の効果が意外にあるのではないかと思っています。

松本 冒頭に触れたように、「出演者の発言回数及び時間等については公平を期していただきたい」、「ゲスト出演者等の選定についても公平中立、公正を期していただきたい」、「テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中などがないよう、公平中立、公正を期していただきたい」、「街頭インタビュー・資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいことーー等について特段のご配慮をいただき」たい、といった文書ですね(注:安倍政権とメディアをめぐる動き)。

<注>安倍政権とメディアをめぐる動き(一部)
(1)2014年11月18日
14年の総選挙前、TBS「ニュース23」に生出演した安倍首相が、番組中に放送された街頭インタビューに対して、「(景気回復を評価する声が)これ、全然、声、反映されてませんが、これおかしいじゃないですか」などと生放送中にクレームをつけた。
(2)2014年11月20日
(1)の出来事から2日後、自民党から在京テレビキー局の編成局長、報道局長あてに「選挙時における報道の公正中立ならびに公正の確保についてのお願い」なる要請文書が送付された(実際はまず自民党担当・平河クラブのキャップに手交された)。この文書は「出演者の発言回数や時間」「ゲスト出演者の選定」「テーマ選び」「街頭インタビューや資料映像の使い方」など詳細にわたって番組内容に注文をつけるものだった。
(3)2015年4月17日
自民党の情報通信戦略調査会が、NHK「クローズアップ現代」のいわゆるやらせ疑惑と、テレビ朝日「報道ステーション」のコメンテーター・古賀茂明氏の降板をめぐる放送に関して、NHKとテレビ朝日の経営幹部を呼び出し、「真実が曲げられた放送がされた可能性があるのかも含めて話を聞きたい」として、非公開で事情聴取を行った。
(4)2015年6月25日
自民党の若手・中堅の勉強会「文化芸術懇話会」で、作家の百田尚樹氏が「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」という趣旨の発言をし、また、出席議員から「マスコミを懲らしめるには広告料をなくせばいい。文化人が経団連に働きかけてほしい」等との発言があったことが明らかになった。
(5)2015年11月中旬
読売新聞、産経新聞の両紙に、TBS「ニュース23」岸井成格キャスターを、安保法案に関する番組内での発言が放送法第4条に違反しているなどと名指しで批判する意見広告(「放送法遵守を求める視聴者の会」名で)が掲載された。
(6)2016年2月8日
高市早苗総務相が、衆議院予算委員会で、「政治的公平」を定めた放送法4条に違反したことを理由に放送局に電波停止を命じる可能性に言及した。
(7)2016年3月末
NHK「クローズアップ現代」。TBS「ニュース23」、テレビ朝日「報道ステーション」のメインキャスター(国谷裕子、岸井成格、古舘伊知郎の各氏)が番組から降板した。

街頭インタビューや資料映像が画面から消えていく

水島宏明さん水島宏明さん

水島 ただ、こちらはそれぞれの局の本音を調べようがないものですから、あくまで外形的にどういう報道があったのか、なかったのかというのをチェックしてみました。

 そうしたら、例えば2014年は、あの要望書が出た後で、民放キー局、NHKを含めて、街頭インタビューを使わなくなったとか、あるいは資料映像の使い方についてもかなり慎重になったとか、そういう傾向は見て取れました。

 今回の16年参院選も、同じようにその傾向が続いています。その上、「非争点化したニュース」がその分、割合としてはすごく多くなってしまったという傾向があります。

 政治の側からすれば、「いや、そんなことで委縮するなよ」といったことは安倍首相自身も言っているので、そういう面もあるのだろうと思うのですが、実際、萎縮しているのではないかと思われるところがかなりある。

 今回の参院選についても、例えば甘利明・元経済再生相の辞任は今年の1月で、当然資料映像として使っていいはずなのに、どの社も使っていない。従来のテレビ報道だったら当然使うだろうという映像が使われていないとか、非常に不可解なことがありました。

 街頭インタビューも番組の中で使われてはいるのですが、「選挙に行きますか・行きませんか」を18歳の子らに聞いているとかですね。つまり、争点にかかわるようなことは避けているという傾向はかなり明らかなのです。このこと自体が必ずしも有権者全体にとっていい傾向だとは思えないのですが、そういうことを、与党側にいるとあまり意識されないのかなと思うのですが、いかがですか。

松本 ここはぜひ牧原さんのお考えをうかがいたいと思います。2014年11月20日に自民党から要請文が出てきた直前の11月18日には、安倍首相が「ニュース23」に出演して、アベノミクスについての街頭インタビューに批判的な内容が多いことに対し、苦言を呈した。因果関係は必ずしも証明はできませんが、おそらくはこれに端を発して、その2日後に自民党はNHKと在京テレビ局5社を呼んで先ほど紹介したような要請文を出した。

 その後、水島さんのリサーチにあるような傾向、つまり街頭インタビューや加工映像、資料映像を使う割合がぐっと減り、あるいは与党にとってネガティブと思われかねない映像は避けるといった傾向が実態的に現れている。因果関係の証明は別にして、つまりはこの自民党の要請文が、結果的に報道の現場を萎縮させてることにつながっていないかという点ですが、あのような要請は正当なものだと考えますか?

