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[4]平和は一人一人の尊厳の尊重から始まる

安全保障という名前のもとで、いま私たちの生活保障は緊急事態だ

岡野八代 同志社大学教授

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、2016年6月10日に立教大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

講演する岡野八代教授

 ここでは、大沢さんの言葉を引いてあります。日本の特徴として、まず言えるのが、日本は非常に働き者の国で、家族全員が就業しているような世帯もたくさんあります。にもかかわらず、そうした世帯の貧困率が非常に高い。もう一つは、貧困削減率が極めて低いだけでなく、さっき言いましたが、マイナスになっているんです。政府が介入すると、貧困層にとっては、貧困率が高まる。ここでは、大沢さんはっきりおっしゃっています。「稼得して税・社会保障を負担し、子どもを生み育てることが、いわば罰を受けるのであり、お金の流れがグロテスクなまでに歪んでいる」と。繰り返します、グロテスクなんです。

学生の自己責任を強調する政治家

 子どもの貧困対策委員会で、高等教育は自己責任だ、義務教育さえしっかりしてればいいんだみたいな発言を政治家がした。でも高校生、大学生が自己責任で授業料を払えますか? 高校生や大学生は勉強しないといけないのだから、労働権が阻害されているともいえるわけですから、彼女たちに給料を支払ってもいいぐらいです。社会人となって、この社会に税金を払ってくれるために、自分でトレーニングしてくれているわけでしょう、学生は。感謝してもいいぐらいなのに、自己責任で授業料まで払えという、政治家がいる。この国の国民は税を払って、さらに罰を与えられる。大沢さんは、この国はお金の流れが「グロテスクなまで歪んでいる」と厳しく、『生活保障のガバナンス』の中で批判しているので、ぜひこの本は読んでいただきたいと思います。

 日本は、正規で就業する男性中心の第二世代の個人主義のままです。ですが現行の憲法というのはそれをもう一歩踏み出して、第三世代の個人主義をとろうとしていると思います。第三世代という新しい時代を、大きく象徴しているのが、私は24条だと思っています。それに対して、自民党の改憲草案では、「家族で助け合え」と。皆さん、もう言われたくないですよね。その家族からお金や時間をかすめ取っていくのはだれですか? 改憲草案は、24条の第一項に、「家族は、互いに助け合わねばならない」と入れようとしています。

個人の尊厳をうたった憲法24条は活かされていない

講演する岡野八代教授
 現行憲法の24条で、日本国憲法の中で唯一、個人の尊厳という言葉が使われています。これはとても大切な条項で、私はこの条項はいまだに活かされていると思っていません。なぜかというと、いままで見てきたように、母役割だったり、妻役割だったり、娘役割だったり、家族の中で果たさないといけない役割の中で、本来であれば、そういった様々なしがらみから解放されて、自由な夢を見られる、価値がある、個人として尊重されるはずの女性が、あまりにも家族の中の負担が多くて、自由になれないからです。

 憲法は、家族、扶養それから婚姻や離婚、財産権、そして親族に関するその他の事項は個人の尊厳に立脚して制定せよと言っているわけです。つまりこれは、家族の中で非常に重い責任を担わされてきた女性たちの、特に日本のそれまでの歴史の中から学んで、ここに唯一、個人の尊厳に立脚せよと憲法に入れたわけです。

個人の尊厳の理念を台無しにする自民党改憲草案

 この意味は冒頭に話したように、個人というのは、女だからという理由で、そこだけで評価されることもないし、家族の中でどんな役割を果たしているかによって社会的に差別や抑圧を受けない。社会の中で女だからということで否定もされないというとても大切な個人という理念を帳消しにし、家族の中でこそ女性たちは力を発揮しないといけないということがはっきり書かれている。個人という理念を台なしにしようとしているのが、自民党の改憲草案です。しかもこの日本の現実を改憲を推し進める政治家たちは見ていない。24条の改憲草案は「家族は助け合ってね。国は助けませんよ。税金だけは払ってくださいね」という宣言に等しい。

 きょう皆さんに説明したように、

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