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[1]長時間労働をしなければ食べていけない国

労働問題を自分の身の回りのことにいかに引き寄せて考えられるかがカギだ

松本一弥

 この連載は、2017年3月19日に東京・渋谷のLOFT9で行われた、最低賃金の引き上げなどを求めるグループ「エキタス」(AEQUITAS)が主催したトークイベント「最低賃金1500円とfight for 15」(バーニーサンダースの活躍やオキュパイ・ウォールストリートを支えた、雲と草の根の架け橋)の内容を、加筆修正の上、3回にまとめたものです。

トークイベントの様子拡大トークイベントの様子

エキタス(AEQUITAS)について
 「エキタス」(AEQUITAS)はラテン語で公正や正義の意味。ポスト3・11の路上の政治と労働問題/労働運動をつなげるため、エキタスは2015年9月からソーシャルメディアを中心にキャンペーンを開始。10月からは「最低賃金1500円」を訴えの軸としたデモを定期的に開催している。
 「最低賃金1500円」は労働力のダンピングを食い止め、格差と貧困の広がりに抗する声であり、全世代的な生活の苦しさを告発する叫びだとエキタスはとらえている。エキタスはまた、不公正な立場に置かれている中小企業への政策的な支援もセットで訴えているほか、貧困たたきや月100時間残業法などの問題に対しても緊急に路上の抗議を組織し、人びとの怒りを世間に伝えている。エキタス京都、エキタス東海、様々な労働組合とも連絡を取りながら連携の方法を模索している。
登壇者と略歴

◆小林俊一郎(こばやし・しゅんいちろう) 司会を担当。大学3年生。1996年生まれ。大学入学当初より市民運動に携わる傍ら、地域の労働組合に加盟するなどして労働運動にも関わり始める。エキタスのメンバー。

◆山崎憲(やまざき・けん) 独立行政法人労働政策研究・研修機構主任調査員。中央大学法学部兼任講師。1967年生まれ。在職中に明治大学大学院経営学研究科経営学専攻博士課程修了。博士(経営学)。2003年から2006年に外務省専門調査員として在デトロイト日本国総領事館に赴任。
 著書に『働くことを問い直す』(岩波書店、2014年)、『デトロイトウェイの破綻―日米自動車産業の明暗』(旬報社、2010年)、『フレキシブル人事の失敗―日本とアメリカの経験』(黒田兼一との共著、旬報社、2012年)、『仕事と暮らしを取りもどす―社会正義のアメリカ』(遠藤公嗣、筒井美紀との共著、岩波書店、2012年)ほか。

◆大西連(おおにし・れん) 認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長。1987年、東京生まれ。2010年ごろからホームレス支援、生活困窮者支援に携わり、2014年より現職。著書に『すぐそばにある「貧困」』(2015年ポプラ社)。

◆清水直子(しみず・なおこ) プレカリアートユニオン執行委員長 1973年生まれ。フリーライターを経て2012年4月、プレカリアートユニオンの設立に参加、書記長に。2015年9月より執行委員長。著書に『ブラック企業を許さない!』(かもがわ出版)、『知らないと損する パート&契約社員の労働法 Ver.3』
(東洋経済新報社)、『自分らしく働きたい』(大日本図書)、『おしえて ぼくらが持ってる働く権利』(合同出版)など。

◆栗原耕平(くりはら・こうへい) 1995年生まれ。都留文科大学4年 大学で労働問題を勉強しながら、エキタスで活動を続けている。

◆藤川里恵(ふじかわ・りえ) 1992年生まれ。高校生の時に貧困を経験、大学生の時のアルバイトがきっかけで労働問題に関心を持つ。現在はエキタスメンバーとして活動中。

