「民族主義」は「不適切」でも、「国家主義」や「反民主主義」は否定せず
2017年05月17日
森友学園の問題がきっかけになって、政府は教育勅語を憲法や教育基本法などの趣旨に従っていれば学校教材として用いることを認めた。さらに、ヒトラーの自伝的著作『わが闘争』までも一般論ながら容認するに至った。日独のファシズムにおける代表的文書を教育現場で用いることを肯定したわけだ。これ以上に典型的なナチズム文書はないのだから、条件付きながらファシズムを宣布した文書で教育してもよいとしたも同然だろう。
教育勅語については、この閣議決定に対する批判を受けて野党議員が再び質問すると「教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切と考えているが、憲法や教育基本法に反しないような形で」教材として用いることまでは否定されることではない、とした(今国会の答弁第144号)。
そこで民進党・宮崎岳志議員が『わが闘争』について「批判的な視点や歴史的事実として紹介する場合以外でも、この書物の一部を抜粋して道徳や国語の教材として用いることは、否定されないのか」と質問した(4月6日)ところ、政府は一般的に「教育基本法等の趣旨に従っていること等の留意事項を踏まえた有益適切なものである限り、校長や学校の設置者の責任と判断で使用できる」とし、当時の歴史的背景について考察させる授業の例を挙げる一方で、「仮に人種に基づく差別を助長させるといった形で同書を使用する」ことは教育基本法などの趣旨に合致せず不適切だと答えた(答弁207号、4月14日)。
ところが、不適切な理由として、人種差別の助長という例についてしか政府は明確に答えなかった。逆に言えば、それ以外の形の肯定的利用は容認される可能性がある。よってメディアで「『わが闘争』の教材使用可能」と報じられることになったのだ(時事通信、4月14日)。
中国外交部が定例記者会見でこれについて「ファシズム思想は徹底的に排除しなければならない。日本は正確な歴史観を若い世代に教育すべきだ」と批判した(4月18日)のに対し、文部科学省はこれを「事実関係を確認せずになされた発言」とし、日本政府が教材として用いることを選択したと誤解していると反論して、これまでの『わが闘争』の教材使用例は否定的な引用であって、今後も基本的人権の尊重や人種差別禁止のための教育の充実を図ると答えた。
しかしよく読むとこの反論は、日本政府が教材として用いることを選択したわけではないとしているだけであり、各学校の「責任と判断」で肯定的に教材として使用することを日本政府が容認したことを否定してはいない。やはり肯定的教材使用の否定を明言してはいないのである。
教育勅語の場合には、その多くの部分は今でも大事な道徳だという右派の主張が背景にある(「稲田防衛相の「虚偽答弁」と日報隠蔽問題の根源――だからこそ教育勅語は教材に用いられない」(WEBRONZA))。
しかし右派の中にも、『わが闘争』に今でも大事な日常道徳が含まれていると主張している人はあまりいないだろう。ではなぜ政府は教材使用を認めたのだろうか? 教育勅語の使用を認めた以上、同じ論理で答えたに過ぎないという見方もあるが、ここにはそれ以上の問題が伏在しているように思われる。
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