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[3]国際政治のリアリストとしての丸山

国際社会では、現実の権力政治のリアリズムに従わざるを得ない

五野井郁夫 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、2016年12月16日に立教大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

 

拡大講演する五野井郁夫教授

内向きの排外主義に

 ではこの丸山の視点は、現代においてどのような示唆があるかを考えてみます。近年のヘイトスピーチやヘイトクライムの隆盛とは何かというと、丸山の抑圧の移譲を応用して考えてみると、いまの日本は外向きに他国を攻めて抑圧の移譲先をあらたに確保することはできないですね。国際法上、侵略できないわけです。このような移譲のできない手詰まり、つまり対外的な強硬論、外向きの植民地を取っていくという発想ができないわけですから、当然、「内向きの排外主義」へと至るということですね。

 たぶん来年はもっとひどくなると思いますけれども、トランプ大統領になったときに、たぶん就任後100日間のあいだに、トランプが言ったことがほとんど達成不可能であるということがわかってくる〔*実際にこの講演のあと、トランプ大統領は中東やアフリカの7カ国から入国を一時的に完全に禁じる命令を出したが、裁判で敗訴して撤回を余儀なくされた〕。達成不可能だということになってくると、メキシコとのあいだに壁をつくれとか、中国と戦争するとか、そういうことが無理だと実感することでしょう。ではこの負の感情はどこに向かうかというと、当然、それは内なる自分たちにとっての、つまりマジョリティーにとっての内なる他者であるマイノリティーに対して牙が向いていくということになろうかと思います。現状にたいする閉塞感のある諸国は、つねに「内向きの排外主義」の誘惑から逃れられない状況にあります。

 ここでちょっと先ほどの話を振り返って少し考えてみたいのは、ではヒエラルキーの一番上にいる者はどうなのか、ということです。もちろん過去の大日本帝国においては天皇ですよね。この天皇の性質というものはどうなっていたのか。これは少なくとも議会が開設されて、しかし他方で国民国家化の過程でもあります。それまでの神道とは異なる性質の国民国家化の装置としての国家神道の中心になっているわけですから、天皇は大日本帝国憲法の施行後は、立憲君主と絶対君主の両側面を持っていました。

 しかしながら問題なのは、天皇を中心とした国家をつくった重臣リベラルたち、つまり明治の元勲たちというのは、さまざまな彼らの文章や三谷太一郎先生のご研究を読んでいただければわかるんですが、いざというときに、政治的な決断で自分が責任をとるのを嫌がるんですね。そうなると、肝心なときに自分たちが支えねばならない天皇の絶対主義的な側面というものを脱色していくわけです。他方で、軍部やその他右翼勢力とかは、まさに天皇の権威というものを利用して、自分自身は天皇のもとにやっているんだという形で神権説を押していくということですね。

立憲君主の立場は弱くなっていく

 そうなってくると、一方では、絶対君主的な側面を脱色していくものの、他方では神権説になってくると当然、立憲君主という立場は弱くなっていくわけです。そうなると、どっちの側面も弱くなっていって、単なる天皇の権威は残念ながら神輿(みこし)に過ぎなくなっていきます。もちろん近年の研究では日本国憲法制定の時期までそれなりに力を昭和天皇は持っていたというのは、萍憲法案などの議事録においても証明されているわけですが、あくまでごく一部の中枢における御簾の降りた場所での話です。一方で国民に対しては天皇主権という顕教があり、他方で立身出世したエリートの間では官僚制国家という密教があり、さらにその密教の奧にセントラルドグマとして天皇の権勢があったわけですが、それでもやはり天皇には状況を止める力がなかったというのは、ここに原因があるんじゃないかと。要するに「無責任の体系」というものが戦前、戦中の日本のなかで貫徹されていって、こういう状況をつくったのではないかと丸山は考えるわけです。

民衆の感情をコントロールできなくなっていたエリートたち

拡大講演する五野井郁夫教授
 状況を確認すると、ここにおいて、絶対君主であるはずの天皇の権威が弱くなっている。だけど神輿として担がれている。では担いでいるのはだれかという話になるわけですね。実は「下克上」という状況がある。何かというと、実は担いでいるのは一部の重臣であったり、あるいは軍人やエリートだったわけですけれども、その担いでいるエリートや軍人たちに、より下から何か強い力を加えている人たちがいる。それは何かというと、実は民衆なのです。民衆の感情というものを、過去のエリートたちはコントロールできなくなってしまっていたわけです。

 どういうことかというと、何かあったときには、対外強弁論とかを民衆の声を聞いて繰り出すわけですが、対外的な強い姿勢は四海における周囲の相手国家に勝てるときにだけ機能します。それがうまくいかないときに、ではどうやって統御するかという話になりますが、統御する力が世界の中心である天皇にすらないのだから、当然、重臣たちや軍人らにもない。そうなるとしょうがないので神輿を担いでいる側もやむなく無責任な世論というもの、すなわち好戦的な世論に、屈従していくしかないということになっていくわけです。

 そして軍の内部とかで、下からこう言っているという突き上げを食らっていって、上官が命令を考えていくわけですね。これは二・二六もそうでしたし、あるいは昭和天皇の玉音盤をつくるときの玉音盤の争奪戦、たとえば映画では『日本のいちばん長い日』で詳細に描かれているところですけれども、その匿名の無責任な力というものが、実は軍のヒエラルキーの下から上がっていく。そして制度的選出なしに、上を引きずっていくという現象が出てくるというわけです。

丸山が「下克上」と呼んだ状況に

 ここにおいては、法的なものの抑制と権威的なもの抑制の双方が効かなくなっていって、下からのものがすべていいという方向になる。現在でも一部のポピュリストはこういう自己正当化をしていますよね。当時のこれを丸山は「倒錯的なデモクラシー状況である」として、それを「下克上」というふうに呼んだわけです。本来、 ・・・続きを読む
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筆者

五野井郁夫

五野井郁夫(ごのい・いくお) 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

高千穂大学経営学部教授/国際基督教大学社会科学研究所研究員。1979年、東京都生まれ。上智大学法学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了(学術博士)。日本学術振興会特別研究員、立教大学法学部助教を経て現職。専門は政治学・国際関係論。おもに民主主義論を研究。著書に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHKブックス)、共編著に『リベラル再起動のために』(毎日新聞出版)、共訳書にウィリアム・コノリー『プルーラリズム』(岩波書店)など。

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