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[2]五木寛之氏に聞く―乱世を生き抜く力と知恵

五木寛之VS島薗進VS鎌田東二

松本一弥

※これは、2016年10月29日に上智大学での講演(五木寛之「悲」の力~乱世を生きぬくために)に続く形で行われた、作家の五木寛之氏、上智大学大学院グリーフケア研究所所長の島薗進氏、上智大学グリーフケア研究所特任教授の鎌田東二氏による鼎談(いずれも上智大学グリーフケア研究所とNPO法人東京自由大学の主催)をもとに、再構成のうえ加筆修正したものです。

法然、親鸞が生きた乱世の時代

鎌田東二さん(左)、五木寛之さん(真ん中)、島薗進さん拡大鎌田東二さん(左)、五木寛之さん(真ん中)、島薗進さん

鎌田 家族を亡くすことが、どれほどその人の信仰とか、世界観に影響を与えるかというのは大きな問題です。喪失の中でも、グリーフの中でも、特に近親者を亡くすことの喪失感や痛みはかなり大きいと思うんですね。

 僕のほうからは、乱世という観点から、話に出てきた法然上人や親鸞上人の時代のことを見てみたいと思います。法然が生まれたのが1133年。島薗さんが話された保元の乱、この乱が武者の世、武士の世になっていくきっかけの乱で、皇位継承をめぐって親子兄弟が敵対し、戦いあった乱でした。その保元の乱が起こったのが1156年です。

 ということは、法然上人は23歳で保元の乱を経験した。法然は9歳でお父さんを亡くして出家した。比叡山に上がって、そこで修行して、23歳の時、都が戦場になって保元の乱が起こった。この頃法然は、「智慧第一」とうたわれながら、一生懸命勉強している青年時代の最中だったと思うんですが、そういうときに都の中心地で皇位継承をめぐる大きな戦いや乱が起きた。それは崇徳上皇と後白河上皇の対立で、「梁塵秘抄」はその後白河天皇が上皇になってまとめていった今様の集成ですね。

 そしてやがて、平氏の時代になる。そういう中で親鸞上人が現れてきた。親鸞上人は1173年生まれですね。1173年生まれっていうことは、9歳で出家してまもない時期に、1185年に源平の合戦になって、壇ノ浦で平氏が滅亡します。その親鸞上人も若い頃、お母さんを亡くして出家しますが、最初に弟子入りしたのが慈円上人という偉いお坊さんだった。この人が九条兼実という藤原摂関家の第一人者の摂政関白の実の弟で、後に天台座主を4回もした人です。

 その慈円が生まれたのが1155年で、保元の乱の前年に生まれています。そして親鸞上人はその慈円上人のもとで、最初、出家得度を行う。そういう時代の貴族も皇族も、庶民も、戦いの中で大きな喪失を経験した。また、「方丈記」で語られている地震や疾病、病気がいっぱいある中で、死者が五条河原や四条河原に累々としているような状況の中で、この時代の仏法の救いを求めた。そして近親者を亡くした人かがその中で救済を求め考えていった時に、源信などが語っていた地獄や極楽の観念の世界が、本当に具体的に現実の中に重ね合わせられて見えてきたのです。

一息でとなえられる「南無阿弥陀仏」の救い

島薗進さん拡大島薗進さん

鎌田 その中で本当に一筋の救いがどのような形であるのかっていった時に、最後の決断として、一息で救いの言葉が言える言葉を法然が編み出したと僕は思うんですよ。

 大事なことは一息。「南妙法蓮華経」ってちょっと一息では難しい。「南妙法蓮華経」はけっこう力がいるんですよ。南妙法蓮華経。二息、三息ぐらいです(会場・笑)。

 だけど、死ぬ前に、息を引き取る前に「南無阿弥陀仏」は唱えられる。「はー」っと死んでいく時にも一息で唱えられる、ここにすべてのものの救いがある。一息、一言で言えるっていうことはすごい革命的な、もう本当に一つの新しい真言だったと思うんですね。

 歌とかはやっぱり長いし、なかなか力がないと歌えない。だけど「南無阿弥陀仏」だと、「はー」って念じながらすぐ言える。これは本当に庶民にとっても、死というものを目前にしたメメント・モリの時代にはとても大きな救済であり安心であった。

身体的な実感があってこそ安心できる

鎌田 そういう称名念仏が「悲」、悲しみや苦悩を乗り越えていく力になったんですけど、僕として注目したいのは、やっぱりその時の声とか息とか身体、体の中でしっくりと安らぎを感じられないと、人間っていうのは安心する実感がやっぱり最終的にないと思うんですよ。体がほぐれていくっていう、体から、はーっと楽になっていくような、ほどけていく感じ。これを法然は伝えて、それを親鸞が体現した、それを生ききったと思うんです。

 声と歌の問題にもつながってきますが、五木さんはその時代の悲しみをどういうふうに感じたか、またそれを越えていくような力や技をどうお考えでしょうか? 「梁塵秘抄」もその一つだと思うんですけど。

