安倍改憲は自衛隊や自衛官の法的地位に関するうそを固定化し、彼らの尊厳を貶める
2017年06月28日
去る5月3日、安倍首相は「総理大臣」の肩書で、読売新聞のインタビューに答える形で自身の改憲についての思いを述べた。その〝安倍改憲〟の核心は、9条改正であり、具体的には、9条1項2項を改変することなく、新設条項ないし条文(9条3項、もしくは9条の2等)の中で「自衛隊の存在を明記する」という、いわゆる〝加憲〟の提案であった。
これを受け、自民党憲法改正推進本部でも、安倍改憲を既定路線として改憲論議を進めることを確認し、党として早ければ今年9月には改正条項を絞り込み、今秋の臨時国会で提案、来年の通常国会での発議を目指すことを公言している。
9条改正自体も含め、改憲についてかなり踏み込んだという印象だ。号砲は鳴らされたといってよい。
しかし、この安倍総理の改憲プランの表明には、自衛隊及び自衛官の法的地位に関する大きなうそを固定化し、彼らの尊厳を貶(おとし)める点というで重大な欠陥がある(〝総理大臣〟の名で「自衛隊を合憲化」することを企図するということは、合憲のものを〝合憲化〟と言わない以上、行政府の長であり自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣が、自衛隊を違憲と評価していたことを意味し、さらにはこれに予算執行していたという憲法尊重擁護義務違反の問題があることは、ここでは指摘するにとどめる)。
憲法9条と自衛隊をめぐっては、いうまでもなく極めて深刻な緊張関係が存在する。
憲法9条と自衛隊の関係について、政府は、国内法上、自衛隊は「軍隊」ではなく必要最小限度の実力組織であり、交戦権も否認されているため、「国または国に準ずる組織」に対する武器使用は憲法9条の禁ずる武力行使であり不可能であると説明してきた。
しかし、他国から発射されたミサイルを海上自衛隊が個別的自衛権の名で撃墜するとき、南スーダンで政府軍に対して自衛官が武器使用するとき、自衛隊(官)から発射されたミサイルや銃弾は法的にいかに評価されるのか。
もちろん、国際法上は「交戦権」の行使そのものである。しかし、交戦権の行使を禁じられた「実力組織」であるがために、たとえ派遣先の南スーダンが国際法上の紛争状態であったとしても、防衛大臣をして「戦闘行為」の有無につき、「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」(稲田防衛大臣:平成29年2月8日衆議院予算委員会)といううそをつかざるを得ない。これは、窃盗というと刑法上問題になるので、〝借りてきた〟という言葉を使っている、という詭弁(きべん)と変わらない。
言い方や言葉の使い方で同じ事実が合法・違法になるわけがない。しかし、憲法9条があるにもかかわらず、自衛隊という軍事組織が存在するという矛盾を糊塗(こと)するために、このようなうそをつき続けてきたのである。
このしわ寄せがどこにいっているのかといえば、個々の自衛官である。
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