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アメリカ見聞録―日米関係の転換期に考える

日本は日本だけにしか通用しない内向きの価値ではなく、普遍的な価値を語るべきときだ

倉持麟太郎 弁護士、慶応義塾大学大学院非常勤講師(憲法)

アメリカ国務省のプログラムでアメリカへ

 先日、アメリカ国務省によるIVLP(International Visitor Leadership Program)というプログラムで、約1カ月間アメリカに滞在した。プログラムの主題は「安全保障政策の形成過程(The National Security Policy Process)」である。約1カ月をかけてワシントン→エルパソ(テキサス)→ロスアンジェルス→サンディエゴ→ハワイをまわるというルートで、国務省や国防総省(ペンタゴン)などの官公庁、RANDやCSISなどのシンクタンク及び陸海空軍施設など、様々な人と場所を訪れた。

 今回のプログラムに参加するにあたって、私の問題意識を絞れば、①トランプ政権登場にあって、アメリカが掲げてきた自由、民主主義、そしてこれらをめぐる諸価値は今現在どのように存在しているのか、及び②2015年安保法制以後の日米関係はいかに変化し、またはしていないのか、この2点である。

ワシントンに堆積するフラストレーション

アメリカ合衆国上院軍事委員会(ワシントンDC、向かって右端が筆者)拡大アメリカ合衆国上院軍事委員会(ワシントンDC、向かって右端が筆者)

 ワシントンでは、議会スタッフ(軍事委員会など)、国務省、ペンタゴンの実務担当者たちとのミーティングの場をもった。予算を約30%近くカットされる国務省はトランプへの恨み節がにじみ出ており、私が今回参加したような文化外交ともいうべきプログラムや外交的投資の削減への危惧など、トランプ政権の形式的な「内向き」のポーズのあおりを受けている国務省としては、あらゆる意味で戦々恐々といったところであった。

 比較憲法的に見ても、議会に対して大統領の権限が極めて弱いアメリカ憲法にあって、大統領がいわば〝大権〟を手にするのが、戦争=有事のときである(その意味でも、大統領のプレゼンスを発揮する場が〝戦争〟であるからこそ、歴代大統領は必ずと言っていいほど自ら新たな戦争にコミットしてきた)。

 この点、大統領就任前は、海外派兵や海外での米軍の駐留に対しても消極的・批判的な発言が目立ったトランプであったが、こちらはふたを開けてみれば、シリアへのトマホークミサイル発射や北朝鮮に対する先制攻撃も辞さない強硬姿勢、「航行の自由作戦」の再開など、「内向き」どころか、外向きに牽制行為を積極的に行う「けんか外交」である。かかる観点からも、国務省とペンタゴンの主導権争いは、ペンタゴン優位で進んで行きそうだ。とはいえ、今後北朝鮮に対する「レッドライン」も国務省とペンタゴンと軍の現場とで微妙な温度感の差があり、トランプの気まぐれからすれば、人事を含めいつどのように主導権が移動するかは注視しなければならない。

ホワイトハウス周辺のスタッフが口にする不満とは

IVLPのプログラム拡大IVLPのプログラム

 これらの省域を超えてホワイトハウス周辺に漠然と共有されている危惧感とフラストレーションは、政策決定プロセスの変化と、そのなし崩し的な溶解である。

 いまだ政府周辺の職員のポストの大半が未決定であり、政権がどのような意思決定の手順をとるのか明確にならないまま、政策立案担当者たちも手探りで仕事を進めている。

 暗中模索の中、唯一の手がかりは大統領のツイッターのみ。いくら今まで通りの論理と合理性で政策プロセスを詰めて準備をしていても、大統領の娘の発言一つでトマホーク発射まで決断してしまうといわれるほか、各国首脳には大統領自身が直接電話をかけて外交的な決定をする……。

 ホワイトハウス周辺のスタッフは大統領の決定があってから右往左往せざるを得ない。プロセス自体が不明確であり、しかもそれに関与できないまま決定が行われるという現在の政権の政策決定に対して、ホワイトハウス周辺のスタッフは口々にフラストレーションを語っている。

 プロセスに参加するからこそ、その決定に従う納得感を得られるのであり、これは民主主義の核心でもある。政権のエゴイズムが官僚組織を含めた人心を反故(ほご)にした結果、政権の求心力を低下させ、ひいては政権の致命傷になりうるということは、海を越えたこの極東日本でも、防衛省日報問題や加計学園に関する問題を見れば、明らかではないだろうか。

