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森友学園の籠池泰典理事長拡大「時の人」になった森友学園の籠池泰典氏

群れない人、義憤の人、現場の人

3月7日(火) 風邪で鼻水がとまらない。のどが痛い。絶不調。北海道新聞の書評のために読んでいる『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』(青土社)。立岩真也という共著者の文体というか、著述のスタイルがユニークというか、記述と思考が同時進行していくライブの感触がある。不思議な感覚だ。そこに引き込まれる。

 局の定例ミーティングのあと、あしたの沖縄行きの準備。ニコルソン四軍調整官に直接話が聞けるチャンスだ。森友学園問題の取材にワイドショーも参戦してきている。キャラが強烈ということもあるのか、視聴者の関心がものすごく高いのだそうだ。

 14時からTBS近くのイベントスペース「赤坂シュビア」で「吉永春子さんを偲ぶ会」。100人近い人々が訪れていた。式辞が続いた後、故人の業績を偲ぶDVDが会場で流された。そのなかに見たことがない映像があった。吉永さんが今の放送人のありようについて痛烈に批判しているくだりで、どこかの社員教育研修か何かで話した内容らしかった。下請けいじめに自分の存在価値を見出す類の社員に対して怒りを露わにしていた。参列者には見た顔もいれば、なぜこの人がここにいるんだいと皮肉を言いたくなるような人物もいた。吉永さんは群れない人、義憤の人、現場の人だった。TBSのOB仲間内では毀誉褒貶の幅が大きい人だったが、残した作品はすごい。プロの放送人だ。

 会は前半で辞去し、埼玉県久喜市へ。福島第一原発事故のために、住んでいた双葉郡の酪農の家と土地を放棄させられ、避難先の埼玉で自力で農業を営んでいた鵜沼一夫さんが2月26日に亡くなられた。お焼香と奥様の久江さんへのお見舞い、そして3月11日に『報道特集』で放送するために久江さんへのインタビューを収録させていただいた。インタビュー中に不覚にも涙が流れた経験は最近ではない。鵜沼さんの取材を続けていたSディレクターは、鵜沼さんの悔しさをもっと深く共有していただろう。悲しい。継続的な取材がどれだけ大事なことか。

何とおとなしいことか

3月8日(水) 朝6時40分発の便で那覇へ。空港でSディレクターとKカメラマンらと合流。米海兵隊基地キャンプ・フォスターへ。まだ集合時間までは時間があるので、基地近くのマクドナルドで時間をつぶす。11時半の集合時間に、ゲート前に地元メディアが集まっている。全部で30人くらいか? 顔見知りもいる。ニコルソン四軍調整官とエレンライク沖縄総領事とメディアとのラウンドテーブルがお目当てだが、その前に、沖縄に新たに赴任した軍人・軍属・家族らに対して行われているオリエンテーションを公開した。沖縄県民に対する差別的表現があったなどと、かつて、ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏から批判されたことがあるからか、そういう歴史的な経緯は極力排除されていた。その代わりに日米地位協定(SOFA)はアメリカ人にとって万能カードではない=「Sofa is not a geo-free card. 」などと、特権的な待遇にあぐらをかくなと注意を喚起していた。SOFAの内容自体の不平等性はもちろん問わないのだ。というわけで、全体的には実に緩いオリエンテーションだった。

 その後、ニコルソン中将、エレンライク総領事を囲むラウンドテーブルが始まった。ところが、である。沖縄の記者たちの何とおとなしいことか。「質問はあるか、何でも答えるよ」と言われたのに、誰も手をあげようとしない。僕はこのなかでは東京からわざわざ参加した「よそ者」なので遠慮していたが、いくら何でもひどいので、下手な英語を使って最初に質問する羽目になった。「今日は日本のプレスをお招きいただきありがとうございます。ホワイトハウスのように気に入らないメディアを追い出す代わりにちゃんと招待いただきまして」と若干の皮肉をこめて切り出した。ニコルソン氏は一瞬ニヤリとしたが、続けて、きのう北朝鮮が在日米軍基地を標的にして弾道ミサイルの発射訓練をしたことについてのコメント、さらに2問目には、「辺野古への基地移設は住民からの強い抗議を今も受けて続けている。住民からの支持が得られない中で、米軍基地のpresence はsustainableだと考えているのか?」と。2問目に関して、ニコルソン中将は、辺野古は唯一の選択肢で、これは先頃のトランプ・安倍・日米首脳会談でも確認されたことだと述べた。

 琉球新報の記者がその後フォローアップの質問をしたが、残りは毎日新聞記者の夜間訓練飛行の爆音に関する質問などわずかで、全体的に何とおとなしいことか。その他の記者たちは、はじめから質問することなど考えてもいなかったのだろうか。テレビの記者は、カメラに収録して、あとは帰ってから50秒ほどの原稿を書けばそれでいいとでも思っているのだろうか。何だか東京から勇んできた自分が馬鹿みたいな気持ちになった。なぜか、会見場に明らかに記者とは違う所作の日本人3人がいたので、あとで広報に尋ねたら「ああ、あれは沖縄防衛局の方ですよ」と。何であのような場に防衛局がいるのだろうか。

 風邪がぶり返してきたのでホテルに戻って休んだ。2時間ほど眠ると少し楽になったので、北海道新聞用に『相模原障害者殺傷事件』の書評を書く。

「大本営発表」と「演出」と

3月9日(木) 朝の便で東京に戻る。雑誌「GALAC」に吉永春子さんの追悼文を書くために、『魔の731部隊』(1976年)を久しぶりにみる。あと7人の方々に、知り得たことを電話や面談で確認。追悼文を書くことは重い。書けないこともたくさんあるのだ。

