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[4]共感が消滅し、広がる分断社会

人間の生活を支える普遍的な土台を商売のネタにする、アベノミクスの戦略

山口二郎

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、2017年1月13日に早稲田大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

拡大講演する山口二郎教授

 もう一つ、共感の消滅ということがいまの時代のキーワードということができます。つまり、下層に沈む他人はどうなっても知ったことではない。とりあえず自分が束の間の安定という幻想にぶら下がるみたいな形で、安倍政権支持、安倍コンセンサスにつながるということが言えると思います。共感の消滅、あるいは言葉を変えて言えば、分断社会というものが広がっている。足を引っ張るものをどんどん排除していけば、もうちょっと全体として効率が上がっていくはずだ。こういう期待で、安倍政権のもとでの経済政策を支持していくという風潮があるように感じます。

 これはユニバーサルサービス、つまり普遍的に、だれに対しても市民的権利として一定水準の公共サービスを保障していく政治のあり方を否定していくということです。TPPに関連して予想される、医療サービスの市場化、水道事業の民営化などがその例です。「従来公営でやっていたサービスに自由競争を持ち込んで、商売のネタにしよう。弱者のために政策的なてこ入れとか保護とか、いつまでもやっていてはおかしい。全体としてそういうことをやっていたら、国が沈没するよ」といった感覚ですね。

市場原理を公共サービスにどんどん入れ込む

 それは別の面から見れば、市場原理というものを公共サービスの世界でどんどん入れ込んでいくと。そして等価交換原理というものを徹底していく。つまり全体に負担をかけるばかりで、自分たちはほとんどコストを払っていない地方とか弱者とかいったものに対する恩恵を削減していく。そして要するに市場における等価交換みたいな発想で、払った税金の分だけ、きっちり政府に恩恵を返してもらう。ちゃんと税金を払っていない者には、あんまり恩恵は及ばさない。そういう発想で公共サービスを再編成していくという風潮があります。その最も極端な現れは、例えば「腎臓病の人工透析をしているやつは自分で治療費を払え。それができなきゃ死んじまえ」みたいな、ああいう議論です。

相互扶助を切って、相対的に自分が浮かび上がる

 それに正面から賛同する人は、いまはそんなに多くはありませんが、やっぱりそういった考えが一方の極にある。それほど極端じゃないにしても、社会全体のネットワークとか、相互扶助みたいなものを切っていくことで、相対的に自分が浮かび上がるみたいな発想というのが安倍政治を支えているという感じがするわけですね。宇沢弘文先生が言っていた社会的共通資本、つまり人間の生活を支える普遍的な土台というものを商売のネタにする、商品にしてしまうという政治戦略が、やっぱりアベノミクスの根底にあるということだと思うわけです。

 そして、頑張る者に報いるという論理がそういったネットワークの切断を正当化するわけですね。つまり頑張る者に報いるということは、頑張っていない者には報いなくていいっていうことになるわけですからね。そうすると地方創生だって、かつては交付税というある種のセーフティーネットでユニバーサルな公共サービスを支えていたわけですが、これからはどんどん交付税を減らしていって、意欲を持って手を挙げるところに選別的に金を回すみたいな話ですね。国から見れば、すべてを同じように面倒見ることはできないので、生き残りたいところが一生懸命手をあげて、そのような「意欲」を示すところだけを助けてやろうという政策です。大学も同じでありまして、国立大学はいまやお金がなくて困っている。機械的に計算されていた運営費交付金がどんどん減って、とにかく新しいプログラムを立ちあげると言って手を挙げる、意欲を示さないとお金がもらえない。

JR北海道は政治のひずみの縮図

拡大講演する山口二郎教授
 それから東京の人はあまり関心がないかもしれませんが、私は、北海道に長くいて、いまJR北海道というのはそのような意味での政治のひずみの縮図だと思っています。今年は災害も多かったが、お金がなくて復旧もできないし、JR北海道は鉄道から撤退すると言い出しました。稚内や根室などの地方都市につながる本線を廃止したいと提案しました。もうかるのは不動産、それから貸しビル業ですので、そっちでもうけますと。実際、JR九州はそれでもうけて、いま株式を公開しているわけですよね。在来線の鉄道のような、普通の当たり前の地道な人々の生活や仕事を支える、普遍的な土台とかインフラみたいなものは、もうコストがかかってしょうがない。金もうけのネタにもならない。だったらそんなものはどんどん切っていって、もうかるところに人も資本もシフトしていく。そのことに対する批判の議論は、やっぱりほとんど出てきていないというところに、私は安倍コンセンサスの現れを見いだすわけです。

 もう一つのキーワードは「プロクルステスのベッド」という話です。これは福島原発の被災者に対する支援の政策が一つの現れです。あるいは、このあいだ、古い話ですが、水俣病の救済政策をめぐるいろんな記録が現れたという新聞記事がありましたね。これにも共通する話です。プロクルステスのベッドというのは、ギリシャ神話の1つです。旅人を捕まえてきて、自分の家の狭いベッドにくくりつけて、はみ出す手足をちょん切るという残虐な趣味を持ったプロクルステスという追いはぎがいたわけですね。これは人間のある種の傾向を暗示する寓話です。

「プロクルステスのベッド」症候群

 水俣病や原発の話で言えば、政府にはお金がない。だから狭い救済のスキームしかできない。とりあえず被災者、被害者をその狭いベッドに載せてくくりつける。そして、その狭いスキームからはみ出す部分は切り捨てるということですね。水俣病の場合であれば、厳しい認定基準なるものを設定して、水俣病の患者の中から、政策の救済の対象となる患者を認定するという手続きをとる。それによって、大量の未認定患者が現れ、放置されてきた。福島原発の場合であれば、除染が進んで被災地域が住めるようになったから帰りなさいという政策を打ち出し、それに従わない人々には「自主避難」という言葉を当てはめて、「あなた方は勝手に逃げているんだから、これ以上支援はしませんよ」という形で切るわけですね。(この発想は、その後、今村復興大臣の発言という形で具体的に表明された。しかも、自主避難=自己責任という今村大臣の発想に対し、安倍首相は直ちにこれを否定しなかった。今村大臣が更迭されたのは、「震災が東北で起きてよかった」と発言した後の話である。)

 (安倍政権による原発事故へのこのような対応に現れているように)このプロクルステスのベッド症候群が政策形成に頻繁にみられるのです。いまの日本はいろんな不幸がいっぱいあります。不条理がいっぱいあります。そういうものを放置するというのは、 ・・・続きを読む
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筆者

山口二郎

山口二郎(やまぐち・じろう) 法政大学法学部教授(政治学)

1958年生まれ。東京大学法学部卒。北海道大学法学部教授を経て、法政大学法学部教授(政治学)。主な著書に「大蔵官僚支配の終焉」、「政治改革」、「ブレア時代のイギリス」、「政権交代とは何だったのか」、「若者のための政治マニュアル」など。

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