 権力を持った側がやってはいけないこと

牧原秀樹さん牧原秀樹さん

牧原 表現の自由というのは民主主義の根幹をなす要素ですから、権力にある側が表現の自由を委縮させたりするようなことをやるべきではないというのが、私の基本的な考えです。

 いろいろなことがあって、去年も私の前の青年局長が、主催した会でメディアを攻撃するような発言をして、結果として事実上更迭されてしまったのですが、あのケースも個人的な要素が強いんですよね。

 自民党が何かやる場合、例えばそれを議員総会とかにかけてやるとなると、「そんなことやるべきじゃない」とか、いろいろ健全な意見が出てきて、最終的に意見が落ち着くところに落ち着くのですが、たまたまあるポジションに強硬な方がいらっしゃると、ほとんど党内論議にはかけずに、「これ許せねえよな」「ちょっとこれ、抗議文出そう」と言って流れをリードする場合があり得ると思うのです。

 実は私は谷垣元幹事長と近く、谷垣さんは非常にそういうことにはネガティブ(否定的)な人でした。谷垣幹事長の時は、多分そういうことを党側から要請したことはないと思います。そうではない、人的要因によって、そういうことがもしあったとしたら、一般論として、やっぱり権力者が言論の自由を没却するようなことをやってはいけない。それをやり始めると、民主主義が崩れる原因になりかねないと私は思っています。

「放送法の『公平』とは、権力に左右されないという意味だ」

松本 その通りですね。放送法4条は、番組の編集をめぐり、「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」など四つの基本方針を定めています。いくら総務相に電波の停止や放送免許の取り消しを命じる権限があるといっても、これら四つの基本方針はあくまで放送局自身が努力目標とすべき「倫理規範」であり、違反したからといって行政処分ができるという「法規範」とは考えるべきではないというのが専門家の通説です。

 ただその一方で、例えば早稲田大学の上村達男教授は、「放送法4条1項がまさしく法令そのものであっても、あるいはそれだからこそ政府による行政指導などを行うことは許されないと構成しなければならず、構成できると考える。さもないと、倫理規定ではないと言われた瞬間にその基本的立場が瓦解しかねない」と述べておられます。

 つまり、「4条1項が法令としての意義を有することを認めつつ、それと四つに組んだ議論をする覚悟が求められている」と指摘しておられ、この点も視野に入れて考察を深めておく必要があるとは思います(「高市総務相を利する放送法=倫理規定説 真っ向から『停波発言』の違法性を論ぜよ」、月刊「Journalism」2016年4月号)。

 また、「政治的公平」は単独の番組内だけでなく、一定程度の期間を通じた番組全体で慎重に判断すべきだという点も専門家の常識です。この点、政治学者で東京大学名誉教授の御厨貴さんは「放送法のいう『公平』とは、権力に左右されないという意味だ。公平性の判断に政府が口をはさむのはなじまない」と指摘しておられますが、その通りだと思います。この分野を所轄する大臣たるもの、「広義の圧力」と受け取られかねないような言動は厳に慎むべきであり、またそれが大臣としての見識ではないかと考えます。

水島 憲法改正という時に、国民の中に少なからず不安があるのも、自民党の改正草案のイメージを引きずっているのかもしれません。そもそも、自民党としては「表現の自由を大事にする」と宣言なさる方向というのはないものでしょうか? 

松本 ご存じのように、現行の憲法21条は、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由を保障していて、いまの民主主義社会の根幹を作っています。ところが自民党の改憲草案は、21条2項として、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という内容を追加していますね。これは、定義が明確でない「公益」や「公の秩序」を理由に表現の自由に明確に制限を加えようとするもので、極めて問題だと考えますし、立憲主義の重要性を認識しているというのであれば、改憲草案を撤回すべきではないかと私は思います。

牧原 表現の自由を制限しようとする議論は自民党内にまったくないと思うので、あえて宣言することによってかえって疑心暗鬼を生むおそれがあります。先日も小泉進次郎さんたちと年金の話をしてきたのですが、平成16年に厚労省が「100年安心年金」と言ったものだから、かえって若者が不安に思っているのではという議論もあり、その辺、難しいとは思うのです。

 ただ、権力の座にある者は、表現の自由に対して疑念を持たれるような態度をとったり、発言をしたりしてはいけないということを徹底しなければいけないと思いますね。そういう疑念を持たれるとすれば、それは権力を持った側の責任として、当然、一般国民が権力の側を問う際の判断の一因にはなるべきだと思います。

政治的中立性アンケートについて

水島宏明さん水島宏明さん

松本 その流れで、自民党が6月から7月にかけてホームページで実施した「学校教育における政治的中立性についての実態調査」についてうかがいたいと思います。

 その趣旨を記した文章を引用しますと、「教育現場の中には『教育の政治的中立はありえない』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です」「学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れ」があるなどとして学校での協力を求めているものです。

 具体的には、回答者の名前、年齢、勤務先の学校名、連絡先などを書き込ませた上で、「政治的中立性を逸脱するような不適切な事例を具体的(いつ、どこで、だれが、何を、どのように)に記入してください」として回答を求めています。自民党の文部科学部会長は、投稿された情報のうち明らかに法令違反と思われるものなど一部を警察当局に提供する考えを示しましたが、弁護士でもある牧原さんはどう思われますか?