 政治による官僚機構の意思決定に対するプレッシャーや歪(ゆが)み、そしてそこからくるフラストレーションは、組織の結束やロイヤリティを蝕(むしば)む。官僚機構も人間が運営しているからだ。トランプ政権は、その意味でも、その内部に政権瓦解の萌芽を内包している。

「安保法制で何ができますか?」

 私は、今回、訪問したあらゆる場所であらゆる立場の人たちに必ず一つの同じ質問をした。

 「2015年の安保法制によって、何が変わり、何ができるようになったと理解していますか?」

 2015年の安保国会前夜の4月、日本の国会に先んじて、アメリカ議会で「安保法制の早期の成立を約束する」とした安倍首相の演説は、スタンディングオーベーションで迎えられた。我が国国会での審議は、その翌月の5月から始まった。

 同年9月に成立した新・安保法制において、〝限定的集団的自衛権〟は、結局のところ日本の存立危機事態が自衛権発動の要件であり、〝他衛〟と抑止力をその本質とするフルスペックの集団的自衛権とは異質のものであり、本質的に米軍の防衛に寄与する度合いは極めて低い。また、後方支援(重要影響事態)は自衛隊の危機にあっては速やかな「撤退」が定められ、米軍等の武器等防護(米艦防護)も、ミサイル発射まで「武器使用」の枠内で可能だが(2015年7月8日衆院平和安全特:黒江防衛政策局長答弁)、その武器使用の主語が「自衛隊」でなく「自衛官」であり究極的には自衛官個人の責任で発砲しなければならない。とすれば、法的には米軍のディフェンスのために発砲することは躊躇(ちゅうちょ)される。

 実際、今年5月に安保法制施行後初めて行われた米艦防護では、〝あえて〟日本の海上自衛隊は他の護衛艦よりも防御能力の劣るヘリ搭載のための「いずも」を派遣し、しかも北朝鮮危機が念頭にあるはずが、四国沖までの防護で北朝鮮を睨(にら)む日本海に〝あえて〟入っていないことは、安倍政権の対北朝鮮対応への本気度の低さの証左である。

 アメリカに対しては「対米追従」を盲目的に表明し、一方で国内的には北朝鮮の危機を煽(あお)っているにもかかわらず、本気の北朝鮮対策は行わない。目先のリスク回避のために国外的にも国内的にも二枚舌を使う、我が国の安倍政権の外交・安全保障政策はあまりに不誠実である。

納得できるレベルの回答はゼロだった

アメリカ本土防衛の要衝、バンデンバーグ空軍基地(カリフォルニア州、向かって左から2番目が筆者)拡大アメリカ本土防衛の要衝、バンデンバーグ空軍基地(カリフォルニア州、向かって左から2番目が筆者)

 話を戻すと、冒頭の安保法制についての質問に対して、アメリカの東アジア政治の専門家からの回答で、私が求めたレベルの回答は、ゼロだった。いわんや、法律の内容を細かく把握している専門家などいない(印象的だったのは、実務家ではなく大学の「日本研究者」は安倍晋三に対してネガティブな意見をいう人間が多数だった。これは、研究のレベルで日本国内の視点も持ち合わせているからにほかならない)。

 これは、端的に、アメリカの日本への本質的無関心を如実に表している。アメリカからすれば、日本は「太平洋・東アジア」という地域的(regional)なパーツの一部に過ぎない。

 発動可能性において極めて非現実的な「限定的集団的自衛権」が認められたことにより日本が可能になった軍事行動が何かということなどさして関心がなく、アメリカの思惑に協力できるかという観点から、歓迎すべきことであるかどうかしか関心がないのだ。漠然と「国際平和」や「米軍」という、総じてアメリカの〝覇権〟の形成にコミットできるかどうかの踏み絵を踏めるという「メッセージ」が重要なのだ。

 これはつまるところ法論理的な軍事行動の可否や論理整合性など関係ないということであり、極論すると「そこのところはうまくやってくれよ」ということにほかならない。表では評価され、ほめられ、裏で銃口を突きつけられているようなコミュニケーション。責任をとるのはもちろん、我が国日本と日本国民である。

〝Japan Seller(日本を売る者)〟は誰か?