アメリカの労働運動にインスパイアされて

小林俊一郎さん拡大小林俊一郎さん

小林 エキタス(AEQUITAS)は今、最低賃金を全国一律で1500円にしたいというキャンペーンをやっています。それから、日本の雇用とか経済の中心たる中小企業が非常に追い詰められているということで、中小企業への支援といったことを制度化してほしいというキャンペーンやデモもやらせてもらっています。あとは去年の夏ぐらいに「貧困バッシング」とかがあったじゃないですか。ああいうことに対しても路上でデモをやってプロテストをしているんです。そういう活動をやりたいという人がいたらぜひ参加をお願いします。今ちょっと人手不足なので。

 エキタスが始まったきっかけじゃないんですけど、ぼくらがすごくインスパイア(啓発)されているものとして、やっぱりアメリカの労働運動があるんですね。「Fight for 15」っていう、最低賃金を1時間あたり15ドルに引き上げる運動がありますが、今日のイベントの「最低賃金1500円」っていうのは最初、「Fight for 15」の15から思いついたんです。

 アメリカの場合、地域的に、もしくはかなりミドルクラスに近い範囲で運動が組織されていて、そういった運動が現実に力を持ち、実際の制度を変えてしまうといったような働きをしています。アメリカではそういったことをちゃんとやってるんですが、日本のほうはまだまだまだということで、皆さんで勉強していきたいなぁという思いで今回、このような会を設けさせていただきました。

 それではまず最初に山崎さんのほうからお話をうかがいたいと思います(会場・拍手)。

ワシントンだけ注目していても現実は見えてこない

山崎憲さん拡大山崎憲さん

山崎 これまで、労働運動だけでなく企業経営を含めて、アメリカで新しく起こっていることをみてきました。今、アメリカでは、低い賃金や健康保険や年金がないといった状態に置かれる労働者が増えています。こうしたことを、たとえば強欲な経営者が多いとか、他者に頼らない自己責任論だけで語ろうとするとどうしても問題の本質を見失ってしまいます。

 大事なことは、企業が今どのような働かせ方をしているのかということや、それによって企業が他の企業と競争をしているという、経済や社会システム全体のなかで考えなければならないのです。そうでなければ、実際に働く人がなぜ困っているのかということや、どうやって事態を改善させることができるのか、ということにたどり着くことができません。それが、僕が労働運動と企業経営の両方をみているという理由になります。

 今日は「アメリカの運動に学ぶ」というテーマでお話をさせていただきます。トランプ政権が誕生し、様々な立場の人々が権利を奪われることを危惧して、ワシントンDCで大きなデモが行われたというニュースが世界に報道されています。それをみて、多くの人々が「なぜ違う大統領を選べなかったのか?」とか「アメリカの民主主義はもう終わりじゃないのか」と考えるようになったと思います。

 ところで、ほんとうにアメリカの民主主義は終わりなのでしょうか。ワシントンD.C.だけをみていてもわからないことがあります。そのヒントは、ワシントンD.C.ではないところにあります。それが、アメリカの各都市で最低賃金を15ドルに引き上げようとする運動です。この動きは、トランプ政権の誕生で弱まっているわけではありません。「そういう動きの背景にあるものは何なのか?」ということをお話しさせていただこうと思っています。

自分は何がしたいのか?

山崎 「アメリカに学ぶ」としたこうした運動をみていく前に、第一に考えてほしいことがあります。それは、どうやったら日本でも最低賃金を引き上げることができるのか、とか日本にアメリカのような草の根の民主主義を実現するための方策はあるのか、ということよりも前にあることです。

 それは、そもそも自分は何をしたいのか、ということに立ち返ることです。働く上でも、家族、友達同士でも、何より大事なことは、もっとも自分にとって身近な範囲の中で、何をしたいのかということを考えることです。政治とか、経済とか、国のあり方のような大きな物語を饒舌(じょうぜつ)に語ることができても、その実、自分が何をしたいのか、何ができるのか、という具体的なことで行き詰まってしまう人は少なくありません。

 例えば「最低賃金を1500円にする」という場合でも同じことです。なぜ1500円にしたいのか。なぜ最低賃金は引き上げられなければならないのか。これを、一息で社会正義のためだ、とするのではなくて、もちろん自分自身の生活を楽にしたいということもあるかもしれないけれど、自分の身近な問題に引き寄せて、なぜそうしたいのか、しなければならないのか、そうすればどうなるのか、を突きつめることからアメリカの運動は始まっています。

