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ポピュリズムと民主主義―オランダが問いかける

21世紀の民主主義は自らの「影」と上手に付き合う術を身につけなければならない

森本あんり 国際基督教大学学務副学長

これが最終幕ではない

オランダ南部ロッテルダムで3月13日、討論会に出席した自由党のウィルダース党首(左)とルッテ首相=ロイター 拡大オランダ南部ロッテルダムで3月13日、討論会に出席した自由党のウィルダース党首(左)とルッテ首相=ロイター

 オランダ下院総選挙の結果が出た。「自国第一主義」を掲げて「オランダのトランプ」と呼ばれたウィルダース党首が率いる自由党は、伸長したものの第1党にはならなかった。はたしてこれは、トランプ政権の迷走ぶりを見て有権者の間に躊躇(ちゅうちょ)が広がった結果なのだろうか。

 ヨーロッパの政治日程では、今後もフランスやドイツの総選挙が続くが、これがポピュリズム劇場の最終幕だ、と思う人は少ないだろう。本来なら中道で寛容なはずの与党が「反移民」などの強硬路線を掲げ、ポピュリズムにむしろ寄り添うような姿勢も見せている。ポピュリズムが現代民主主義の舞台から消えてなくなる、ということはなさそうである。

 その一方で、ポピュリズムを悪者扱いする見方こそ浅薄で、メディアや既成権力といった体制側の有権者蔑視を露呈させるものだ、という意見もある。元大阪府知事の橋下徹氏は、本人もしばしば「ポピュリスト」と呼ばれたが、インタビューに答えておおよそ次のように語っている。

――トランプ大統領の誕生は、国民が正当なルールに基づいて現在のエスタブリッシュメントに対する自分たちの不満を表明した結果であって、むしろ民主政治が健全に機能したことを示すものである。インテリはいつも「国民の声を聞け」と言って政府を批判するのに、選挙の結果が自分たちの意に沿わないと見るや、今度はそれを「大衆迎合」「ポピュリズム」という名で非難する。これはいかにも身勝手で侮蔑的な「上から目線」ではないか。(「橋下徹さんに聞く『トランプ現象』」、毎日新聞、2017年1月13日)

ポピュリズム―理解し難いのはなぜか

有権者らとの握手に応じるPVVのウィルダース党首=3月11日、オランダ・ヘーレン拡大有権者らとの握手に応じるPVVのウィルダース党首=3月11日、オランダ・ヘーレン

 「ポピュリズム」を定義するのは難しい。ポピュリストには右も左もあり、保守派も進歩派もあり、国粋主義者もいれば社会主義者もいる。どのような定義をするにしても、それらすべてを一つの定義のもとに包摂することはできない。そして実は、まさにそこにポピュリズムの固有な特徴がある。

 ジョージア大学の政治学者カス・マデ教授によると、ポピュリズムにはそもそもイデオロギー的な理念の厚みが存在しない。従来のイデオロギーは、全体主義にせよ共産主義にせよ、政治や経済から文化や芸術まで、社会全体のあるべき姿を描き出そうとしたものである。

 だが、ポピュリズムはそのような全体的な将来構想をもたない。あるのはただ、「雇用」「移民」「テロ」など、その社会がその時点でもつ特定の政治的アジェンダに限定した語りかけの言説である。だからポピュリストは、あれこれの不特定イデオロギーと結託して世界観的な厚みの欠如を繕おうとするのである。

 当然ながら、その結びつきに方向性や一貫性があるわけではないので、借用物は時と場合に応じて自由に変幻することになる。ポピュリズムを理解することが難しいのは、この融通無碍(むげ)な性格のゆえである。

ポピュリズムと反知性主義

保守政治行動会議でスピーチするトランプ大統領=2月24日、メリーランド州オクソンヒル、ランハム裕子撮影拡大保守政治行動会議でスピーチするトランプ大統領=2月24日、メリーランド州オクソンヒル、ランハム裕子撮影

 橋下氏の場合もそうだが、ポピュリズムはしばしば反知性主義と一体になって発現する。どちらも、既成の権力や体制派のエリートに対する大衆の反感を梃子(てこ)にしているからである。

 イギリスでEU離脱を主導した独立党のナイジェル・ファラージ党首は、パブでビールを飲む姿を公開し、自分が一般大衆の側に立つ「平民」であることを強調した。

 トランプ氏が選挙期間中によく赤い野球帽を被っていたのも、これと同じ戦術である。アメリカ的な文化象徴体系においては、野球帽を被ることには強いメッセージ性がある。それは、「反インテリ」で「反エスタブリッシュメント」という立ち位置の宣言である。

 自分は、小難しい議論をする堅苦しいエリートではなく、「打ち解けた」「話のわかる」大衆の味方だ、というアピールである。反知性主義の起爆力は、ここでも最大限に発揮されている。

 一般にポピュリストは、服装から言葉遣いに至るまで、あくまでも自分が専門家集団の外部に立つアマチュアであることを強調する。プロの政治家はみな腐敗した権力構造の虜で、さまざまな陰謀をめぐらせて既得権益を守ろうとするが、素朴な民衆はいつも騙(だま)されて搾取される被害者である。そして自分こそそういう民衆の利益代表者だ、という想定である。

 民衆はたしかに主権者だが、「自分たちだけが民衆を代弁している」という認識は、政治をいつの間にか「腐敗と不誠実に対する道徳的な闘争」へと変貌(へんぼう)させてしまう。

宗教なき時代の宗教的熱情

 なぜ良識ある普通の市民が、いともたやすくポピュリズムの波にさらわれてしまうのか。

 この疑問は、ポピュリズムを単に強烈な指導者に騙(だま)された大衆の一時的な反動として片付けている限り、解くことができない。

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筆者

森本あんり

森本あんり(もりもと・あんり) 国際基督教大学学務副学長

1956年生まれ。国際基督教大学(ICU)、東京神学大学を経てプリンストン神学大学博士課程修了(組織神学)。国際基督教大学教授(哲学・宗教学)、2012年より現職。プリンストン神学大学とバークレー連合神学大学で客員教授として授業を担当。著書に、『反知性主義』(新潮社)、『アメリカ的理念の身体』(創文社)、『アメリカ・キリスト教史』(新教出版社)、Jonathan Edwards and the Catholic Vision of Salvation (Penn State University Press)、共編著に、『人間に固有なものとは何か』(創文社)、After Jonathan Edwards (Oxford University Press)、Building New Pathways to Peace (University of Washington Press)など。

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