「言論の自由は人類が勝ち得てきた最も重要なものだ」

牧原秀樹さん牧原秀樹さん

牧原 これは文部科学部会長がやられたことで、私はこの話を聞いた瞬間、ちょっと衝撃を受けました。私の基本的発想や思想からいうと、そういうことは少なくとも選挙中にやるのはやめたほうがいいと思います。

 さきほどの話も今度の話も、若干不幸なトラウマに基づいているところがありますね。例えば報道の政治的中立ということで言うと、昔、自民党が大敗をしたときに、あるテレビ局の報道の責任者の人が、「俺たちが勝たせてやった」みたいなことを高らかにおっしゃったことが1回あって、そのトラウマが多分、すごく大きいのです。

 他方、ある人が「これやろうぜ」と言って、事務方がそれに応じて、数人の判断だけで何かを実行してしまう。こういうのは組織としてもちょっとどうなのかなと思います。

 言論の自由というのは、人類が勝ち得てきた最も重要なものです。それを、民主主義で選ばれている議員が認識しなかったら、そもそも政治の劣化と民主主義の退化を招くと思うので、私はやっぱりそこに力を入れていきたい。

 個別の問題はもちろんウオッチしますけれど、もう1回根本的なところをやらないと。与党だから何でもできるとか、政治家になったからマスコミより偉い、国民より偉いという感覚があったら、これはもう終わりですから、そこは改めなくてはいけないと思います。

賛成・反対両方の意見を聞いた上で判断してもらう

水島宏明さん水島宏明さん

松本 トラウマが大きいというのは、自民党の政治家の皆さんにとっては、ということですか?

牧原 そういうことですね。それともう一つ、教育現場というのも、ある組織が非常に偏向して教育を行っているという現実も昔はあったと思いますし、そんなイメージもやっぱりあるわけです。ですから18歳選挙権にしたときにも、私は学校現場は萎縮などしないでどんどん政治教育をやるべきだと申し上げました。

 ただその時に、その先生だけの意見ではなくて、別の先生の意見を聞き、生徒が複数の情報ソースを得られるようにすればよくて、それを、ある一人の先生の情報だけにしてしまうから、その先生が中立でないと、生徒が不当な影響を受けるのではないかと気にするのです。

 本来は先生がどんどん授業をして、「私はこの平和安全保障法制はおかしいと思うよ」という授業をやった後に、自衛隊出身の先生が出てきて、「いや、こういう状況なのだから私は正しいと思うよ」と、賛成・反対の両方の意見を聞いた上で、子供たちに「俺はこっちが正しいと思う」と判断させるのが、私は正しい有権者の育て方だと思います。

 日本はそのへんが、ある一つのことにすごく影響されてしまうと一般的に思われているので、中立を徹底しようということになる。でも、「中立ではない」と言われたらいやだから、先生もそもそも授業では扱わないようになってしまい、マスメディアもそもそもその話題は取り扱わないようにするという「事なかれ主義」になってしまう。その結果、有権者側から見ると「これって民主主義なのか?」と思うような不幸な事態を招きかねない。

 そういう意味では、生徒が、こういう先生の意見もあるし、ああいう先生の意見もあるしという複数のソースの情報を得たうえで、「どれが正しいのか」と自分で考えて判断するという能力をつける教育にしたほうが、私はいいと思います。

水島 その点で、今回の参議院選のテレビ報道を見てみると、みんな「初めての1票はどう思う?」「緊張する、ドキドキする」などと言っているだけで、そもそも18歳選挙権を実施するにあたって、どんな教育が学校現場で必要かという議論が、報道の現場でもテーマにならずに導入されてしまったという、かなり不幸な事態になっています。本来、選挙がない時期に、教育現場で受ける政治教育とは、どうあるべきなのか。それを十分に議論して準備せずに選挙に突入してしまった拙速さが選挙報道を見ても明らかで、報道の側も若い世代向けの本来あるべき政治教育についてほとんど触れないままに報道していました。

英米ではロールプレイングで選挙を疑似体験させる

水島 牧原さんも海外生活が長いのでご存じだと思いますが、英米では授業の中でロールプレイングして生徒に選挙を疑似体験させます。実際の政党ごとに生徒が分かれて、「君、今度は民主党やってごらん」とか「共和党やってごらん」とかやりますよね。それがごく普通なのに、日本では生徒に野党のマニフェストを読ませるだけで「偏向している」と言われかねないような恐怖が、おそらく学校現場にもあるし、それを伝える側にもあるという、不幸な状態に今あると思います。その辺を、牧原さんのような力のある方が「むしろ政治教育を今こそやろう」という方向性を示してはどうでしょうか?

