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[6]ウズベキスタンの「青の都」から正倉院へ

伊藤千尋 国際ジャーナリスト

真っ青な空の下に建つイスラム建築の神学校真っ青な空の下に建つイスラム建築の神学校=撮影・筆者

 ブハラからバスで4時間半かけ、サマルカンドに着いた。ブハラが日本の奈良なら、サマルカンドは京都だ。

 中央アジアで最大規模のオアシス都市であり交易の中心地で、シルクロードの十字路となったウズベキスタンの世界的な古都だ。文化の交差路としてユネスコの世界遺産に登録されている。

 街はその美しさから「青の都」と呼ばれる。抜けるような青空が広がる下に、鮮やかな青緑のトルコ石の色をしたモスクのドームが陽光を反射して輝く。井上靖氏の表現を借りれば「魂がそこへ吸い込まれていかずにはいられないような青さ」(『遺跡の旅・シルクロード』)だ。

 地元の市民は「地球上にある最も歴史の古い町」だと誇る。「東のローマ」とも呼ばれるが古代ローマより古い。

 紀元前4世紀には遠征したアレキサンダー大王によって「死の町」となり、蘇ったあと13世紀にはチンギスハンの軍隊に踏みにじられて再び廃墟と化し、14世紀には中央アジアを席巻したティムール帝国の首都となって復活した。破壊と再生を繰り返した不死鳥のような町だ。「チンギスハンは破壊し、ティムールは建設した」と呼ばれるのが、この町である。

紙の道と、翻弄された民衆

 まず訪れたのは

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