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[4]再軍備論者の論拠は「怖い」という心情

リアリスティックに物事を考えていくことが重要だ

五野井郁夫 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、2016年12月16日に立教大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

 

拡大講演する五野井郁夫教授

日本は現実主義的に非武装であってよい

 こうした現実を無視した一般論よく聴かれるのは、いわゆる保守陣営の側、保守からであり、そのようなリアリストじゃない人たちからすれば、中ソのような大国、いまで言えば中露のような大国が日本の隣にあって、非常に強い軍事力を持っていると考えますよね。そういうなかにあって、日本という国が無防備では大変心もとない。だから自衛隊ではなくて「普通の軍隊」を持ったほうがいい。こういう主張は確かに言われると、何となくそうかなという気はしなくもない。だけどこれはリアリスティックな考え方ですかね? 丸山眞男は「違う」と言うわけです。つまり道徳的に非武装であってもよいと。しかもそれがリアリズムでもあると説くのです。わたし自身は憲法9条の改憲には反対であり、他方で雑誌『世界』1993年4月号に当時の代表的知識人9名によって発表された「平和基本法」提言が説いた「最小限防衛力論」についても一定程度評価する立場ですが、丸山という人はもっとラディカルでした。

 日本は非武装であってもよいということを現実の問題として考えた場合には、再軍備は必要だというのが唯一の道だと説く再軍備論者の論拠というのは、現実的なパワーバランスの問題ではなくて、「怖い」とか「心細い」というけど、「それは君の心の弱さだよ、所詮は君の心情の次元の話だよね?」というふうに痛烈に批判するわけですね。そうすると通俗的な保守主義者が気にしてやまない心情の次元、すなわち怖いか怖くないかとか、そういうことじゃなく、国際関係というパワーバランスのなかで本当に現実に戦争をするかしないのかということに関する判断こそが、重要になってくるのです。

 では、戦後現在までどうだったかというと、ここに我々が七十数年間、戦争を一度もせずに暮らしているわけですけれども、歴史が証明するとおり、どの国家であるとしても、イデオロギーに関係なく、自国の国益を優先して考えていくので、そこにおいては拡張主義とかそういうことにはならなかった。もっと言うと、非武装、あるいは軽武装でいまのところ、この70年間以上すんでいたという事実からすれば、やはり丸山の見方のほうが過去から現在までの再軍備論者、勇ましく雄々しい保守主義者よりは正しかったということがここでわかってくるんじゃないかなと思うわけです。

 つまり「戦争が起きるぞ」、といって狼少年のような主張をずっとしてきたのは、現実主義の立場をとる平和主義者の側ではなく、つねに恐怖を過度に見積もってきた通俗的な再軍備論者のほうだということになりますね。

 そうなってくると、実は我々が考えなきゃいけないことというのは、心情的に怖いとかそういうことが、ある種もっともらしく聞こえるけど、それはリアリスティックな発想ではないということを見抜けるかどうかということになってこようかと思います。心情的な怖さに対して防衛力の増強どころか、お金をかけて再軍備をして、ただでさえ労働力の少なくて大変なわが国に兵役などを課そうとする主張をしばしば目にします。けれども、そもそも再軍備と軍事力の増強は隣国の不信感を惹起し、かえって自国の安全保障が危うくなる「安全保障のジレンマ」を招来しますね。他方で、しっかりと現実の国際関係におけるパワーバランスを理解できていれば、漠然とした不安感に駆られて過剰防衛に頼ることもなく、防衛費の無駄な増強なども不要であることが分かります。

丸山は国際政治に関してはかなりの現実主義だった

拡大講演する五野井郁夫教授
 その意味でまさに丸山というのは現実主義であったわけですね。自由主義者としての側面は当然あったわけですが、国際政治においては、あるいは政治の現実に対しての眼差しというものは、心情ではもちろん彼はリベラルでしたが、政治の現実に対してはかなり現実主義であったのではないでしょうか。要するに、国家間の消極的な平和というものによる国際秩序の安定を重視したわけです。

 しかもそれを国内社会において達成されるべき諸価値よりも重視したということです。一国内の社会における政治体制のイデオロギーと切り離して考えるということが、実は政治の力学を見ていく上で大事だという議論になっていく。国内社会で行われている現象というのが国際社会でも拡張され通用するというのを国際関係論では国内類推、ドメスティック・アナロジー(domestic analogy)と言うんですが、丸山はそのようなアナロジーでは物事を考えなかった。つまり雰囲気とか、論理的な思考とはまったく関係のないイメージだけで国際社会をとらえる人が結構多いのですが、そのなかで丸山はそういった通俗的な国内類推を退けたということが言えるわけですね。

国際関係と国内政治は異なる原理が支配する

 そして、こういう立場というのは、国際関係と国内政治においては異なる原理が支配する領域であるということを明確に理解しています。中国は共産党の一党支配だから特殊な動きをするとか、 ・・・続きを読む
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筆者

五野井郁夫

五野井郁夫(ごのい・いくお) 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

高千穂大学経営学部教授/国際基督教大学社会科学研究所研究員。1979年、東京都生まれ。上智大学法学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了(学術博士)。日本学術振興会特別研究員、立教大学法学部助教を経て現職。専門は政治学・国際関係論。おもに民主主義論を研究。著書に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHKブックス)、共編著に『リベラル再起動のために』(毎日新聞出版)、共訳書にウィリアム・コノリー『プルーラリズム』(岩波書店)など。

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