メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

無料

[1]泣いた赤鬼から考える辺野古訴訟

物語を解釈することについて

木村草太

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、2016年11月18日に立教大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

 

拡大講演する木村草太教授

木村:立憲デモクラシーの会から「講座をやってくれ」という依頼をいただきまして、何をしゃべっていいか迷っているときに、弟から電話かかってきまして、その用件というのはですね、「お前、『ゴジラ』見たか?」というものでありました。私、横浜の洋光台というところに昔、住んでいたんですが、弟が言うには、「ゴジラに踏み潰されて、実家が壊れている」(会場・笑)ということでありました。私は早速ですね、テーマを選ぶよりもまず実家の様子が心配だということで「ゴジラ」を見に行ってまいりました。「ゴジラ」では、冒頭から庵野監督による「僕は好きにした。だから君たちも好きにしろ」というメッセージが流れておりまして、「じゃあ俺も好きにしよう」というふうに思いました。

 今回はノーギャラでありますので、好きなことを好き放題しゃべるというのがきょうの私のテーマであります(会場・笑)。いまお話ししたような形でテーマを選びましたので、きょう話すこと、大半は雑談でございます。また最近見た映画のネタバレも含みますので、そういうのがいやだという方は、ぜひ耳と目を閉じ、そして突っ伏していただければと思います。ただし、雑談だけで終わらせては、立憲デモクラシー講座になりませんので、最後のほうだけちゃんとお話をしようと思いますので、最後のほうまでついてきていただければ大変うれしいです。

小学校の道徳の時間をめぐって

 最初に「泣いた赤鬼」についてお話をさせていただきます。「泣いた赤鬼」というのは、小学校の道徳の教材であります。小学校には道徳の時間というのがありまして、最近、教科化されるという迷走気味の議論が出ておりますが。この道徳の時間というのは、物語を解釈するというような時間でもあります。大変、道徳的な観点から好ましいとされる物語を読んで、「みんな、このときアヒルさんってどんな気分だったと思う?」ということについて答えるのが、道徳の時間というものであります。

 ちなみに私の娘は、この道徳の時間というのは大変苦痛であるということを訴えております。この前の教材は「さとしくんの請求書」……たしかそんな感じのタイトルでした。これはどういう話かというと、さとしくんは毎日いろいろ家のお手伝いをしているのに、対価をもらえない。これはおかしいということで、お母さんに請求書を書くわけですね。「洗濯物を取り込んだ・100円」、それから「床を掃除した・200円」とかって、合計500円の請求書を出す。それで、お母さんは何も言わずに500円を置くんですけれども、これに対してお母さんから請求書が来るわけです。「朝ごはんをつくった・0円」(会場・笑)、「お風呂入れてあげた・0円」「洗濯をしてあげた・0円」とかというのを見て、「さて、さとしくんは何を感じたでしょうか?」というのが、この道徳の教材であります。

 私もこれを見たときはですね、「何考えてるんだ」と思いました(会場・笑)。道徳の教材の模範解答としては、「あっ、お母さんも自分にこんなに尽くしてくれているんだ。ああ、反省しよう。請求書なんて出して恥ずかしかったな」というところに行くはずなんですが、娘が書いた回答というのはこういうものでありました。「お母さんからこういうふうに言われるのが面倒くさいので、私は500円が欲しいのであれば、バイトをしに行きます」と書いていました(会場・笑)。

 模範解答は、「私はお母さんに500円請求するのはやめる」というのを想定していそうですね。しかし、ちょっと待てと思ったんです。さとしくんは、何らかの理由で500円欲しかったわけです。その欲しかったという話はどこにいくんだということですね。娘はたぶん、この子は500円が欲しかったということを前提に考えると、500円を手に入れる方法をまず考えなきゃいけなくって、お母さんに請求するのは面倒くさいというメッセージが出ているので、バイトをしますというふうに考えたということであります。私はこれを見たときに、なるほど、なかなかの解釈であると、我が娘なから思いまして(会場・笑)、ふと物語の解釈というのはやはりこうでなくてはいけないというふうに思ったわけであります。

解釈とは何か

拡大講演する木村草太教授
 さて、解釈というのは、我々法学者の仕事でもあります。もちろん解釈の必要のない条文というのも世の中にはたくさんあります。いま消費税率は8パーセントですけれども、100円のものを買うときに、「消費税が何円か」を解釈して、わざわざ考える人はたぶんいないと思いますね。だれがどうやったって、100円についてかかる消費税は8円です。そういうことが大体なんですけれども、法学者は、どうしても解釈が必要なときに解釈をすることになります。

