「狡猾で獰猛な君主」のごとき手法
2017年06月29日
「共謀罪」法を「横暴採決」して国会は終了した。国会での政府の答弁にはまったく誠意や真剣さがなく、審議時間を消化しているだけのように見えた。
「「共謀罪」法案の“横暴採決”は議会の自殺行為だ――掘り崩される自由と民主主義」(WEBRONZA)
このような政府の姿勢は民主主義を形骸化させ、その強行採決は議会制民主主義の危機とか自殺であると強く批判された。
それでは現政権の特徴的な政治スタイルは何だろうか?――この問いには、マキャベリズム(権謀術数主義)という言葉がまさしく適切だ。前川喜平前文科事務次官が公務員としての職業倫理に基づいて「倫理的抵抗」を行ったのとは対照的に、何よりも非倫理的な政治だからだ。
「加計学園問題における前川喜平前次官の倫理的抵抗――公僕の志は、官僚制の歴史的退行を食い止められるか」(WEBRONZA)
古典的な政治哲学では統治者やリーダーは美徳ある政治を行うことが理想とされた。これに対して、近代政治学の起点と言われるイタリアの政治思想家ニッコロ・マキャベリは『君主論』(1532年)で「……悪徳なくしては政権を救うことが困難であるような場合には、そういう悪徳による悪評を受けることにあえて躊躇してはならない」(第15章)と述べた。そこから権謀術数による政治を「マキャベリズム」と呼ぶようになった。
『君主論』が当時のフィレンツェの支配者(僭主)ロレンツォ・デ・メーディチに捧げられた著作であるように、このような政治は民主主義よりも君主制や権威主義体制に向いている。統治者が自らの権力のみを保持し増大させるための方法だからだ。そのためには非倫理的な方法を用いても許される、とするのだ。
マキャベリによれば、君主には冷酷さが必要であり、民衆に慕われるよりも、憎まれない程度に恐れられることが大事である。君主は獣と人間の双方の方法を使い分ける術を知っていなければならない。獣の方法を取らなければならない時には、狡猾な狐の方法と、獰猛な獅子の方法を選ぶべきだ。人間は誠実さを欠いていて君主に対する約束を守らないのだから、君主も信義を守らなくてもよく、嘘をつくことも必要である。
まずは「狐と獅子」の手法――加計学園問題では前川前次官について、その証言の
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