メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

元防衛相が語る文民統制の神髄

国民の代表という自覚を持ち、自衛隊と信頼関係をつくって国民の安全を守る

北澤俊美 元防衛相

防衛省・自衛隊を統制できない稲田大臣

――北朝鮮のミサイル危機や中国の海洋進出など、日本の安全保障をめぐる状況が厳しさを増しています。安倍晋三首相による憲法9条への自衛隊明記の提唱もあり、自衛隊のあり方があらためて問われていると言えます。そんななか、自衛隊を監督するべき稲田朋美・防衛相が、陸上自衛隊の日報に関する問題や都議選の際の自衛隊の政治利用ともとれる発言などで、批判をあびました。防衛相の先輩として、度重なる不祥事をどうご覧になりますか。

北澤 最近の稲田大臣の行動や発言を見ていて心配なのは、シビリアンコントロールがきちんとできているのか、ということです。

――といいますと。

北澤 憲法は66条で「閣僚は文民でなければならない」と規定し、防衛相も例外ではありません。軍事力をもつ日本最大の実力組織である防衛省・自衛隊においては、文民大臣による統制、シビリアンコントロール(文民統制)が絶対に不可欠なのですが、たとえば日報問題をめぐる混乱ぶりを見ると、稲田大臣にそれができているのか、非常に心もとない。

政治家が軍事に対して優位に立つ理由

――そもそも、シビリアンコントロールとはどういうことでしょう。

北澤 分かりやすく言えば、軍事に対する政治の優位性。政治家は選挙によって国民の負託を受けている。しかし、防衛省や自衛隊に属する人たちは、国民の負託を受けているわけではない。だから、負託を受けた政治家が、軍事に対して優位な立場にあるということです。

 なんらかの問題で防衛省・自衛隊と政治家の意見が対立したときも、政治の優位性が担保されている。だからこそ、防衛相になった政治家は防衛省・自衛隊に対して緊張感をもって接しつつ、国民の安全を守ることについて、しっかりとした見識をもたなければいけない。

 その観点からすると、都議選のさなか、自民党候補を応援する集会で「防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としても、お願いしたいと思っているところだ」と稲田大臣が言ったのは大問題です。実力組織である自衛隊を軽々しく政治利用することは絶対にしてはいけないのに、緊張感もなくサラッと言っちゃう。政治家としての基本的な認識が欠如しているとしか言いようがない。防衛相には不適任です。

防衛大臣の資格要件とは

――防衛相の資格要件はなんでしょうか。

北澤 まず、国民の代表であるという自覚を明確にもっていることです。そのうえで、一定の政治経歴を積んだバランス感のある人が望ましい。防衛や安全保障の専門家である必要はありません。過去の防衛相の顔ぶれをみると、やはりそういう人が多いですね。

――安全保障や軍事は専門性が高い世界です。専門知識がなくても大丈夫なのでしょうか。

北澤 知識や情報は、それこそ官僚が豊富に持っています。それを、国民のために活用するというのが、我々政治家の仕事です。

――北澤さんはいわゆる防衛族ではありませんが、2009年に民主党(当時)が政権交代をはたした直後から、鳩山由紀夫、菅直人の二つの政権であわせて2年間、防衛相をつとめられました。

北澤 私が防衛相になったとき、みんな唐突感をもったといいます。正直言って、鳩山さんから打診を受けた瞬間は、自分にできるかなという思いもありました。だけど、それまで参議院の外交防衛委員会で委員長を2年間やり、防衛省の中身についてはある程度、承知していたし、政治家の端くれとして、国の根幹である防衛や安全保障については、憲法との関係も含めて、それなりの見識はもっているという自負もあったので、お引き受けしました。イージス艦がどんな能力をもっているかといった細かいことは、当時は知りませんでしたが。

「日米安保反対!」と叫んでいた大学時代

――自衛隊については、どういうスタンスだったのですか。

北澤 早稲田大学の学生だった1960年ごろ、ご多分に漏れず、私も「日米安保反対!」と叫んでいました。安保反対の嵐のなか、友人の薦めで『きけ わだつみの声』という本を読み、当時の自分と同じ年齢の学徒兵が残した手記に衝撃も受けました。

 私は昭和13(1938)年の生まれなので、戦争の悲惨さを実感として記憶しています。長野の田舎でも、父親や兄が戦死すると、元気で明るかった同級生が日に日に暗くなり、その家は貧しくなっていきました。戦争はなんてひどいことをするのかと、憎んだものです。こんな世の中にはしてはいけない。それが、政治家としての原体験ですね。

――軍隊的なものには、あまり肯定的ではない印象です。自衛隊に対しても、どちらかというと警戒的だったのではないですか。

バランスのとれた幹部クラス、例外は田母神空幕長

北澤 外交防衛委員会の委員長だったときは、防衛省に対して、かなりきついさばきをしたのは事実です。ただ、防衛相になって感じたのは、防衛省であれ自衛隊であれ、上層部に上がってくる幹部クラスの人たちは、みなバランスのとれた、しっかりした考えの持ち主だということです。なかには元航空幕僚長の田母神俊雄氏のような人もいましたが、極めて例外的です。どうしてそうなのか。当時、防衛大学の校長をしていた五百旗頭真さんの話を聞いて、理由が分かりました。

 自衛隊の幹部を養成する教育機関として1952年に創立された防衛大学校の建学の方針は「服従の誇り」。戦前の日本では軍部が政治を壟断して民主主義を壊した。その反省から、軍人たるもの、あくまでも民主主義社会のシビリアンコントロールのなかで職務をまっとうすることを基本に据えた。それが「服従の誇り」であり、大学校ではそれをきちんとたたきこむ。五百旗頭さんからそう説明され、得心したのを覚えています。

 ちなみに、五百旗頭さんからはこのほか、防衛大学の初代卒業生のアルバム委員が取材に訪れた際、吉田茂首相が言ったという言葉も教えてもらいました。「君たちが国民からチヤホヤされたときが、日本が一番あぶなくなる。君たちは日陰者の生涯を過ごさないといけないが、君たちが日陰者でいる間が、日本の平和が保たれているときなんだ」というものです。この言葉も、ずっと心に残っています。

――とはいえ、防衛省・自衛隊の官僚や幕僚は防衛や軍事のエキスパートであり、いわゆる機密情報も含め、さまざまな情報を独占しています。自分たちに都合のいい情報だけを流されて、シビリアンコントロールを骨抜きにされる不安はなかったですか。

・・・ログインして読む
(残り:約3438文字/本文:約6086文字)