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[18]「虐殺を告発しても人の心は変わらない」

『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』(西崎雅夫編著)の重さ(下)

伊東順子

被害者側の証言が少ない理由

 この本『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』の特徴の一つは、収められた1100もの証言のうち、被害者側によるものが極めて少ないことだ。

 これまで歴史的な事件を告発する本の多くは、被害者側の証言を中心に綴られてきた印象が強い。ところが本書において、韓国・朝鮮人による証言はわずか39に過ぎない。その他には中国人の証言が10、残りは全て日本人によるものである。

関東大震災 護送される朝鮮人拡大関東大震災のあと、陸軍に護送される朝鮮人=1923年9月
 既に述べたように、本書に登場する証言者の年齢、職種、階層はバラバラであり、文筆家もいれば、小学生もいるし、中には皇族方の日記等も混じっている。

 実に多様な層による証言が事件を立体的に見せる一方で、被害者側からの告発部分だけが大きく欠けている。なぜだろう?

 最大の理由は言うまでもなく、直接の被害者たちが殺されてしまったからだ。当たり前だが、殺人事件では被害者本人が事件について語れない。

 その上で九死に一生を得た人々等による39の証言が収録されているのだが、その中には80年代初期に編著者の西崎雅夫さんたちが韓国に赴き、じかに聞き取り調査をしたものも含まれている。

 「追悼する会で渡韓調査を実施したのは1983年、1985年、1986年、1989年の4回です。そのうち、私は1983年と1985年の2回の調査に参加し、10名の生存者にお会いすることができました」

 ふりかえる西崎さんは、一度目の訪韓の時はまだ大学生だった。彼がメンバーの一人となった「追悼する会」とは、荒川土手の遺骨発掘に参加した人々によって1982年に結成された「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会」(のちの「追悼する会」)のことで、今も毎年9月に慰霊祭を行っている。当時大学生だった西崎さんも、今では白髪頭になってしまった。

 渡韓調査で面談できた生存者のほとんどは「元留学生」であり、彼らは「日本語が話せたことで九死に一生を得た」という。しかし、震災当時の日本にいた朝鮮人の大多数は、日本語のできない出稼ぎ労働者だった。「1100の証言」の向こう側にある「圧倒的多数の無言」。事件の全容はいまだ「無言の宙」に浮いたままなのである。

 訪韓調査にあたり、地元韓国の新聞やテレビなどの協力も得られたが、新しく生存者を見つけることは困難を極めた。30年以上前とはいえ、当時すでに関東大震災から60年もたっていた。20歳だった人が80歳。今でこそ韓国にも元気な80代は多いが、当時としては明らかに「遅すぎた」調査だった。

日韓政府の責任

 もちろん、西崎さんたち以前にも、この問題に取り組んだ大勢の人々がいた。なかでも1963年にみすず書房から出版された『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』(姜徳相・琴秉洞編)は、もっとも先駆的かつ包括的な資料集であり、その範囲は当時の電報や公文書、言論機関の報道や議会での答弁、さらに一般人の目撃証言まで多岐にわたる。

 全646ページの重厚な資料集からは、事件の全容を明らかにしようとする編者たちの必死の思いと、しかしながら肝心のものが出てこない苛立ちと悔しさを感じる。

 「軍関係の公文書は、敗戦時に多くが焼却されてしまいました。だから、虐殺事件の実態は明らかにされないのです。ただ、どこかに眠っている可能性はあります。役人というのは、いざという時のために、こっそり保管する癖があるのです」

 だからこそ、西崎さんは日本政府に対しても、事件の真相究明を求めてきた。政府が自らの責任として真相究明に当たらない限り、事件の全容は明らかにされない。そしてその「不明」が「新たな流言」(「歴史修正主義」など)や「新たな隠滅」(教科書からの削除など)を生み出していく。

 ところで、震災時の虐殺事件では、朝鮮人だけでなく中国人も犠牲になっている。こちらは、中国人が外国人であったために外交問題となり、不完全ながらも調査が行われ、外交文書も残された。ところが、朝鮮は日本に「併合」されており、外交的に抗議する主体は失われていた。殺された朝鮮人は、当時はすべて「日本国籍者」だったのだ。

 かつて生存者たちは、訪韓した西崎さんたちに、こんな風にも言ったという。 ・・・続きを読む
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筆者

伊東順子

伊東順子(いとう・じゅんこ) フリーライター・翻訳業

愛知県豊橋市生まれ。1990年に渡韓。著書に『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)等。

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