牧原 私は、局長としてはそういう発信をしたつもりなのです。

松本 その点はぜひ、牧原さんが何かの機会に情報発信をしていただきたいと思いますね。

牧原 はい。ブログとか部会では言っているんですけどね。ただ、政権交代をしたことで、日本には必ずよかった点があるはずなのですが、その教訓を正しく押さえている人とそうではない人がいて、だんだんそうではない勢力が強くなっているような恐れを個人的には抱いていますね。

「民主主義を勉強し直す必要がある」

 

牧原秀樹さん牧原秀樹さん

松本 もう少し具体的に言うと、どういうことでしょうか?

牧原 なぜ自民党があの時負けたのかということについて、負けるには負ける要因があったはずだということですね。一言で言うと、私は国民と自民党が乖離(かいり)したと思っているのです。「俺たちは与党だから何でもできる」と思い始めたり、自分たちが政治資金を得ることを優先して一般国民のことを考えなくなったりとか、いろいろな理由があると思います。

 「俺たち、二度とこういうことがないようにしよう」という謙虚な気持ちを持っている人はもちろんたくさんいるのですが、そうではなくて「民主党はどうしようもないやつらでダメだ」とか、「マスコミが二度と悪さをしないようにメディアの活動を制限しなくてはいけない」とか思い始める人が自民党の中にいたとしたら、雰囲気としてちょっと危険性を感じます。

 だから、自民党だろうと何党だろうと、我々は何のためにいるのだということをもう1回認識して、一から民主主義を勉強し直す必要があるのではないかと思っています。

松本 それは非常に重要なご指摘ですね。あえて「メディアの側も含めて」といいますが、政治家やジャーナリストに限らず、多くの人たちが過去に日本が歩んだ歴史的な流れも踏まえながら、もう一度謙虚に民主主義と向き合うことが今のこの時期、本当に大切だと考えます。牧原さんのような考えを持つ政治家が何党であれ、主流派を形成してほしいと私は思います。

高市総務相の発言をめぐって

水島 表現の自由をめぐっては、2月8日の衆議院予算委員会での高市総務相の発言が話題になりました。

 放送法4条は、番組に「政治的公平」などを課しているわけですが、放送局がこの4条に繰り返し違反し、改善しない場合には電波停止もありうると答弁した件です。

 牧原さんはアメリカにもいらっしゃって、アメリカはいわゆる放送法的な公平中立のような縛りがない国ですが、そういう国と比較して日本の現状というのは今のままでいいのか、あるいは「放送倫理・番組向上機構」(BPO)という組織が自主的に放送倫理規定を管理するという体制でいいのか、そのあたりはどうお感じになっていますか?

牧原 高市さんの発言は私も予算委員会で聞いていたのですが、あれはちょっと意地悪な面がありました。

 高市さんは最初、個別のことを委縮させではいけないので発言をしなかったんですよね。それを野党側の人が、「法律上の規定として、もしそういうことがあったら放送を止められるんですか」という条文の話をされたので、「法律上は止めることがあり得ます」とお答えになったものを、「停止発言に言及した」といって大々的に取り上げられたわけで、私は「これ、何かおかしいね」と感じました。何かその部分だけ変なふうに取り上げるのもおかしいなと。

 「条文上はこうなっている」と発言したことをとらえてワーワー言うというのは、私はあまり健全な議論だとは感じません。他方、言論の自由を最大限守るためにはどうするのかというのは、むしろ政治側がそれを押しつけるというよりは、BPOのような組織をできるだけ自主運営していただいて適正にするということが大切なのではないでしょうか。

水島 では、自民党の中で現在、放送法を改正して、例えば国が直接、放送倫理についてもっと口出しをできるようにしようという雰囲気はないのですか?

牧原 私はないと思いますし、それには非常にアレルギーを感じています。昨年4月に自民党の情報通信戦略調査会会長が、番組内容に問題があったとしてテレビ朝日とNHKから幹部を呼んで事情聴取を行ったのですら、谷垣幹事長(当時)が「呼ぶべきじゃなかった」と言っているのを聞きましたし、私もまったく同意見です。やっぱりそういうことはしてはいけないと思います。

歴代の総務相のスタンスとの違い

松本 あの発言については、公正を期すためにいえば高市総務相自身は3月20日のご自分のコラム(早苗コラム)で「私は『電波を停める』と言ったことは一度もありません」と述べた上で、こう指摘されています。

