「死語」が再浮上し、世界中でひろがるのはなぜか
2016年11月08日
沖縄の米軍ヘリパッド基地工事反対のデモ隊員に大阪府警の機動隊員が「ボケ、土人」「黙れ、コラ、シナ人」などと、きわめつきの差別発言を放ったことが問題となっている。ヘイトスピーチの国家堂々版だ。
さらには10月18日のこの発言を確認した松井一郎大阪府知事が「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」とツイッターするに及んで、一介の警察官のストレス状況の中での発言にすぎない、と大目に見るわけにいかなくなった。
構造的な根は深いようだ。とはいえ、最近の現象で驚くべきことが少なくとも3点ほどある。
驚くべきことの第一は、かつては仲間内でだけ使っていたか、あるいは仲間内ですら、「ここだからいいけど、人前では言うなよ」と注意されていた侮蔑表現が、いまやなんのためらいもなく使われていることだ。
じっさい「土人」という言葉は長いこと死語だった。福沢諭吉が『世界国尽』や「文明教育論」での、「一等国」のヨーロッパ諸国をトップにおいた民族ランキングで、アフリカの「土人」などを最下層に置いて以来(「亜非利加の土人に智識少なし」)、長いこと差別的なニュアンスを持っていた。竹山道雄の『ビルマの竪琴』でも、主人公が「土人」に化けたり、あるいは「土人」の食人種に捕まったりのシーンが出てくる。しかし、これも改訂版や映画では削除されている。「ちょっと具合悪い」からである。
筆者の子供の頃はまだ山川惣治の『少年王者』とか『少年ケニヤ』などにワクワクしていた。「ライトニングジープ」「アメンホテップ」(もしかしたら主人公ワタルの父)などと言っても、もはや知る人も少ないだろう。そうした物語の中で常に「土人」が出てきた。「好意的差別」といってもいいが、形容矛盾で、今ではやはり「ちょっと具合悪い」だろう。まさにそのゆえに、この言葉は長いこと使われなかった。
実際に沖縄暴言直後のメディアの街頭インタビューでも、「ええ、どういう意味?」といった反応も結構あったようだ。アイヌ差別の「北海道旧土人保護法」(廃止されたのは驚くなかれ1997年)という用法もあったが、無意識の差別に乗っかったお上品な世界では、「アイヌは土人」と言う人はいなかった。
欺瞞は欺瞞で一定の文明化作用をもつ。「シナ人」も石原慎太郎がよく使っていたが、これも彼の世代の常用語を挑発的に復活させただけで、長いこと死語だった。そうした語彙がまさに自覚的に再活性化されているようだ。
驚くべきことの第二点は、この「シナ人」である。
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