 法解釈というのは、相互に矛盾するかに見える条文があるときに、そこに一本の筋を、両方に筋が通るような説明を見いだすことであります。

 例えば自衛隊についての解釈というのは、憲法9条を見ると、戦力を持っちゃいけない、要するに、「自衛隊なんか持つな」と書いてある。一方で、憲法13条とか、ほかの条文を見ると、国民の生命というのは国政の上で最大限尊重しなくてはいけない、つまり、「侵略を受けて、生命が危機にひんするときには守らなければいけない」と書いてある。戦力を持つなという9条と、国民の権利を守れという13条などの条文は、相互に矛盾するかに見えているけれども、これをどうやって説明して調和させるかということを考えるのが解釈というものであります。

 「9条の解釈は難しい」とかという人がいます。最近の例ですと、井上達夫という人物がいまして、この人は東京大学の法学部の教授で、私も学生時代に講義を受けたことがあります。井上先生は、9条の解釈ができなくてですね、9条があるのに自衛隊があるのはおかしい、「9条削除だ」と言っておられるようなんです。

 しかし、9条しか見ないから、おかしく見えるだけなんです。きちんと視野を広く見れば、自衛隊と9条の解釈というのは、我々が触れている法学の解釈問題の中では、極めてシンプルな、極めて簡単なレベルの話であります。要するに、戦力は持ってはいけない。でも、国民の生命・身体・幸福追求の権利を脅かすような事態、つまり外国からの侵略は防ぐ義務が政府にはある。だから、それに必要な最低限度の実力は持たねばならない。これが、政府の憲法9条解釈です。

判例の解釈には連立方程式を解くようなケースも

 9条の解釈は、いたって単純ですが、判例の解釈ということになりますと、これまでに出た最高裁判例AとBとCがあって、今回の判例と矛盾していそうな項目が八つぐらいあって、この八つの条件を同時に満たすような説明を見いださなくてはいけないということをやります。このような矛盾するかに見えることを、説明を同時にも成り立たせなければいけない連立方程式を解くことというのが解釈であったりするわけであります。

 物語の解釈というのも実はそういうもので、結局、いろいろ成り立たせなければいけない事柄というのがある。先ほどの「さとしくんの請求書」の「お母さんに請求するのはやめました」解釈というのは、<お母さんが悲しい顔をしているので、お母さんを立てなきゃいけない>という条件は満たしている。しかし、<さとしくんが500円欲しかった>という条件を満たしていない。だから、この模範的な解釈は、「外でバイトします」という解釈に負けているということになるわけです(会場・笑)。

タイムパラドックスの解釈

 物語の解釈の中で、私が大変興味を持っているものの中に、タイムパラドックスの解釈というのがあります。タイムパラドックスというのは、タイムマシンで過去をさかのぼったときに生じる問題でありまして、SFファンの方にはおなじみの問題であります。Aがタイムマシンで過去にさかのぼり、憎んでいた祖父Bを殺します。当然おじいちゃんが亡くなるとAくんが生まれなくなるということになるので、Aが消滅する。Aが消滅すると、Bは殺されなかったことになるので、冒頭に戻る。こういう無限ループの問題、タイムパラドックスをいかにしてきれいに説明するかということに、古今、SF作家は悩んできたわけであります。

 そしてまたこのタイムパラドックスは、実はSF特有の問題ではないというところが大変興味深いところです。SFというのは、物語の中で日常的に起きないことが起きたときには、そこに擬似的な物理法則を入れて、現実の物理法則とは違ってもいいから、ともかく「科学的に」説明をしなければいけないというルールになっています。

 ですから、例えば超光速移動なんていうのはできない。まあ相対性理論の結果としてそうなっているわけですけれども、それでも超光速移動ができないと「スターウォーズ」はできません。そこで「スターウォーズ」の世界では、超光速移動をするための論理というか、擬似的な物理法則を考えて説明をするわけです。ミレニアム・ファルコン号が超光速移動できるのは何でかというと、ハイパースペースというこの世の空間とは違う別の空間にいちいち移動して、また戻ってくるという設定になっている。相対性理論の妥当する空間で超光速移動しているわけではないから、超光速移動ができるんですというのが、あの「スターウォーズ」の説明であります。

 これに対して、ファンタジー世界というのは、こんな面倒くさいことは必要ないわけです。ファンタジーというのは、擬似的な物理法則で説明しなくてよいというルールになっています。したがって、例えばガンダルフが魔法を使ったり、あるいはゲドが風を吹かせたりするというときに、「何でそんなことができるのか?」という問いに対しては、「魔法だから」と答えればよい。これがファンタジーのルールです(会場・笑)。