 「平成22年の改正放送法案の審議の際にも、①第4条の番組準則が法規範性を有すること、②番組準則に違反した場合には、総務大臣は、放送法第174条に基づく業務停止命令や電波法76条に基づく無線局運用停止命令ができること、③それらは、極めて慎重な配慮の下、適用すべきであること、については、平成22年11月26日の参議院総務委員会で、平岡総務副大臣が答弁をしておられます。私としては、『行政の継続性』の観点から、同様の答弁をさせていただきました(中略)いずれにしても、放送法は、放送事業者の『自主自律』を基本とする枠組みとなっており、放送番組は、放送事業者が自らの責任において編集され、放送法を遵守されるべきものだと考えています」(一部抜粋)

 あるいは『正論』の8月号で、「検証『高市バッシング』 私は『電波を止める』とは言っていない」というタイトルで長いインタビューを掲載されています。http://seiron-sankei.com/9855

 ただ、高市総務相の発言の内容は、例えば、行政処分をする権限があるとした2010年当時の片山善博総務相の「表現の自由、基本的人権にかかわる。極めて限定的、厳格な要件、謙抑的でなければいけない」という過去の総務相のコメントと比べると、歴代のスタンスからははみ出ていて報道現場を委縮させかねないものです。

 総務相とはいえ一人の政治家なわけですから、その放送が不偏不党の観点から問題があるかどうかを、仮にですが、自分の判断だけで行えるともし考えるとしたら極めて危険です。先ほども述べたように、放送法の言う「公平」とは、権力からの自由というか、政権与党の持っている権力に左右されないという、それこそが眼目だからです。いずれにせよ、公平性の判断に政府が口を出すのはなじまず、権力を持った者がやってはいけない行為だと私は考えます。

 また、専修大学教授の山田健太さんは、10月に出された著書「放送法と権力」(田畑書店)の中でこんなことを書いています。「政府は一歩先を読んだ情報戦略を実施してきている。その一つが前々回・前回と積み重ねてきた選挙時の報道現場に対する「見えない壁」作りだ。その効果は間違いなく今回の選挙で現れている。そして今回の選挙前に示された『新たな壁』は、むしろ『次』を見越した報道規制であり、言論公共空間における情報流通のありようを規律するものである」(340ページ)。

 指摘されている内容は、ジャーナリズムの現場にいる一人ひとりがまさに心すべきことであり、それぞれの現場で「見えない壁」や自己規制への誘惑といったものと闘わなければいけない。ある意味で、そんな危機的な局面のまっただなかに私たちは立っているのだと思います。

牧原 高市さんもだいぶ反省もされたんじゃないですかね。

松本 そうですか? 高市総務相にはインタビューを申し込んだのですが、公務多忙とのことで受けていただけなくて残念です。

牧原 政治家は、立場によっては勢いのいいことを言えばいいというものではないということを認識しないと、国会議員や大臣としての資格が問われる事態になり得ると思います。だからそういうところは、気をつける前に、民主主義とは何なのか、その中で表現の自由とはどういう意味を持っているのかということを、みんなでもう1回勉強し直さなくてはいけないとは思います。

松本 おっしゃる通り、先ほども言いましたがみんなで民主主義をもう1回学ぶというは、この時期にすごく意味があると思います。この対談の前に、共同通信元編集主幹の原寿雄さんの著書を読み返しました。原さんが鋭く指摘されている内容をここで改めて紹介させていただきたいと思います。

 公平は本来、「質」の問題であり、「量」の問題ではない。量は客観的に量れるが、質は数量化できない。そこで質の違いには目をつぶって、出席者数と発言時間数という目に見える形でバランスをとろうとする努力が「NHK的公平さ」であるといえよう。

 読者・視聴者が求めているのは「本当のところは何か」という真実追究であって、バランスではない。政党の公約などについても、バランスよく並べれば公平かもしれないが、公約の実現性や具体的内容の追及なしに、報道の役割は果たせない。形式的な公平さを厳守しようと思えば、真実追究など不可能になることさえ起きる。

 「公平」が最終目標のようになってしまうと、ジャーナリズムたりえなくなる。公平は真実への道を保障するものではない。公平はあくまで手法であって、公平の門を突き抜けて真実に迫るのでなければジャーナリズムの目標は達しえない。(いずれも原寿雄「ジャーナリズムの思想」116~118ページ、岩波新書)

松本 現実にテレビや新聞の報道を見ていると、内容がおざなりになったり、論争喚起的なものは避けておこうという空気を感じたりすることが時々あります。しかし、それは民主主義にとって、本当は政権与党にとっても望ましいことではないという気がしてならないのです。ジャーナリズムの重要な役割の一つは「権力の監視」ですから。

言論の自由は何のためにあるか

牧原 メディアも政治も、およそ言論の自由というものは何のためにあるのかということを考えたほうがいいと思うのです。例えば非常におもしろおかしく人権侵害をして、ひたすら人のスキャンダルを追及するメディアが、場合によっては、ある人の人生をめちゃくちゃにする可能性があるわけです。

