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希望の党の「排除」が甦らせた立憲政治の「希望」

専制化への反撃の狼煙がついにあがった

小林正弥 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

「立憲民主党」の結成について会見する枝野幸男氏拡大枝野幸男氏が立ち上げた「立憲民主党」は立憲政治の「希望」になるか

本当の「希望」はどちらか?

 「国難突破」とは強権的な政府が用いる常套句であり、それを名目にする衆議院の解散が与党の勝利に終われば日本政治も専制化の道を歩むことになりかねない(「「国難」という謳い文句はナチスも使った――権謀術数の衆院解散で問われているもの」WEBRONZA)。これ自体がまさに「国難」というべき非常事態である。だからこそ解散後、野党も予想していなかったような大激動が生じたのだ。

 野党第1党である民進党が、衆院では自ら「解党」して「希望の党」に合流することを決めた。ところが「希望の党」が民進党からの申請者を選別したので、民進党・代表代行だった枝野幸男氏が「立憲民主党」を結成した。こうして、自・公、希望・維新、立憲民主・社民・共産という3極の構図が成立した。「希望の党」の「排除」の論理が、「立憲民主党」の誕生を促したわけだ。

 「立憲」という言葉は、もともと明治憲法下で専制政府に対して議会政治を主張した政党が名乗ったものだ(立憲改進党・立憲政友会・立憲民政党など)。この日本固有の政党名には、専制から議会政へという歴史的発展が刻印されている。

 最近では憲法学における「立憲主義」という言葉を念頭に置いていることが多いが、幕末から用いられた「立憲政治」とか「立憲政体」という言葉がこのような政党名の起点である。これが縮約されて「憲政」という言葉が定着した(注)。これは「憲法に基づいて行う政治」とか「近代的議会制度による政治」(『広辞苑』)という意味であり、まとめて言えば「憲法に基づく議会政治」を指す。つまり、立憲とは憲政に他ならず、立憲民主と言えば憲法に基づく民主主義ということになる。
注)小林正弥「序 憲政と憲法政治」(坂野潤治・新藤宗幸・小林正弥編『憲政の政治学』東京大学出版会、2006年)

 戦後は憲法によって自由民主主義的な議会政治が確立して憲政は当たり前になったから、あえて立憲を名乗る必要はなくなった。ところが、特に第2次安倍政権以降、学問的には「新権威主義」といわれるような専制化が生じている。だから、野党から再び「立憲」を政党名に冠する必要性が生じたのだろう。

 私は2年ほど前の2015年10月、民主党が民進党に名称変更をするより前だが、民主党が根本的に再生して立憲主義的結集を実現するために、理念に立憲主義と民主主義を加えて「立憲民主党」と改名することを提案した(「国民連合政府を超えた平成「維新」の実現を(下)――立憲連合という正義の戦略」WEBRONZA)。その通りの名称の新党と立憲主義的結集の構図が実現したわけだ。

 小池党首の「排除致します」(9月29日)という発言は印象が悪く、初めはブームが起こりそうだった「希望の党」に「希望」を感じなくなった人も多いようだ。でも、その結果として「立憲」の理念が甦るなら、そこには民主主義の復活という希望が生まれる。逆説的ながら、「希望の党」は「排除」によって立憲政治という「希望」を日本政治に甦らせたのかもしれない。

理念なき民進党の自爆

 前原誠司・民進党代表の決断は、安倍政権を倒すために「名を捨てて実を取る」ためという(9月28日)。その言やよし――しかし、その際に民進党候補者は全員「希望の党」から立候補できると期待していたのだろうか、それともそれは無理と知っていたのだろうか。両院議員総会で混乱なく承認されたのは、前原氏の発言から議員たちが前者と思ったからだ。それなら、その後で小池百合子氏の「手のひら返し」にあって騙されたことになる。そうでないなら、前原氏は不誠実ないしミスリーディングな説明を同志たちにあえてしたことになる。「全てが想定内だ」(10月3日)という前原氏の発言を聞くと、後者に思えてくる。それなら、党首が同志たちの一部を裏切って解党を強行したという責めは免れないだろう。

 いずれにしても、民進党はその生命を終えた。前原氏の判断はその当否を歴史によって問われるだろうが、解党の根本的な原因は政党そのものにある。民主党は当初の理念を失ったため、自壊し政権も失った(「民主党政権はなぜ失敗したのか?――理念を軽んじた「政党」の自壊」WEBRONZA)。その後も明確な理念を取り戻すことができなかったゆえに、人々の信頼が回復せず、安倍政権の失政にもかかわらず支持率が低迷を続けたのだ。

 蓮舫前代表には、個人的な人気による党勢の回復が期待されたが、野田佳彦元首相を幹事長にしたことによってその可能性は絶たれたに等しかった。野田元首相こそが、理念なき民主党の象徴であり、社会保障と税の一体改革での自公との3党合意によって民主党の政策的独自性を縮小させて政権から転落させた責任者だからだ。

陰湿な踏み絵による大政翼賛会?

 前原代表も中道右派ないし右派で、自民党と理念や政策が近いという点では、基本的には野田氏と同じだ。前回に代表だった際に、私は右派2大政党制の成立という危険性を指摘した。それは、健全な議会制民主主義を崩壊させるとの懸念からだった。

 今回の民進党代表選では、「ニュー前原」をアピールして社会保障政策なども主張していたが、結果的にはかつての前原氏の印象どおりの決断をしたことになる。「希望の党」は明らかに右寄りの政党だから、その中に民進党議員が入るということは、選挙結果によっては右派2大政党制の実現になりかねない。安倍政権が崩壊しても、これは変わらない。

 ここに生じてくるのは、日本の大政党が立憲主義や本来の意味での民主主義を主張しなくなってしまい、強権政権を支持するだけになるという危険性だ。「希望の党」が民進党議員に政策協定書という名の誓約書を書かせるに至って、これは明確になった。改憲の内容も特定せずに「憲法改正を支持すること」や、安保法の容認、「外国人に対する地方参政権の付与」への反対、金額不明の拠出をさせられるというものだったからである。これは、陰湿な踏み絵そのものだ。

 民進党議員全員がこれを踏んで信念を捨ててしまえば、与党も含め大多数の国会議員が立憲主義を蹂躙することになってしまう。そこに現れるのは、戦前に軍部に支配されて、当時の2大政党がいずれも大政翼賛会に加わった政党の姿だ。現にそれを連想する人は少なくなかった。

 しかも「希望の党」は選挙後に自民党と連合する可能性がある。現に小池代表は、首相指名選挙は選挙結果を受けて判断すると言っており(10月5日)、自民との連立を排除しないことを明言した(10月6日)からだ。安倍政権が崩壊しても、自民党と大連立を組んで改憲を追求する可能性もあるわけだ。小池氏の過去の言動やその周辺の政治家には右翼的ないし極右的な色彩があり、「希望の党」は右翼的ポピュリズムの政党とみなすべきだろう。その連立政権が右翼的ないし極右的な性格を帯びることもありうるのだ。

専制化の頓挫と大乱?

 だから左派には、安倍政権でも「希望の党」政権でも悪いことに変わりはないという議論がある。でも必ずしもそうとは言えないだろう。 ・・・続きを読む
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筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も務める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『神社と政治』(角川新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。

 

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