メーデーの発祥は8時間労働を求めた運動からだった

山崎憲さん拡大山崎憲さん

パワーポイントの資料から
アメリカの最低賃金とは? ●シカゴ・ヘイマーケット事件(1886年5月4日) ・5月1日がメーデー ・労働時間の短縮と賃金を引き下げないことを同時に要求
●1912年マサチューセッツ州が最初 ・連邦政府主導じゃない
●1929年世界大恐慌を経て、1938年に全米規模で登場 ●消費者物価指数と連動→生活できる賃金
●連邦政府主導ではないということをどう考えるか?

山崎 まずは、アメリカの最低賃金のしくみの話から始めましょう。アメリカの最低賃金は日本と違うところがけっこうあります。労働者の日として記念される5月1日のメーデーがアメリカから始まったということは案外と知られていません。不思議なことにアメリカ人でも知っている人が多くありません。

 1886年、シカゴのヘイマーケットという場所で労働者の集まりと警察が衝突しました。労働者は1日8時間労働に労働時間を短縮することを求めるとともに、賃金の据え置きを求めて運動しました。つまりは、労働時間の短縮だけでなく、実質的な賃上げを求めたことになります。このときに、労働者と警察双方に死傷者がでました。政府と労働組合はその抵抗と流血のニュアンスを嫌って、9月の第1月曜日を労働者の日(レーバーデー)としてきたのです。

マサチューセッツ州で生まれた最低賃金

山崎 メーデーはアメリカで最低賃金を引き上げるきっかけとなったと言ってよいでしょう。その後、労働者の声を聞き届けるかたちで、1912年にマサチューセッツ州がアメリカで初めて最低賃金を導入することになりました。こうした動きが各州に広がっていき、やがて連邦政府を動かします。アメリカは日本と同じように、中央政府が首都に置かれています。けれど、最低賃金制度は中央政府が主導して作り上げたものではないのです。

 連邦政府を動かしたのは地方での実験的な試みであり、より積極的な後押しをしたのは、食べるものを買うことができないほどに人々が疲弊した世界大恐慌でした。アメリカの最低賃金が教えてくれるのは、社会を変えるのは必ずしも中央政府から始める必要はなく、むしろ、人々が直接に参加することができる範囲の地域で始まることが、やがては中央政府を変えることができるということなのです。

地域別最低賃金と産業別最低賃金

◆パワーポイントの資料から
最低賃金ってどうやってきまるのか? 日本
地域別最低賃金――都道府県別の新議会が毎年決定
産業別最低賃金――労働協約もしくは公正競争を確保する目的
最低賃金法第一条「賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保証することにより、労働条件の改善を図り、もって労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与すること」
審議会って何? 誰が参加するの? 労使、学識 労働協約って何?
誰がイニシアティブを握っているの? 労働組合ならば労働組合員

山崎 「なぜ最低賃金が引き上げられなければならないのか」ということを考える前に、どのように最低賃金は決められるのかということに触れておきましょう。

 この仕組みは日本とアメリカで大きく異なります。ヨーロッパの多くの国にも様々な仕組みがあって同じではありません。ということは、当然のことながら、どうやって最低賃金を引き上げるのか、という仕組みも同じわけはありません。けれども、やはり、なぜそうしなければならないのか、ということは、自分が参加できる範囲でなければ実感できないことであるのは変わりがありません。

 さて、日本ではどうやって最低賃金が決められているのでしょうか。最低賃金にはいくつかの種類があります。みなさんがよく知っているのは、地域別最低賃金です。これは都道府県別に決められるものです。そこには審議会というものがかかわっています。

 審議会って何でしょうか? 多くは労働組合と使用者の代表と「公益」という中立の立場の人で構成されています。この三者が話し合いをしながら、額を決めるわけです。アメリカの場合だと議会が法律をつくって決めることが一般的です。