西田幾多郎が直面した「人生の悲哀」

五木 庶民は「なんまんだぶ」って言いますよね。「南無阿弥陀仏」とかって言わない。それは極限状態までいくと、結局、一遍の踊り念仏なんていうのがそうかもしれませんね。歌うだけではなくて、もう熱狂的に、ディスコのような、踊り狂うというような。やっぱりああいうのはすこいなというふうに思います。

 それとさっきの鎌田さんのお話なんですが、これは島薗先生は一番地元ですからお詳しいと思いますが、有名な西田幾多郎の晩年の場所的論理と宗教的……何でしたっけ(「場所的論理と宗教的世界観」)。あの中でやっぱり、僕らふつうの同人雑誌をやってるような文学青年でもその言葉を使うと「おいおい」って言いたくなるような、そういう表現がぽろぽろっと出てくるんですよね。「人生の悲哀」っていうんですが、悲しみが歌われていますね。西田幾多郎の。

鎌田 実際にお子さんを失われて、心にしみるエッセイを書いていますね。

五木 ですからあれだけの知性の持ち主が晩年にああいうものを書いた。結局、回心という、心をめぐらせて、例えば何かに出会うっていうことの最初のきっかけはやはり人生の悲哀に直面したときではないか。一番終わりのところでつけ足しとして、「哲学の発生とか起源もそういうところから始まるのではないか」という意味のことを書いているのを読んで僕は、すごくぎょっとしたというか、西田さんみたいな人が「人生の悲哀」っていう言葉を使うかねって思ってびっくりしたことがあったんですけど。やはりそこには非常に生な形での、彼が直面した悲しみっていうものがよく出ているなと思いましたね。

むしろ聞こえてくるんじゃないか

島薗 「なんまいだ」の話なんですが、死ぬときに、まあ口に出して言えればいいということなんですが、むしろ聞こえてくるんじゃないですかね。つまり他力という考えでいえば、自分で唱えるんじゃなくて、世界の響きが自分の中に響いてくるというふうな感覚で。いま、浄土宗から浄土真宗で十念をしますね、10回やりますよね。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……最後に「南無阿弥陀仏」と終わる。あれはやっぱり音楽的なのがあると思いますよね。法然が流された理由の中に、若い弟子がすごく声がきれいで、宮廷の女性が誘惑されたというふうに、まあこれは悪意があって、そういうとらえ方もあるもんですが、やっぱり念仏の中にはエクスタティックになる要素っていうかね、それがやっぱりあるんじゃないかなという気がしますね。

念仏会はジャニーズのコンサートだった!?

鎌田東二さん(左)と五木寛之さん拡大鎌田東二さん(左)と五木寛之さん

 

五木 そうですね。法然が唱えた念仏というのは、それまでの念仏というのが頭の中に仏の世界、極楽の世界を思い描きながら心に唱える、観想念仏って言いますが、イメージするというものだった。そういう念仏から、今度は声に出して、高らかにそれを唱える口称念仏になっていった。法然の弟子たちの中にもいろんな人たちがいたんです。中にはジャニーズ系みたいなね(会場・笑)、そういう人もいっぱいいて。安楽房遵西とかね、こういう人たちはルックスがよくて、若くて、歌がうまくて。

 それで念仏というけど、その当時の念仏はね、全部メロディーがついてるわけですね。天台でも中国五台山から伝わった壮大な合唱音楽です。それで繰り返し、繰り返し、そのメロディーをずーっと歌い上げていくんです。その念仏会という、まあコンサートみたいなものがあちこちであって、それで安楽房遵西なんかが出て歌うと、普通の人には出ない高音で彼は念仏を歌った。ふつうの人の出ないところの高音域まで彼は出たし、それからクライマックスになると、決まった通りのメロディーではなくて、即興でメロディーを作って歌った。インプロビゼイションですね。ジャズと一緒です。

 その声は何とも言えず素晴らしかったために、集まった観衆はみんなもうそれこそさっきおっしゃったエクスタシーの中に落ち込んでいって、法悦境の中に入ってしまった。宮中から来た官女たちがもうそれに夢中になって帰らなくなっちゃうっていう、そういうことがスキャンダルの大きな原因になるわけですけども。

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筆者

松本一弥

松本一弥(まつもと・かずや) 朝日新聞WEBRONZA編集長

1959年生まれ。早稲田大学法学部卒。朝日新聞入社後は東京社会部で事件や調査報道を担当した後、月刊「論座」副編集長、オピニオン編集グループ次長、月刊「Journalism」編集長などを経て現職。満州事変から敗戦を経て占領期までのメディアの戦争責任を、朝日新聞を中心に徹底検証した年間プロジェクト「新聞と戦争」では総括デスクを務めた。著書に『55人が語るイラク戦争ー9.11後の世界を生きる』(岩波書店)、共著に『新聞と戦争』(上・下、朝日文庫)。

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