 もしそれが誤報だったときに、「いや、間違いでした」とおわび記事で終わっちゃうわけですよね。そもそもそうやって、犯罪被害者とか何かの人たちのことをチクチク取り上げることは、はたして言論の自由として本来メディアが追求すべきものなのだろうか、そのために表現の自由が与えられたのだろうかというと、私にはどうもそうは思えないわけです。

 例えば政治報道も、俺は安倍が嫌いだから安倍を徹底的にたたくんだといった、あるコメンテーターの嫌悪感が表に出ると、これはちょっと、表現の自由を超えて、個人的復讐だったり個人的恨みだったり個人的嫌悪感を反映させているものになっているのではないかと見えることも、多々あります。

 そういう意味では、権力の側が権力を維持するため、あるいは自分たちのために何かやっていることをつまびらかにして、ちゃんと権力は国民のために使うべきだとやるのは正しい。表現の自由というのは、人をつぶしても小ばかにしても侮辱しても名誉棄損しても自由なものではなくて、それは正しいことにきちんと使われるべきです。政治もメディアももう1回みんなで見直して、みんなで萎縮して事なかれに走るのではなくて、健全な民主主義国家として日本を発展させるために表現の自由は必要です。政治の側も、メディアの側も、お互いそこをもう一度見つめ直したいですよね。

アメリカ社会で実感したこと

松本 牧原さんは以前にアメリカに暮らしておられましたね。アメリカはまさに表現の自由の国ですが、そのアメリカとて表現の自由が最初から目の前に自明のものとしてあったわけではなく、やっぱり時々の弾圧の中から人々が勝ち取ってきたという歴史があるわけです。

 その点、「表現の自由」をめぐる問題の専門家だった東京大学名誉教授で憲法学者の奥平康弘さんの言葉を少しだけ紹介させていただければと思います。

 「恰(あたか)も、アメリカでは人びとは、労せずして『上から』(あるいは「神から」)完結した体系としての『表現の自由』を始源的に与えられ、これをただひたすら費消する地位を享受している、と言わんばかりである。アメリカであろうとほかのどこの国であろうと、そんな天国的なことが生じるはずがない」
 「『表現の自由』は、市民の闘い・運動の軌跡のなかから浮き出てきた諸成果によって織りなされた構成物みたいなものなのである」
 「極言すれば、『自由』のまえにまず『迫害』があるのであって、『自由』はまず、『迫害』と闘うことからはじめねばらならない。『迫害』(あるいは『迫害』と感ぜられる現象・状況は、日々あらたに生産されるとさえ言えるのであって、『自由』への闘いは止むところを知らないと言っても過言ではない。アメリカでだって事情はおなじである」(『表現の自由』を求めて アメリカにおける権利獲得の軌跡」、奥平康弘、岩波書店)

 牧原さんはご自身でニューヨーク州の弁護士資格も取られて、アメリカ社会で暮らす中で、表現の自由を実感されたこととか体験エピソードのようなものがあったらうかがいたいと思います。

牧原 これは私が学生に会う時に必ず言っていたのですけれども、まずは受け手の問題として、例えば新聞はちゃんと複数読めということです。

 日本人がちょっと弱いのは、複数の情報源をしっかり取るという面なんですね。大体どこの家庭でも1紙だけ読んでいて、そしてほかの新聞は読んだことがない。でもそうではなくて、いろいろな新聞を読んだり、いろいろなテレビを見たりするということがいかに大切かという点ですね。

 アメリカの場合は小さいころからディベートの訓練などをしているので、常に人は自分とは違う意見を持っているし、その中で正しいこともあれば正しくもないこともあるということが訓練され、実感されている。そこが日本と違うところです。ご存じのようにアメリカの場合、このテレビ局は共和党寄りですとか、このテレビ局は民主党寄りですとか、この新聞社はクリントン支持を表明しているとか、この新聞社はトランプ支持だということが鮮明です。

 みんなそれがわかったうえで情報を取っているので、「このテレビは偏向している」とかいう議論はそもそも出てこないのです。CNNも見るし、いろいろなものを見て、「あ、なるほど、こんなことをこっちの人たちは考えているんだな」とか、物事をふつうに多面的に見るような人が作られていく。その点はやっぱりアメリカ社会の非常に重要なことの一つだなという感じがします。

アメリカのアイデンティティーとは何か

牧原秀樹さん牧原秀樹さん

牧原 アメリカのアイデンティティーというのは、我々のアイデンティティーのように、人種だったり、あるいは言語だったり歴史だったりするわけじゃないんですよ。あくまで彼らは多民族の寄せ集めで、多くの人が移民出身で、そして人種もバラバラで、英語という言語も借り物で、今は英語をしゃべれない人たちがいっぱい国にいて……。

 そうすると、彼らのアイデンティティーっていうのは、リバティーとジャスティス(自由と正義)みたいな話になっているんですね。あるいはデモクラシーですね。それこそがアメリカのアイデンティティーなんです。

