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新・麻生派にみる派閥の凋落

自民党長期政権を支えた「疑似政権交代」は不可能だ

中北浩爾 一橋大学大学院教授

自民党が惨敗を喫した東京都議選が示したもの

 7月2日の東京都議選で、小池百合子都知事率いる都民ファーストの会が躍進し、自民党は歴史的な惨敗を喫した。その原因とされるのが、森友・加計学園問題をはじめ、稲田朋美防衛相の「自衛隊の政治利用」発言、下村博文元文科相のヤミ献金疑惑など、安倍晋三首相、およびその周辺を襲った様々な問題であった。2012年以来、強力な求心力を保ってきた安倍政権が岐路に立たされていることは、間違いない。

 拙著『自民党―「一強」の実像』(中公新書)で論じたように、自民党の支持基盤は、他党に比べて分厚いとはいえ、友好団体が衰退し、個人後援会の加入者が減少するなど、弱体化もしている。にもかかわらず、安倍総裁の下、自民党が国政選挙で4連勝してきたのは、低投票率が続いてきたからだ。新たな争点のもと、自民党の代替選択肢となり得る政治主体が浮上し、無党派層が投票所に向かえば、政治情勢は一気に流動化する。

 低投票率と並んで安倍首相の強さを支えてきたのは、与党の結束である。再び野党に転落したくない自民・公明両党は固く手を携える。自民党内においても、派閥の領袖クラスを人事で厚遇するなど、融和に努めてきた。しかし、都議選では、自民党に離党届を提出した小池百合子東京都知事が代表に就いた都民ファーストの会が、あらんことか公明党の応援を受け、自民党を惨敗に追い込んだ。与党の結束の綻びの結果に他ならない。

清和会に次ぐ党内第2派閥に躍り出た志公会

 そんな都議選の余韻が冷めやらぬ7月3日、自民党の派閥の構図を変える出来事が起きた。麻生太郎副総理が率いる派閥に、山東昭子・元参議院副議長と佐藤勉・衆議院議院運営委員長が率いる派閥・グループが合流し、新・麻生派(志公会)が発足したのである。

新麻生派「志公会」発足の記者会見の冒頭、記念写真撮影に納まる所属議員たち=3日、東京都港区のホテル新麻生派「志公会」発足の記者会見の冒頭、記念写真撮影に納まる所属議員たち=3日、東京都港区のホテル

 新たな麻生派に所属する衆参両院議員は59人に上り、額賀福志郎派(55人)と岸田文雄派(46人)を抜き、細田博之派(96人)に次ぐ党内第2派閥に躍り出た。自民党では長年、細田派=清和会(清和政策研究会)、額賀派=平成研(平成研究会)、岸田派=宏池会(宏池政策研究会)が3大派閥の地位を占めてきたから、注目すべき地殻変動といえる。

ポスト安倍にらみ、ちらつく「大宏池会」構想

 志公会の会長に就任した麻生副総理の元来の構想は、池田勇人元首相が作った宏池会から枝分かれした岸田派・麻生派・谷垣禎一グループの3つを糾合し、安倍晋三首相の出身派閥である清和会(細田派)を凌ぐ最大派閥を誕生させようというものであったと報じられている。いわゆる「大宏池会」構想である。

 宏池会は、伝統的に軽武装・経済重視の路線をとり、「ハト派」と位置づけられてきた。護憲とまではいかないとしても、憲法改正については消極的な傾向が強い。それに対して清和会は、安倍首相の祖父にあたる岸信介の流れを汲み、国家権力の強化を目指す「タカ派」とみなされてきた。憲法改正にも熱心な議員が多い。

 清和会は2000年に成立した森喜朗内閣以降、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫と相次いで首相を誕生させてきた。他方、宏池会は度重なる分裂もあり、1990年代前半の宮澤喜一首相以来、政権を一度も担っていない。清和会に拮抗する100人規模の派閥として再結集し、ポスト安倍をにらんで首相を輩出する基盤を整えたいというのが、「大宏池会」構想の狙いとされる。

野党に政権渡さない「疑似政権交代」?

 歴史的にみれば、自民党は55年体制のもと、異なる派閥の領袖が交替で総理・総裁に就任することで、政権運営に政策的な変化と幅を与え、長期政権を続けていた。いわゆる「疑似政権交代」である。その代表例が、1960年に安保闘争で岸内閣が倒れた後、池田内閣が成立し、所得倍増計画を打ち出したことであった。

 「大宏池会」構想にも、清和会と宏池会の二大派閥体制を構築し、自民党内で疑似政権交代を行う用意をすることで、民進党への政権交代を不要にするという背景が透けてみえる。現に麻生会長は発足式後の記者会見の席で、「新しい政治の形として、(党内で)大きな政策集団二つを考えていくべきだ」と語っている(朝日新聞デジタル産経ニュース) 。今回の新・麻生派の結成は、そのための布石として位置づけられているのだ。

 しかしながら、以上のような理由づけは、にわかには信じがたい。いくつかの理由からである。

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