 よく知られているほうの「地域別最低賃金」ではなく、あまり知られていないものに「産業別最低賃金」があります。これは労働協約と公正競争を確保する目的があります。ちょっとわかりにくいですね。公正競争は、競争関係にあるところで、ある企業があまりにも安い賃金を払ってしまうと、ほかの企業が不利益を被(こうむ)る可能性があることを防ぐためのものです。もう一つの労働協約ですが、 これはある産業のなかで支配的な労働組合と企業が話し合いをしながらその産業の最低賃金を決めていこうというものです。

日本とアメリカでは最低賃金の決定権者が異なる

トークイベントの様子拡大トークイベントの様子

山崎 日本で最低賃金を決めるときに、だれがイニシアチブを握っているのでしょうか。

 先ほど、審議会と労働協約で決めているといいました。審議会の場合、委員が労働者側の立場にどれだけ立つかということが最低賃金の引き上げにとって重要になります。

 一方で、産業別最低賃金の場合、労働協約であれば、労働組合がイニシアチブを握っています。これは、審議会の委員として参加する労働組合代表でも同じです。

 ところで、「労働組合の代表」といっても具体的に何を指すのか分かりにくいのではないでしょうか。労働組合は、職場ごとにつくられることが普通です。その職場で労働組合のメンバーになった人たちが投票によって代表を選びます。

 つまり、「労働組合」というと具体的にはわかりにくいのですが、だれがイニシアティブを握っているのかと言えば、実は一人一人の人ということになります。つまり、審議会でも労働協約でも、労働組合代表という表面的な実力者がイニシアティブを握っているわけではないのです。

 アメリカの最低賃金は、連邦政府がつくるもの、州や市・郡が国家レベルでつくるものといったように、様々なレベルで存在しています。これらの最低賃金は、それぞれのレベルの議会で法律もしくは条令として定められます。つまり、議会で議決権を持つ政治家が最低賃金についてのイニシアティブを握っているのです。

最低賃金はなぜ引き上げられなければならないか?

パワーポイントの資料から

 ・2015年4月15日 全米236都市 ファイト・フォー・フィフティーン運動 ・時給15ドル

クリーブランド市とニューヨーク市で同じか?
連邦最低賃金は時給7.25ドル 1日8時間、1カ月20日の年収1万3920ドル
 4人家族の貧困ライン年収2万8440ドル 時給15ドルの年収は3万1200ドル

山崎 それではここで、なぜ最低賃金が引き上げられなければならないのか、ということに移りましょう。

 連邦最低賃金は時給7.25ドルです。今のレートだと時給800円そこそこということになります。この時給で、1日8時間、1カ月20日間働いたとすれば、年収で1万3920ドルになります。この金額は、アメリカ政府が定める4人家族の貧困ラインの年収、2万8440ドルを下回ります。つまり最低賃金で働いていると、4人家族を養えないのです。

 これがアメリカで最低賃金を引き上げるべきだとする一つの理由ですが、それだけではわからないことがあります。1日8時間、1カ月20日間働いても貧困ラインに達しないわけですが、企業側はそうしたまとまった時間を働かせないことで、賃金だけでなく健康保険や年金などの社会保険負担から逃れて、人件費コストを引き下げようとすることが横行しているのです。

 ただでさえ最低賃金では生活できないにもかかわらず、まとまって働かせない、これを「細切れ雇用」と僕は呼んでいますが、働く側からすれば、そうすることでなおさら年収が減ってしまうのです。

 時給7.25ドルにとどまっているアメリカの最低賃金を時給15ドルに引き上げる「Fight for 15」という運動が2015年4月15日から広がっています。こ時給15ドルで1日8時間、1カ月20日間働くと、年収3万1200ドルになり、夫婦共働きだったら6万2400ドル、650万ぐらいになります。

客観的事実から見えてくる、最低賃金を上げることの意味

山崎憲さん(左から2人目)拡大山崎憲さん(左から2人目)