 ところがタイムパラドックスについては、たとえファンタジーでも、「魔法だから」という言い訳を許しません。例えばガンダルフが100年前にさかのぼって、ゴラムの父を殺し、その結果ゴラムが生まれなくなって……みたいなタイムパラドックスが出てきたらですね、「このタイムパラドックスをどう解消しているんですか?」と問われ、「魔法だから」と答えてもだれも納得いたしません。つまりこのタイムパラドックスというのは、単に、科学的に不可能というものではなくて、科学以上に、論理的に不可能というような世界になっている。だからこそファンタジーの世界といえども、これが「魔法だから」で説明してはいけないということになるわけです。

最近流行した映画について一言

 私、最近流行した映画について、どうしても一言言いたくなったので、言わせていただきます。今年ものすごくヒットした映画を、私もとある事情で見に行ったんですけれども、この映画を見ているときに、途中からものすごく気持ち悪くなったんです。しかし映画を見ていた人たちが、終わったあとに「ああ、よかった。感動した」と言っていて、「大丈夫か?」というふうに思ったので(会場・笑)。

 私が見た映画の物語はこういう物語です。2013年に生きるAと2016年に生きるBは、いろいろあって深い関係になった。しかし2013年に起こった災害でAが死亡したので、Bは2013年にタイムスリップし、「このままだと死ぬから何とかしろ」と言って、Aは災害を回避して生き延びて、Bに再び出会った。ハッピーエンド。

 というものでありますが、Bは2013年にタイムスリップし……のあたりからが、私がものすごく気持ち悪くなったポイントであります。さて、何が気持ち悪くなったかというとですね、要するにこれ、Aが生き延びてしまうと、災害でAが死亡することを知ったBさんというのが存在しなくなる。そうするとBさんがタイムスリップしなかったことになるので、結局Aさんは災害で死んでしまう。でも、そうなると、今度はÅさんが死亡するという未来になりますので、死亡を回避するためにBさんが2013年にタイムスリップする未来が再び生まれるということで、何度もループして先に行けないはずであるということになる。まさに典型的なタイムパラドックスであります。

この映画でとられたのは過去改変型の解決

 この問題、タイムパラドックスを解決するためには、二つの方法があると言われております。一つは「組み込み型」という対応でありまして、タイムパラドックスで、タイム旅行、時間旅行をしてくることは、すでにもう過去に組み込まれていてというような形にしちゃうと。例えば祖父のパラドックスの例で言うと、Aさんが過去にさかのぼって、どうやったってBさんが殺せないような形でタイムスリップしてくるということを組み込んでおく。というふうにすれば、確かにタイムパラドックスは生じないよねということなんです。これは過去改変、過去を変えることが不可能型のタイムパラドックスの解決の仕方であります。

 しかし今回この映画で過去改変不能型になると、生き延びたAさんとBさんが出会いませんので、いわゆる過去改変型の解決をする必要があります。タイムパラドックスにおける過去改変型のパラドックスというのは要するに、2013年にさかのぼっているんだけれども、それは2013年という名前がついているだけで、未来であると。だからそこからまた新しい時間線が始まるのであって、いわばその、2013年から災害でAが死亡して、そのあとの2016年までのところで一回世界を全部終わらせて、もう一回2013年の配置にした上で、もう一回局面を始めると。このようにすれば、完全にタイムパラドックスは解消できるという型になります。

 今回、この物語でとられたのは過去改変型でありますから、いまお話ししたように、2013年にタイムスリップしたのではなくて、2013年の時点で局面を戻して、そこから新しい未来が始まっているというのがこの物語になるわけですが、何でこれが気持ち悪いのかと言いますと、2013年という未来に戻った段階で、2016年に生きていた人たちがすべて死亡しているということであります。

(写真撮影:吉永考宏)


筆者

木村草太

木村草太(きむら・そうた) 首都大学東京教授(憲法学)

1980年生まれ。東京大学法学部卒業後、同大学助手、首都大学東京准教授を経て現職。専門は憲法学。著書に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)、『憲法の急所』(羽鳥書店)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK新書)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、最新刊に『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)、共著に『未完の憲法』(潮出版社)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(NHK出版新書)、『検証・安保法案――どこが憲法違反か』(有斐閣)など。趣味は音楽鑑賞と将棋観戦。棋譜並べの際には、菱湖書・竹風作の彫埋駒を使用。

木村草太の新着記事

もっと見る