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日韓条約に反対して韓国ソウルの国会議事堂前に座り込んだ学生たち=1964年3月25日拡大日韓基本条約に反対して、ソウルの国会議事堂前に座り込んだ学生たち=1964年3月25日

抑え込まれた国民の声

 朴正煕大統領の経済効率を最優先する姿勢を最もよく表している政策は、日本との国交正常化であろう。1964年にアジア初のオリンピック開催を実現させるなど、急速な高度経済成長を遂げていた日本との関係改善は、韓国にとって急務であった。その一方で、日本との間には植民地支配の「負の歴史」があり、日韓両国は1951年から国交正常化についての交渉を10年以上進めていながら、状況は遅々として進んでいなかった。

 朴正煕は当時、前掲の著書の中で「日本が真心から悔い改め、現行の国際情勢の中で韓国に協調するならば、過去の歴史の傷については再論しない」との姿勢を示していた。そして、経済発展を遂げた日本の資金的および技術的な支援は韓国の将来に不可欠なものと捉えていた。加えて、その当時のアメリカはアジアにおける重心を戦地であるベトナムに移さざるを得ず、それまで重視してきた朝鮮半島情勢を安定させるためには、韓国と日本の関係改善が欠かせないとして、国交正常化を後押ししていた。

 しかし、問題は民意であった。当時の韓国国民が求めたものは、経済協力資金といった形態ではなく、植民地時代の収奪等を踏まえた賠償金であった。また、その金額に関しても李承晩大統領時代に20億ドル、張勉首相時代に38.5億ドル規模を主張していたこと、および日本のフィリピンへの賠償金が5.5億ドルであったことなどが念頭にあった。そうした中で、1962年に政権ナンバー2となっていた金鍾泌と外務大臣であった大平正芳の間で合意された「日本側が賠償という形ではなく、有償・無償併せて5億ドルを供与する」との内容が広まると、韓国国内は収拾がつかない状況に陥ったのである。

 植民地時代からは20年近く経過していたものの、韓国人にとって、その記憶は創氏改名をはじめとした文化的基盤を無視した政策、および隣国に支配されたという屈辱と共に生々しく残っていた。にもかかわらず、36年間におよぶ高圧的な植民地支配が公式な謝罪のないままに「解決済み」とされることは、多くの韓国人には受け入れ難かったのである。

 加えて、1953年の日韓両国の交渉の中で日本側の首席代表であった久保田貫一郎が行った「日本は植民地支配を通じて、韓国に恩恵を与え、ソ連の植民地になることを防いだ」といった発言も火に油を注ぎ、その後の交渉過程においても同種の表現が繰り返される中で、韓国市民の不満は積み重なっていった。

 こうした発言は現在でも時折耳にするが、帝国主義的な趣が強く、相手国からの視点が全く欠如した物言いである。確かに、植民地支配を感謝するような言説が韓国をはじめ、かつての被植民地国で語られることはある。しかし、それは現状が劣悪である場合の皮肉を込めた例えであり、他者に支配されたいと望む者は世の東西を問わず皆無であることは間違いない。

 そうした経緯がある中で、金鍾泌が民意を無視して密室で日本側と合意したことが明らかとなり、溜まりきった怒りが大学生の主導する市民運動という形で噴出した。特に、日韓基本条約締結の1年前である1964年の反対運動は大きなものとして知られている。

 その運動は最も盛り上がりを見せた日付から「6・3抗争」と呼ばれており、当時、高麗大学商学部の学生会長を務めていた後の大統領の李明博(イ・ミョンバク)らが主導していた。彼には当時、「国を愛する若者であれば、国の誤りを批判するのは当然の義務」との信念があった。同様の情熱に後押しされた市民の意識は、1960年の4月革命以来となる1万人以上のデモがソウル市内で起きたことに代表される。事態の収拾を急いだ韓国政府は6月3日夜、ソウル市内に非常戒厳令を出し、李明博をはじめ多くの逮捕者を出した。

 その1年後の1965年6月22日に日韓基本条約は調印され、国交正常化が成されたのであるが、その前後にも反対運動は強まり、4月にはデモに参加していた大学生が警官に殴打され死亡する事件すら起きた。政府は大学や高校へも介入し、休講措置を取り、8月には国会での条約批准に反対したデモに反応して大学へ武装軍人が乱入するほどの混乱ぶりであった。

 教育機関への介入は、李承晩政権末期の対応を想起させるものがある。そして、8月26日には衛戍(えいじゅ)令(ある地域に軍部隊を駐留させ、地域の警備を命ずる指令)がソウル市内に発動された。換言すれば、朴正煕政権は非常手段でしか事態を収束できないほど、反対の声は国内に渦巻いていたのである。

朴正煕が自らに投影した明治維新 ・・・続きを読む
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筆者

金恵京

金恵京(きむ・へぎょん) 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

国際法学者。日本大学危機管理学部准教授、早稲田大学博士(国際関係学専攻)。1975年ソウル生まれ。幼い頃より日本への関心が強く、1996年に明治大学法学部入学。2000年に卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程に入学、博士後期課程で国際法によるテロリズム規制を研究。2005年、アメリカに渡り、ローファームMorrison & Foester勤務を経て、ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学東アジア学部客員教授を歴任。2012年より日本に戻り、明治大学法学部助教、日本大学総合科学研究所准教授を経て現在に至る。著書に、『テロ防止策の研究――国際法の現状及び将来への提言』(早稲田大学出版部、2011)、『涙と花札――韓流と日流のあいだで』(新潮社、2012)、『風に舞う一葉――身近な日韓友好のすすめ』(第三文明社、2015)、『柔らかな海峡――日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル、2015)、最新刊に『無差別テロ――国際社会はどう対処すればよいか』(岩波書店、2016)。

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