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豊田真由子議員の暴言・暴行事件に思う秘書の立場

それでも彼らは永田町で生きていく…

横田由美子 ジャーナリスト

当選を決め、支援者らとバンザイをする豊田真由子氏(中)=201412拡大衆院選で2期目の当選を決めた時の豊田真由子氏。順風満帆の議員生活だったが…=2014年12月

音声だからこそ伝わった秘書の受けた傷

 放送ならではのパワーを久しぶりに感じた報道だった。一方で私は、ようやく彼女の“真の姿”が表沙汰になったと、深い感慨をもって、この騒動を眺めていた。

 彼女とは、豊田真由子衆議院議員(42歳、当選2回)のことだ。豊田議員の男性政策秘書への暴力・暴言行為を「週刊新潮」(6月29日号)が報じ、わずか1日でテレビ各局に飛び火していった。もちろん「新潮」のスクープ報道ではあるが、

 「この、ハゲーーっ!」
 「ちーがーうーだろー!」(ボコッ←殴る音)
 「バカかお前は! 死ね! 生きている価値ないだろう」

 などと、豊田議員の暴言や暴行を文字でいくら書き起こしても、音声で聞く金切り声や罵声の調子、殴打音でなければ、彼女の凶暴性もさることながら、男性秘書の受けた傷の深さも伝わりにくかったと思うし、騒ぎがここまで拡大することもなかったはずだ。

 結果、豊田議員は、都議選の公示日前日だったということもあり、その日のうちに離党を促された。しかし、有権者の怒りは「離党ごとき」では収まらず、「議員辞職を求める声」が、日に日に高まっている。当然だろう。

 豊田議員は、男性秘書の20代の娘を引き合いに出して、

 「お前の娘が交通事故で轢き殺されて死んでさあ、轢くつもりはなかったんですって言われたら腹立たない? 頭がぐちゃぐちゃゃになって轢き殺されてみろ!」

 とまで言い放ったのだ。

 国会議員である前に、人としての資質を疑われる言動であり、このような人間に国民の代弁者が務まるわけがない。

豊田議員の秘書にならなかった彼女の場合

 私が初めて「豊田真由子」の名前を聞いたのは、彼女が初当選した2012年12月の衆議院選挙の直後だった。

 永田町には、公設・私設を問わず、「職探しをしている秘書」がたくさんいる。特に小選挙区制度になって政党の当選者数の振り幅が大きくなると、国政選挙のたびに、大量の落選議員と失職秘書が出るようになった。

 議員と異なり秘書たちは、永田町という極めて特殊で狭い世界のなかで、党派を超えて渡り歩くのが普通だ。

 豊田議員のところに手伝いで入ったある女性も、解散直前までは某民主党議員の秘書だったが、仕えていた議員からパワハラを受けてトラブルとなり、無職になっていた。

 新人候補者の選挙中から手伝い、当選後、秘書になるのはよくあるパターンだ。彼女も当初はそのつもりだった。しかし、豊田議員の当選後、彼女は再び求職活動をしていた。聞けば、豊田議員は選挙中、何度も「ぶち切れていた」という。

 「暴行こそありませんでしたが、暴言は酷かった。彼女の後援者から秘書として働かないか?と頼まれましたが、前の事務所よりも酷いパワハラが予想されたので止めました。私は共働きだから、楽じゃないけど明日のご飯には困ってないので断りましたが、都内にひとりで住んでいたら、(提案を)受けていたと思います。私たちの仕事って、ある程度年齢がいくと、民間では潰しがきかないので」

 と、こぼしていた。

 ちなみに彼女が前のボスとトラブったのは、秘書給与の問題だ。その事務所では半年から1年おきに私設と公設秘書を入れ替えていて、公設の期間は、私設の期間に備えて貯蓄を推奨されるだけでなく、月に定額を寄付させられていたという。

議員会館を賑わせたある騒動

 その後、私はほどなくして、豊田議員本人に会うことになる。それは知人の結婚式の場だった。 ・・・続きを読む
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筆者

横田由美子 ジャーナリスト

横田由美子 ジャーナリスト(よこた・ゆみこ) ジャーナリスト

1996年、青山学院大学卒。雑誌、新聞等で政界や官界をテーマにした記事を執筆、講演している。2009年4月~10年2月まで「ニュースの深層」サブキャスター。著書に『ヒラリーをさがせ!』(文春新書)、『官僚村生活白書』(新潮社)など。IT企業の代表取締役を経て、2015年2月、合同会社マグノリアを設立。代表社員に就任。女性のためのキャリアアップサイト「Mulan」を運営する。