山崎 ところで、最低賃金が引き上げられることで影響を受けるのはどのような人でしょうか。重要なことは客観的事実です。

◆パワーポイントの資料から
●重要なのは客観的事実!誰が最低賃金引き上げの恩恵を受けるのか
経済政策研究所
 ・スーパーマーケットなどの小売り産業 ・他の産業よりも賃金が32.4パーセント低い
 ・ワーキングプアが10.1パーセント ・ワーキングプアの労働者のうち41.5パーセントがなんらかの社会保障(年134億ドル)
●NELP
 ・製造業で働く労働者のうち、60万人が時給9.6ドル以下、150万人が時給11.91ドル以下
 ・労働者の42パーセントが時給15ドル未満

山崎 リベラル系シンクタンク、経済政策研究所は、どういう人が最低賃金で生活しているのか問うことを定期的に報告しています。それによれば、スーパーマーケットなどの小売産業で働く人に最低賃金レベルの人が多いということがわかります。ほかの産業よりも賃金が32.4パーセント低く、働いてるけれど貧困ラインを下回るワーキングプアの人が10パーセントいます。

最低賃金で働かせると税金の無駄遣いになる

山崎 経済政策研究所が行っているのはそれだけではありません。ワーキングプアの状態にある人たちのうち、41.5パーセントが何らかの社会保障を受けていることを明らかにしているのです。これは最低賃金水準しか払わない企業の人件費を、政府の社会保障費によって補てんしていることになります。

 つまり、本来であれば企業が負担しなければならない人件費を、政府が税金を投入することで支援しているということになるということを、経済政策研究所は指摘しているのです。言い換えれば、企業が従業員に対してまともに生活ができる賃金を支払っていれば、必要のない支出であり、税金の無駄使いになっているということです。こうした客観的事実がとても大事なのです。

 一方で、NELPというシンクタンクは、最低賃金で働く人は、スーパーマーケットだけじゃなくて、製造業で働く人も同じように賃金が低くなっていることになっていることを明らかにしています。製造業の労働者のうち、60万人が時給9.6ドル以下、日本円で千円ぐらいで、150万人が時給11.91ドル以下で働いています。さらには、製造業を含むすべての産業で働く労働者の42パーセントが時給15ドル未満との報告も出しています。つまり、最低賃金を15ドルに上げれば、42パーセントの人が恩恵を受けますよということをNELPは主張しているわけです。

最低賃金の問題で一番割を食っているのは子育て中の母親たち

Who benefits from a higher minimum wage?(ECONOMIC POLICY INSTITUTE)拡大Who benefits from a higher minimum wage?(ECONOMIC POLICY INSTITUTE)

山崎 経済政策研究所は、フェイスブックやツイッターなどのSNSで、最低賃金水準で働いている人が、一般的に考えられているものと実際にはギャップがあるということが一目でわかる図を公開しています。一般的にはティーンエイジャーで、学業の傍らにアルバイトをしているような人たちだろうと考えられているが、実際は平均年齢35歳、子育て中の女性でかつ一家の稼ぎ頭だというのです。

 何となく若者が割りを食っているのじゃないのか、というイメージだったり、たとえば日本でもあるような生活保護バッシングのように、働かずに生活保護で楽をしているのではないかというようなイメージを崩すとともに、子育て中のお母さんたちがもっとも苦しい立場にいるのだということを明らかにしているのです。既存のイメージを壊すとともに、客観的な裏付けとして統計データを示しているのです。

HOW WOULD A MINIMUM=WAGE
INCREASE AFFECT AMERICAN FAMILIES
(ECONOMIC POLICY INSTITUTE)拡大HOW WOULD A MINIMUM=WAGE INCREASE AFFECT AMERICAN FAMILIES (ECONOMIC POLICY INSTITUTE)