 今回の訪米で今一つ印象的だったのが、シンクタンクから政府関係者まで、共和党系・民主党系双方ともに「安倍晋三はクールでスマートだ」「彼は世界戦略を理解している」という反応が返ってきたことだ。よくよく話を聞けば、彼らがレクを受けているのは、当然、アメリカに気に入られるよう「営業」を繰り返す外務省やその周辺のアメリカンスクール(〝親米知識人〟)の人々である。

 安保法制を含めたアメリカの要求に答える外交防衛政策、アベノミクスの成功等々、営業商品である「日本」をあまりにアメリカ好みにカスタマイズしすぎるがゆえに、彼ら営業マンが語る商品「日本」はほぼ虚偽表示といってもよいほど変幻自在に誇張され矮小化され、いわば〝印象操作〟がなされている。彼らのおかげで、アメリカは安心して日本に様々な要求ができ、日本はアメリカの機嫌を損ねることなく付き従う=安定を得られるという構造を安定的に継続可能にしている。

 しかし、いったいこのようなアメリカンスクールたちはどこを見て政治的決定をしているのか。彼らが日米関係を語るとき、アメリカとの同盟関係は所与のものという前提から出発するため、日本独自の存在意義や価値をゼロベースで構築し、我が国を中心にその他の国家との距離感をはかることができない。ある種の思考停止である。
航行の自由作戦をはじめとして、日本もアメリカも、各自の国及び日米関係の外交・安保にかかる行動原理は国際秩序における「法の支配」の確保及び実行化というのが建前である。

 しかし、はたして世界に売るべき日本製の法の支配は存在するのか?

 外交安保関係者には、憲法論議、国内の政治変動や政治的スキャンダルを指して「そんなことをやっている場合か」といった言説を繰り広げる人間が多い。しかし、国内の法の支配を実現せずに、国際社会の法の支配を語るなどあまりに意識が低くはないか。

 そもそも、なし崩し的にアメリカに協力することはできても、憲法9条2項は英文で「land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.」と規定しており、自衛隊が十全に活動することなど予定されていないのだ。

 交戦権と戦力規定に向き合わなければ、憲法の権力統制規範としての価値は喪失される。先日、世界的な法律関係の学会で、中国人研究者が日本国憲法を指して、「立派な憲法を持っているのに、まったく守られていないところは中国と同じ」と言ったという冗談としても文字通り「笑えない」チャイニーズギャグを聞いたことがある。

 権力統制規範としての価値を自ら放棄・放置している国及び国民が「法の支配」とはくちびる寒し、である。その他、憲法遵守はもちろん、情報公開や公文書管理、メディアと権力等、日本国内の法の支配の危機は明らかである。

 国内政治国際政治二元論と、これらに適用される価値のダブルスタンダードを克服しなければ、我が国は国内政治でも国際社会でも、行先と存在価値を見失ってしまうだろう。

今こそ日本が先頭にたって普遍的価値を語れ

 トランプの「アメリカ・ファースト」に続けとばかりに、日本でも「ファースト」と名乗る勢力が旋風を巻き起こそうとしている。

 「日本ファースト」は、まさに日本だけにしか通用しない内向きでエゴイスティックな価値を語ろうとしている。自民党改憲草案や安倍政権の姿勢にも共通するが、自分たちの単一的な価値に共感するか否かを突きつけてくる。そして、その物語に共感できない人間は「こんな人たち」である。彼らには普遍的な価値にコミットしようという意思がない。

 トランプの登場と世界情勢の不安定化で、米国がどうなろうと日本自身がどのような国家として立つのか、重要な選択を迫られている。今こそ、日本が権利や自由、そして、一人一人の善き生を尊重する普遍的価値を標ぼうする国家としてリーダーシップをとるチャンスである。

 そのためには「日本ファースト」的なものではなく、普遍的な価値を語る胆力のある政治勢力の台頭が目下の急務である。そのときに、価値のレベルで、日本はアメリカと対峙できるのではないだろうか。

 約1カ月のアメリカ滞在は、私にその確信を抱かせた、大切な旅であった。

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筆者

倉持麟太郎

倉持麟太郎(くらもち・りんたろう) 弁護士、慶応義塾大学大学院非常勤講師(憲法)

1983年、東京生まれ。慶応義塾大学法学部卒業、中央大学法科大学院修了。2012年弁護士登録(第二東京弁護士会)。慶應義塾大学大学院法務研究科非常勤講師(憲法)。弁護士法人Next代表弁護士・東京圏雇用労働相談センター(TECC)相談員として、ベンチャー支援、一般企業法務、「働き方」等について専門的に取り扱うも、東京MX「モーニングクロス」レギュラーコメンテーター、衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考人として意見陳述(2015年)等、企業法務実務の傍ら、憲法理論の実務的実践や政策形成過程への法律実務家の積極的関与について研究。共著に『2015年安保~国会の内と外で~』(岩波書店、2015)、『時代の正体2』(現代思潮新社、2016)。

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