 その時に、表現の自由というものが自分たちのアイデンティティーまで昇華されているので、そういうところに対しての関心が、日本とは根本的に違うような気がしますね。

 日本人は昔から、何か異質的なものははじくということなので、みんなが同じで、みんなが同じことを言って、同じ方向を向いていることに非常に居心地のよさを感じる国なわけです。でも、日本も民主主義という形態をとった以上は、もう少し反対意見に耳を傾けたりして、お互いの立場を尊重し合いながら冷静に表現の自由を正しい方向で使う訓練をやるべきだと思っています。

 とはいえ、アメリカの今回の大統領選挙を見ていますと、表現の自由の国だと威張れるか、ほとんどヘイトスピーチではないかと思うようなことを言ったりすることもあるので、表現の自由や言論の自由という問題は、これは人類全体が悩みつつ進むべき道ではないかと思うのです。ただ、めちゃくちゃな暴言のような発言でも自由にできるということはあるし、そうしためちゃめちゃなことを言う人に対して、みんなが取り囲んで自由に批判したりデモをしたりするというのもまたデモクラシーですよね。

「表現の自由を愛する者」として、テレビへの注文

松本 対談のテーマの最後の項目に移ります。健全な民主主義社会を作っていくという点で、政治とメディアの問題に戻りますと、いつの時代でもメディアと政治の間にはいろいろな形の緊張関係があったわけですが、政治の側からメディアへの注文というものがあれば聞かせて下さい。

牧原 テレビでいいますと、もう少しまじめな番組が多ければいいなというのは、正直最近思います。例えば私はBBCとかCNNとかもよく見るのですが、もし仮に、ある国民がイギリスのBBCをずっと見続け、別のある国民が日本のテレビ番組を見続けたら、おのずから違う人間ができそうな気がするのです。どうしても視聴率を取ったり売り上げを伸ばしたりという、コマーシャルのプレッシャーというのがあるので、日本のテレビ現場の方は、ジャーナリズムとコマーシャリズムの狭間でいつも苦しむのだと思います。

 しかし私としては、日本人の一つの変えたい点ということでいえば、どこか「井の中の蛙」になっているところですね。例えばアフリカのガボンで大統領選挙をめぐって紛争が起きているということよりも、誰かと誰かが不倫しているといったニュースのほうが大々的に報道されて、みんながそれは知っている。でも、もしかすると世界に大きな影響を与えるかもしれない海外でのニュースはそれが重要だとは思えない構造にみんなによって仕立て上げられているような気がするのです。

 このバランス感覚のなさという問題は、この国の少子高齢化が進んで、きちんと世界情勢を踏まえた戦略を立てていかなくてはいけないという時には障害になるではないか。そんな危機感が私の中にはすごくあります。

 新聞についても、この新聞は例えば年金や社会保障を語らせたら天下一品で、やっぱり年金のことはこの新聞を読もうとかいうふうにもっとなったらいいなと。あるいは格差の実態をこの新聞はほんとうに足で稼いで現場をよく見ているとか、このテレビは海外の紛争地域にリスクを冒(おか)して記者が行っていて海外の恐ろしい実態を一番よく知っているとか、何かメディアごとにそういう特徴がもっとあるといいなと、一人の、メディアというか表現の自由を愛する者としては思います。

BBCとNHK

松本 BBCに言及されましたが、BBCのDNAというのは、究極のところは「健全な権力批判をするというスタンスが揺らがない」という点ではないかと私は考えています。イラク戦争を始め、過去における国家の緊急事態に際しても、BBCはイギリス政府に迎合することなくジャーナリズムとしての姿勢を貫き、「戦争」という大きな力に流されがちな「真実」に迫る報道に努めたことはよく知られています。

 とりわけ2003年のイラク戦争の際は時のブレア政権と完全に対決する形となり、ブレア政権がBBCにプレッシャーをかけてトップ2人が退陣に追い込まれましたが、それでも報道現場も含めてBBCで働く職員らは一歩も引かなかった。そして結局、BBCの報道が大筋では正しく、ブレア政権が間違いを犯したという歴史の審判が下りました。首相官邸からどれだけ激しい攻撃を受けても、結局、報道は揺らがなかったし、そしてその姿勢を英国市民が支持したという点は実に素晴らしい。私たちが学ばなければいけない点だと思います。

 もちろんNHKにも信頼すべきジャーナリストや、「NHKスペシャル」を始めとする素晴らしい番組を作る人たちがいて、折りに触れてその方々や番組から刺激を受けていますが、こと「権力批判を恐れない」という点ではBBCとは決定的に違う組織なのではないか?と私は危惧しています。そんなNHKが今後、真の意味で「政府から独立した国民のための放送局」に生まれ変わるかどうか、その姿勢を鮮明に打ち出す日が将来やって来るかどうか、注視しているのですが。