「長時間労働をしなければ食べていけない日本」

山崎憲さん拡大山崎憲さん

山崎 それでは日本はどうなのでしょう。最低賃金は何で引き上げられないといけないのでしょうか。

◆パワーポイントの資料から

●日本はどうか? 大河内一男『これからの労使関係』1966年
・「日本の長時間労働の原因は、何も日本人が生まれながらの勤勉な国民だからということではなく、その意味での生来の『働きもの』だからなのでもない。むしろ真の原因は、長い時間働かなければ『食っていけない』ほどに賃金が低いという事実が、おのずから日本人の労働時間を長くしてしまった原因なのである」
・「食っていけない」→定年を迎えることにのしかかる子供の教育負担、老後の生活費や医療費の増加=「生活の全体としての不安定と動揺」 この動揺を取り除くためには日本人の賃金が低い(パワーポイント資料)

山崎 そのことを理解するうえで、大河内一男という労働問題の研究者が書いた「これからの労使関係」という本が役に立ちます。「日本の長時間労働の原因は何も日本人が生まれながらの勤勉な国民だからということではなくその意味での生来の『働きもの』だからなのでもない。むしろ真の原因は、長い時間働かなければ『食っていけない』ほどに賃金が低いという事実が、おのずから日本人の労働時間つを長くしてしまった原因なのである」

 「食っていけない」と何度も何度も彼は言っています。この本が書かれたのは1966年で、いまからおよそ50年も前のことです。さらに彼はこんなふうにも書きます。

 「定年を迎えることにのしかかる子供の教育負担」。昔は結婚する年齢がもうちょっと早い一方で、定年で引退する年齢が早かったので、定年を迎える頃に子供が大学生になり、その学費をどう工面するのかが問題でした。地方だと子供の下宿代まで面倒を見なければらないわけです。

 退職の年齢も引き上がっているとはいえ、結婚の平均年齢が高まっている現在の日本では、子供の学費が退職後ものしかかるということは50年前と変わっていません。それに加えて、老後の生活費、医療費の増加などが、生活の、全体としての不安定と動揺としてあらわれてくるわけです。この動揺を取り除くためには、日本人の賃金は低いということを指摘しています。

現代の日本で壊れようとしているものは?

トークイベントの様子拡大トークイベントの様子

◆パワーポイントの資料から
 壊れようとしているもの(壊れたもの)
・ライフステージに合わせた賃金と社会保障の恩恵に預かることのできる人の数が縮小、非正規労働者の増大
・大学を出なければまともな職につけない 大学を出ても……貧困ゆえに高校、大学を卒業できない……
・拠り所としての職場、家庭→様々な形態の働き方(女性・高齢者)
・老後の暮らし(社会保障)
・労働組合の交渉力と社会への波及効果(パワーポイント資料)

山崎 こうしたことに加えて、今まさに壊れようとしてるものがあります。

 そのひとつに「ライフステージに合わせた賃金」がありますってパワーポイントには書きました。ふつうの企業に勤めれば、大卒で20万円ぐらいの初任給でしょうか。10年ぐらい経って30歳になったら、だいたい結婚しているかもしれない。賃金は、その時の生活に合わせて増えるようになっている。子供が生まれる、子供が中学、高校に進学する、家を買う、というライフステージに合わせて給料が上がるというようなものです。

 50代になれば、年老いた親が介護を受けるかもしれない、そのあとに子供が大学に行くかもしれない。それに合わせて給料が上がっていく、まさにライフステージに合わせた賃金の払い方が日本では一般的だとされてきたのです。この仕組みが壊れてきています。つまり、ライフステージと賃金の上昇がリンクしなくなっているのです。

 社会保障の恩恵に預かるという仕組みも壊れてきています。誤解されることが多いのですが、日本で働いている人の多くは、雇っている企業が掛け金の多くを負担している健康保険と年金に加入しています。企業に雇われるということは、家族を養うための給料だけでなく、社会保障も支えられていたのです。

 近年、非正規や個人が企業と仕事を請け負うというフリーランスの働き方が増えています。その理由は、企業が働いている人のライフステージにかかる経費や社会保障費用を負担しないようにすることで、コストを削減しようとしているからなのですが、こうした働き方をする人たちにとって、最低賃金は子育てや介護なども含めたライフステージを支えるという意味でこれまでとは異なる重要性が高まっているのです。

