あらためて問われる政治とメディアの関係
2017年06月28日
「加計学園」をめぐって、政治が大きく揺れている。そこからメディアと政治に関する多様な論点を見いだすことができるが、なかでも読売新聞の報道姿勢、とりわけ前文科省事務次官前川喜平氏の「出会い系バー」の報道は大きな問題をはらむ。前川氏の告発阻止を狙った権力のリークの影もちらつくなか、政治とメディアのあり方があらためて問われる事態になっている。
振り返れば、今年になってから、政治とメディアの攻防が続いている。いわゆる「森友学園」と「加計学園」問題である。新聞や週刊誌、テレビなどのマスメディアが次々と新たなネタを報道、政治の側も首相官邸を中心にこれに対抗し、それをまたメディアが報じるという具合に対権力報道が活況を呈している。
ただし、昨今のメディアの分断状況を反映してか、これらの問題をめぐる論調は、「些細な問題で国会を空転させるな」という肯定的な論調と、「安倍政権を倒せ」という否定的な論調に二分されるようにみえる。多くの生活者にすれば、どちらも両極に極端であって、いずれの立場にも与し難く、どう捉えるべきか迷っているのが実情だろう。
政治とメディアの攻防のなかでいま、何がおきているのか。そこから出てくるニュースをどう見極めればいいのか。本稿ではこうした問題を考えるための「補助線」を、メディアと権力との過去の関係を振り返りつつ提供したい。
森友学園、加計学園の問題をめぐっては、様々な情報が飛び交っている。衝撃的な内容のものも少なくない。とはいえ、その割に事件の「全体像」がいまひとつ明確でないのも事実である。なぜ、ややこしくなっているのだろうか。さしあたり3点を挙げることができる。
第1に、不公正な影響力が政治によって行使された疑惑がありありなのに、違法性を明確に指し示す証拠がない点である。決定的証拠の不在と言い換えてもいい。両問題とも、学園関係者と総理の人間関係の「近さ」から、相当に胡散臭い印象は否めない。たが、メディアと権力の攻防で歴史に名前を残す「リクルート事件」における日時、関係性、金額などを提示した丹念な調査報道と比べると、事実関係と政治規範を問う報道がないまぜになり、決定打に欠くのも事実である。本稿稿執筆時点では、森友、加計の両事件とも「政治家としての道義」を問うレベルに留まっており、政権を追い詰めるには至っていない。
第2に、「問題はない」という発言を繰り返しつつ、部分的な再調査では新資料も出てきた一方で、証人喚問など詳細な調査を拒み続ける権力側の「腑に落ちない」対応を、メディアの追求不足もあって、許している点である。森友学園問題では籠池泰典・前学園理事長の証人喚問は行ったが、キーパーソンの安倍昭恵総理夫人の証人喚問は実現していない。加計学園問題でも前川喜平・前文科省事務次官の証人喚問を政府・与党は拒否し続けた。
第3に、メディアがこれらの問題をにぎにぎしく報道する一方で、問題の数と関連する情報が増加し、そもそも野党やメディアが追求していた肝心の本質が何であったのかが、ぼやけてしまった点である。
そんななか、とりわけ不可解な報道が、加計学園問題で渦中の存在となった前川氏に関して読売新聞が5月22日朝刊で報じた「辞任の前川・前文科次官、出会い系バーに出入り」の記事であろう。なにより不可解なのは、前川氏が違法行為に手を染めた可能性には言及せず、出入りしていたとされる「出会い系喫茶」について、「女性らは、『割り切り』と称して、売春や援助交際を男性客に持ちかけることが多い」(同記事より引用)と記されている点だ。違法行為を連想させる、その表現こそがある種の〝印象操作〟のようにも読める。
前川氏は「出会い系喫茶」への出入り自体は認めたが、貧困調査のためであったと述べている。この記事について、読売新聞は後日、「公共の関心事」という説明もしたが、公開のタイミングといい、記述の仕方といい、権力のリークの影がちらつき、強い違和感が残る。
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