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「ポスト真実」の本質に迫る

オバマ氏とトランプ氏を結びつけるものがある。それは「意志力の崇拝」だ

森本あんり 国際基督教大学学務副学長

テリー・イーグルトンの予見

ワシントンの米連邦議会議事堂前での就任式で宣誓するトランプ大統領=1月20日、ランハム裕子撮影ワシントンの米連邦議会議事堂前での就任式で宣誓するトランプ大統領=1月20日、ランハム裕子撮影

 イギリス人にとって、「憂鬱(ゆううつ)」は一種の宗教的義務である。アメリカ人にとっては、「楽観」が宗教的義務である。

 「トランプ氏の台頭を予見した」と評される書物は少なくないが、もしそういうコンテストがあるなら、テリー・イーグルトンの『アメリカ的・イギリス的』(注)は入賞間違いなしだろう。

 原著が出版されたのは2013年、まだトランプ候補の名前が地平線にものぼっていない頃である。すでにその時点で、同書はドナルド・トランプという一人のアメリカ人の輪郭が浮き彫りになるような観察をしており、実際にトランプ氏の名前を「まちがいなく自分のことを目覚ましい成功者と感じている」人間の典型として挙げているのである。

 アイルランド系でイングランド生まれ、文学・哲学・神学などの思想分野で鋭敏な評論活動を続けるイーグルトンは、アメリカ人の妻子を家族に抱えており、英米双方の気質の違いをいや応なく日常的に体験する立場にある。比較は常に一面的なステレオタイプに陥る危険があるが、本人はそれを先刻承知の上で、いかにも楽しげに、ときに辛辣(しんらつ)に、二つの国民性を並べて語っている。

青年時代のトランプ氏が心酔した牧師とその著書

 「ポスト真実」は、イギリスのEU離脱とアメリカの大統領選挙という二つの世界的な驚愕(きょうがく)を受けて広がった言葉だが、イギリスとアメリカではその方向性が大きく異なっている。

 冒頭に掲げたイーグルトンの一節もそうだが、特にアメリカ的な文脈で「ポスト真実」を論じる場合には、「ポジティブ思考」の延長線上でこれを理解する必要がある。

 トランプ氏は、青年時代に「ポジティブ思考」の元祖ノーマン・ヴィンセント・ピール牧師に心酔して彼の教会に通いつめた。戦後アメリカのベストセラーを3年にわたって独占し続け、全世界で二千万部を売り上げたという『積極的考え方の力』(注)の著者である。

 まさにこれが、宗教的義務となった楽観論である。ピールは、困難な時にも自信を失わず、物事のよい面だけを見つめ続け、聖書から引用した肯定的な言葉を3回繰り返して唱えるよう勧めている。そうすると、目の前の現実の見え方が変わってくる、というのである。同じ事実でも、見方によって変わる。これぞ「ポスト真実」の極意である。

 トランプ氏も、しばしば同じ短いフレーズを3回繰り返す。あたかも、それを繰り返すたびに真実味が増してくる、というように。これは、18世紀以来アメリカの福音主義伝道者たちが用いてきた古典的な伝道の手法で、ピール自身もそれを活用している(注)。

「プラグマティズム」の焼き直し

移民や難民の入国を制限するトランプ氏の大統領令に対し、ホワイトハウス前で行われた抗議運動=1月29日、ランハム裕子撮影移民や難民の入国を制限するトランプ氏の大統領令に対し、ホワイトハウス前で行われた抗議運動=1月29日、ランハム裕子撮影

 イーグルトンによると、「ポジティブ思考」とは「何かを記述する方法」ではなく、「何かを行う方法」のことである。だからそれが正しいかどうかを外部から承認してもらう必要がない。真実かどうかは二の次で、とにかくそれでうまく機能すればよいのである。

 こうしてみると、何のことはない、それはアメリカ哲学の原型とも言われる「プラグマティズム」の忠実な焼き直しであることもわかる。プラグマティズムにおいては、ある命題の真理値は、迂遠な議論による検証ではなく、それが実践に役立つかどうかで決定されるからである。

 18世紀の福音主義的な大衆リバイバリズム、19世紀のプラグマティズム哲学、そして20世紀のポジティブ思考。これらをごく自然に延長した線の上に、21世紀の「ポスト真実」論が連なっている。そして、その線上を機関車のように突っ走るのは、アメリカの「意志力崇拝」である。

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