 もう一つ、大学を出なければライフステージを支える賃金を手にすることができる職に就くことができなくなるという状況になってきています。その一方で大学を出てもそうした職に就けない可能性も高まっています。

 たとえば、学歴という言葉にそれが表れています。かつて学歴は、大卒、高卒、中卒といった違いを意味していました。現在では、偏差値の高い大学か、そうでない大学かを指すようになっています。これは正確には学歴の違いではなく、銘柄大学かそうでないかの差を表しています。銘柄大学を卒業しなければライフステージを支える給料を手にすることが難しいという意味です。

 そういう状況であるにもかかわらず、両親がそうしたライフステージを支える給料を手にすることができないために、子供が高校や大学に入れない、入ったとしても学費を払えずに卒業できないということが社会問題になるようになりました。これは日本だけのことではありません。アメリカでもヨーロッパでも同じような問題があります。だからこそ、最低賃金の引き上げが重要になってきているのです。

 問題はライフステージを支える給料を手にすることができない人だけのことではありません。非正規の人や派遣、請負で働く人たちにとって、その関係が一過性のものであるために、働く職場が様々なことを話したり相談したりするという場ではなくなっています。一方で、正社員は仕事に求められる成果が高まるなかで、働きすぎや過労死、メンタルヘルスといったような問題を抱えるようになっているのはみなさん知っている通りです。

賃金とライフステージのリンクをつなぎ直す

山崎 じゃあそうした人たちをフォローするものは何なのか。ちょっと前だったら労働組合でした。ところが、世界中で労働組合の企業に対する交渉力が弱まっています。労働組合は職場を単位とするものですが、そこでまとめられることができない労働者が増えたことも原因の一つです。

 ではどうすればいいのか。今おきていることに解決のヒントがあります。

 賃金とライフステージのリンクが切れていることが問題なのですから、そこをもう一度つなぎ直してあげればいいということです。つまり、働くことと、生活で困っていることをつなぐことで、問題を解決するとともに、その活動に対して、社会全体からの支持を得ることです。

 もちろん問題に敏感な人たちだけが社会にいるわけではありません。社会全体の支持を得るとは、いわゆる普通の人たち問題に気が付いていない人や必ずしも問題だと感じていない人たちに、深刻さを伝えていくことでしか成し遂げられません。この具体的なヒントが「生活と労働の接合点」なのです。

 例えば、子供の貧困ということを取り上げれば、教育進学支援、学童保育ということから、親の就業支援であったり、職業訓練だったりということにつながっていくわけです。それは、地域の人々の暮らしをどのように支えているのかということに他なりません。これは、自分の身の回りの問題にどうやって引き寄せていくかということになります。

 冒頭の話に戻ってきますが、「最低賃金を引き上げたい」、「何で? 」、「だれの最低賃金なのか?」、「最低賃金が引き上げられることにはどんな意味があるのか?」ということを考えること、つまり自分の問題とか、自分の身の回りの問題にどうやって引き寄せて考えられるのかっていうことがすごく重要なのです。社会正義だからとか、社会のために、っていう言葉ではなく、もっともっとわかりやすい、自分が実感できる言葉にしていくということです。

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筆者

松本一弥

松本一弥(まつもと・かずや) 朝日新聞WEBRONZA編集長

1959年生まれ。早稲田大学法学部卒。朝日新聞入社後は東京社会部で事件や調査報道を担当した後、月刊「論座」副編集長、オピニオン編集グループ次長、月刊「Journalism」編集長などを経て現職。満州事変から敗戦を経て占領期までのメディアの戦争責任を、朝日新聞を中心に徹底検証した年間プロジェクト「新聞と戦争」では総括デスクを務めた。著書に『55人が語るイラク戦争ー9.11後の世界を生きる』(岩波書店)、共著に『新聞と戦争』(上・下、朝日文庫)。

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