牧原 BBCには世界中の信頼がありますよね。

松本 BBCのような信頼感を日本のメディアも獲得したいものです。

牧原 そう思います。

松本 是々非々で、政権を批判する時は批判する。そうした健全な政権批判はジャーナリズムがはたすべき仕事の根幹に位置するものであり、民主主義の基本ですから。政権批判をすることがあたかも偏向報道であるかのような誤解をされている政治家も一部におられるのではないかと思うことがありますが、政治の側もそこを超えていかないと、健全な民主主義社会はなかなか生まれないのではないかと思います。

牧原 その際、政治家として若干フラストレーションがあるとすると、「それは正しい基盤に基づいた批判なのか?」という、そこのところだと思うのです。

 テレビ局が街頭インタビューをして、よく「賛成」「反対」でボードにシールなんか張ったりしているじゃないですか。「よくない」50人、「いい」20人というのを視聴者に見せた上で、「悪い」という人のコメントを出してくれればいいと思うのですが、例えば100人のうち99人は「いい」と言ったのに、「めちゃくちゃ悪い」と言った1人をあたかも代表選手のようにして出してしまうと、それははたして健全な批判と言えるかとなってしまうと思うのです。その辺の信頼感があることが私は重要だと思います。

 もちろん、政権側、あるいは官僚というものも自分たちに都合のいいデータを用いることがままあります。政権側が仮に数字のマジックを使って何か悪いことをやったような時は、「このやり方はおかしい。うちの社が独自に適正にデータを集めたところこんな結果が出た。だから政権側のいう数字は怪しい」といった批判は私も大いに結構だと思います。しかし、一部のデータだけを「はじめに結論ありき」で使ってはいけません。

政治家の「お上意識」を変えたい

水島 牧原さんご自身、どういうところを目指して政治家を今やっていらっしゃるのか、その際にメディアというものとの向き合い方をどうお考えなのかを最後にお話しいただければと思います。

牧原 現段階において日本の政治のレベルや質を考えると、まだまだ「お上意識」があると個人的には思っているんです。政治家の仲間と話していると、むしろ政治家をもっと偉くすべきだという意見のほうが多いのですが、理想としては、政治家というのは、極めてボランタリーに国家国民のことを考えて無私の精神でやることによって、国民がより幸せになる、こう思うのです。

 今の政治で言うと、もう少し、弱い人、つらい人、頑張れない人、苦しい人に、同じ立場に立って目を向ける、少なくとも視線が必要ではないかと思っています。民主主義や表現の自由に対して、もう少し真摯に意味を理解し、理解することによって自然に謙虚になると思います。

 それから、私は視点を常に世界に置いているので、日本国内だけで何かができる時代が終わりつつあり、日本が世界とどのようにつき合っていくことができるのかということを、もう一度、我々は考えるべきだし、政治はそこをきちんと考えてリーダーシップを発揮していくべきだと思います。それから、財政上のことで言えば、もう少し未来の子孫への思いやり、配慮を真剣に考えるべきだと思います。

 ざっくり言うと、こういうことを私は考えているので、あまり細かい憲法のこととかだけにとらわれる政治は嫌なんです。あと、民進党がどうだとか何党がどうだとかいう足の引っ張り合いみたいなこともあまりやりたくない。日本が世界とどうつき合うかを視野に入れた政治をみんなで議論し合う、そういう風潮を政治全体に作っていきたいなと思っています。

牧原秀樹 衆議院議員、自民党副幹事長、ネットメディア局次長、自民党青年局長 1971年生まれ。東京大学法学部、ジョージタウン大学卒業。ニューヨーク州弁護士登録。経済産業省通商政策局通商機構   部を経て衆議院議員選挙に埼玉5区から立候補、初当選。現在、衆議院議員(3期)。自民党国会対策委員  会副委員長、衆議院議院運営委員会理事なども務める。
水島宏明 ジャーナリスト、上智大学文学部新聞学科教授 1957年生まれ。東京大学法学部卒業。札幌テレビ、日本テレビでテレビ報道に携わり、「NNNドキュメント」ディレクター、「ズームイン!」解説キャスター等の後、法政大学社会学部教授を経て16 年4 月から現職。主な番組に「ネットカフェ難民」など。主な著書に『内側から見たテレビ』など。「ヤフーニュース・個人」で報道に関する記事を発信中。
松本一弥 朝日新聞WEBRONZA編集長 1959年生まれ。早稲田大学法学部卒。東京社会部で事件や調査報道を担当した後、月刊「論座」副編集長、オピニオン編集グループ次長、月刊「Journalism」編集長を経て現職。メディアの戦争責任を徹底検証した「新聞と戦争」で総括デスクを務めた。著書に『55人が語るイラク戦争ー9.11後の世界を生きる』(岩波書店)、共著に『新聞と戦争』(上・下、朝日文庫)。

牧原秀樹さん(左)と水島宏明さん牧原秀樹さん(左)と水島宏明さん

(撮影:大嶋千尋)