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中国の人権活動家・劉暁波氏を忘れてはならない

国内には、自由と民主を求める人々が多数いる

藤原秀人 朝日新聞記者(国際報道部)

追悼集会では劉暁波氏の写真が飾られ、花が捧げられた=支援者提供拡大北京で開かれた劉暁波氏の追悼集会で=支援者提供
 中国の民主化を訴え、投獄中にノーベル平和賞を与えられた中国の人権活動家で作家の劉暁波氏が7月13日、多臓器不全のため死去した。61歳だった。

 劉氏は今年6月に末期の肝臓がんと分かり、刑務所外の遼寧省瀋陽市の病院で治療を受けていた。中国当局がもっと早く病院での治療をしていれば、違う結果になったかもしれない。無念でならない。一方で、劉氏の死去をメディアがいっせいに報じたので、そういえばこんな方がいた、と受けとめた人が少なくなかったのではないか。中国の人権や民主についての国際社会の関心は小さくなっていると思う。

「人権を求める闘いの最大の象徴」

 劉氏は1989年、学生や労働者らが北京の天安門広場で民主化を求めてデモを始めたのを知り、コロンビア大学客員研究員として滞在していた米国から急きょ帰国しデモに加わった。その後、軍による介入と弾圧の危険が高まると、軍との交渉に臨み、学生らを天安門広場から安全に退かせた。

 天安門事件後は反革命扇動罪で1年7カ月投獄された。出所後も国内にとどまり、事件の犠牲者の名誉回復や民主化を求める運動をして、繰り返し拘束された。

 海外に行くチャンスはあった。だが、国内での活動を望んだ。影響力の低下を恐れたからだ。魏京生氏は壁新聞で当時の最高実力者・鄧小平を批判し、軍事情報漏洩(ろうえい)罪と反革命扇動罪で懲役15年の刑に処され、1993年に病気で仮釈放されるまで14年半もの間、服役した。中国民主化運動のシンボル的存在だったが、米国に移ってから影響力は薄れ、中国国内では名前さえ忘れ去られようとしている。天安門民主化運動の学生リーダーだった王丹氏も病気治療を理由に中国当局から米国に行くことを許された。ハーバード大学で学び、米国などで中国の民主化を訴えているが、国内で王氏を話題にする人はほとんどいない。

 国内にとどまった劉氏は2008年、中国共産党の一党独裁の放棄や言論の自由などをインターネット上で呼びかける「08憲章」の起草者の中心となった。中国当局は劉氏を国家政権転覆扇動容疑で逮捕。10年2月に懲役11年の実刑判決が確定し、遼寧省の刑務所に収容された。劉氏は完全に封じ込められたかにみえた。

 しかし、この年の10月、ノルウェーのノーベル委員会は劉氏を「中国で人権を求める幅広い闘いの最大の象徴」と評価して平和賞の授与を決めた。授賞式では非暴力で民主化を目指す劉氏の「私には敵はいない」という言葉が読み上げられた。中国政府は平和賞授与に対して「内政干渉」と反発したが、劉氏は平和賞を授けられたことで中国の人権状況に国際社会の注目を集める役割を果たした。

中国に注文をつけなくなった国際社会

 だが、劉氏の存在はだんだんと注目されなくなった。 ・・・続きを読む
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筆者

藤原秀人

藤原秀人(ふじわら・ひでひと) 朝日新聞記者(国際報道部)

1980年、朝日新聞社入社。外報部員、香港特派員、北京特派員、論説委員などを経て、2004年から2008年まで中国総局長。その後、中国・アジア担当の編集委員、新潟総局長を経て、2014年9月より国際報道部。2000年から1年間、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員。

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