3月10日(金) あしたが<3・11>から6周年ということで、13時から『報道特集』のプレビュー。少しだけ意見を言う。

 午前11時に、韓国憲法裁判所が、パククネ大統領の罷免を認める決定。パククネ女史は、韓国の歴史上、弾劾によって失職する最初の大統領となった。その後、弾劾支持派と反対派がともに街頭に繰り出して大変な混乱になっているとの情報がソウルから刻々と入ってきている。

 そんなさなかに、夕方17時30分から大阪の森友学園傘下の幼稚園で、籠池泰典理事長が記者会見をするとの情報。すでにお昼前からこの情報が回っていて、小学校の認可申請を取り下げて自ら理事長を辞任するだろうとの情報が回ってきていた。夕方のニュースは各局、この籠池会見を生中継していたが、籠池氏が一方的に野党とマスコミ批判を繰り返すばかりで、メディアの側からの突っ込みがない。何とおとなしいことか。

 そんなことを思ってみていたら、NHKがそこに「独自」という赤いロゴマークをつけて「南スーダンから自衛隊撤収」を政府が決定したとの速報。ええっ! 籠池会見から映像は東京のスタジオに切り換わり、例のI記者(解説委員)が登場してきて、これは大変なニュースだとばかり前のめりになっているのだった。安倍首相がそれからまもなくして官邸ロビーに現れて自衛隊の撤収決定をカメラ目線で読み上げ、質問も受け付けず3分で引っ込んでしまった。そしてまたI記者が発表と全く同じ解説。1月で施設活動は5年を超え、すでに十分に実績を上げた。地元政府からも感謝されている。治安の悪化が撤退の理由ではないという点を「政府としては」強調している、と。こりゃあ大本営発表の2017年バージョンだよなあ、と思いながら、籠池会見にぶつけてくる意図の露骨さというか、籠池氏のような一介の民間人のニュースよりもこっちは崇高な使命に関するニュースなんだぞ、という演出を嗅ぎ取ることも不可能ではない。

 いろいろなソースと情報についての吟味。あしたは朝早くいわき駅にJRで行かなければならない。福島県浪江町の請戸海岸からの中継で話すことのイメージを書く。21時30分までにメールで送り、帰宅しようと思っていたらメールが入る。神奈川新聞のT記者らと相模原の事件などの話をする。風邪が完治していないのでアルコールを控える。

退職、退社…

3月11日(土) <3・11>から6周年の日。午前のJRで上野駅からいわき市へ。車中で原稿を考える。KディレクターとKディレクター。中継スタッフは全員がTUF(テレビユー福島)の人たちだ。特急普通車両はすいていた。いわき駅から請戸海岸へはタクシーで移動。正午過ぎにリハーサル。請戸海岸は海からの風を遮るものが何もなく寒い。ほんとうに何にもないのだ。近くの廃校になった請戸小学校をみて慄然とした。

 その後、南相馬に移動して道の駅で昼食をとっているうちに14時46分を迎えた。その場にいた人は全員が1分間の黙祷を捧げた。オンエアはあっという間に終了。TUFの中継陣はちからが入っていて、僕らのオンエア時間スタートが17時30分という日没直後の時間だということを見越してきっちりと照明を仕込んでいてくれた。ありがたい。

 放送終了後いわきまで戻ってJRで東京まで戻る。風邪が完治せず疲れた。式典挨拶で、首相の言葉から「原発事故」という言葉が消えた。森友学園関係で情報収集。『調査情報』の連載「メディア論のかなたへ」の担当編集者Kさんの退職を知らされ、言いようのないほどのショックを受ける。まいった。

3月12日(日) 午前中の便で北海道・旭川へ。これは去年の11月23日に約束していた講演が、直前に起きた福島を含む強い地震の取材でドタキャンになったことの埋め合わせだ。その時に申し訳なくて「必ず行きますから。ただで行きますから」と口走ったのだった。そしてその通りになった。自腹の交通費とただの講演。約束だから仕方がないのだ。故郷の旭川でなければない選択肢。

 空港から講演会場に直行。会場は満杯だ。2時間の講演後に、地元高校生たちとのシンポジウムがあって、これがめちゃくちゃに面白かった。来てよかったと思った。道立旭川東栄高校の放送部(TBSと言うらしい)が「取材」に来ていて、シンポジウムをビデオカメラで収録していた。さらに旭川工業高校の新聞部の生徒が面白すぎて何度も笑わされた。すごいパワーだ。LGBT。トランプ政権と就職。働くことの意味。少年法の改正。学校教育へのタブレットの導入。どれも興味深いテーマだった。終了後、懇親会。共同通信旭川支社のO記者。

3月13日(月) 風邪がまたぶり返してきた。何やってんだか。旧知のM。空港まで送ってくれる。2人で江丹別そばを食べる。15時過ぎに東京に戻る。籠池理事長をめぐってさまざまな動き。微熱が出てきた。沖縄のQAB(琉球朝日放送)のO記者、今月一杯で退社するという。何ということか。三上智恵さんの映画「標的の島 風(かじ)かたか」のパンフレットが届く。美しい装丁に仕上がっている。近刊の集英社新書『スノーデン 日本への警告』ゲラを読む。

 寺山修司のおまじないめいた言葉を思い出す。だいせんじがけだらなよさ。


筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『ロシアより愛を込めて――モスクワ特派員滞在日誌 1991-1994』(筑摩書房)、『二十三時的――NEWS23 diary 2000-2002』(スイッチ・パブリッシング)など。共著に『テレビはなぜおかしくなったのか<原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題〉報道をめぐって>』(高文研)、『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』(角川書店)など多数。

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