民進党再結集は急がず、「立憲の枝」による選挙連合で戦え
2017年10月25日
衆院選の結果をどう見て、今後をどのように考えるべきだろうか。政権への不支持が広がっているにもかかわらず、野党分裂の結果、与党は3分の2を維持した。これを見れば、安倍政権が専制化を完成させ、改憲を強行していく危険が現実のものになったということになる。
このような結果をもたらした前原誠司氏と小池百合子氏の責任は、言いしれぬほど重い。「万死に値する」という批判も出た前原氏が辞意を表明したのは当然だ。
他方で、「希望の党」は不振で、立憲民主党が躍進した(公示前から40議席増)。3極の構図で見れば、与党の自公は5減、第2勢力の「希望+維新」は10減、第3勢力の「立憲民主+社共」は31増となる。「希望の党」が成功していれば、実際には与党との政策の差は小さいから、大連立を組んだり改憲に協力したりする可能性があった。これが大政翼賛会型の右翼的2大政党化の構図だったが、この芽は潰(つい)え去った。これは自由民主主義にとって好ましいことであり、この点で選挙結果は最悪というわけではない。
その結果、立憲主義的野党の存在感は増した。公明党と維新の会も減少したから、野党第1党となった立憲民主党をはじめ、立憲主義的政党が憲法改定に一致して反対すれば、与党が3分の2を保っても憲法改定を強行するのは容易ではない。
しかも立憲民主党の勢いが続けば次の国政選挙では与党を脅かすことになるから、無謀なことはしにくくなるだろう。この新党の躍進は新しい民主主義の黎明を思わせるから、メディアや世論にも影響を与えるだろう。政権のメディアに対する威嚇も効きにくくなるかもしれない。
こう見ると、この選挙結果には専制化の危険性と民主主義の再生という可能性とが交錯しており、今後の展開によって、改憲にも立憲主義の回復にも向かいうることがわかる。「三国志」の世界にたとえれば、今回の選挙は主人公の第3勢力(劉備たち)が旗をあげて一国(蜀)を作るに至った戦いだろう。しかも第2勢力の「希望の党」は勢いをそがれて、小池代表の右翼的リーダーシップが動揺しているから、この党とも連合して与党と対抗する可能性が現実化した。それを実現するために必要なのは戦略的思考である。
立憲民主党の選挙運動には瞠目すべきものがあった。枝野代表の演説には、およそ8000人(最終日の東京・新宿)もの人が自発的に集まり、立錐の余地なくつめかけた。人々の輪の中心で低い踏み台に枝野氏が立って、民主主義の理念を諄々と説き、人々は真剣に傾聴して、思わず涙を流す人も少なくなかった。「上からの政治を草の根からの政治へと変えていく」「真っ当な政治を取り戻しましょう」「新しい民主主義を作っていくために一緒に歩んでいただきたい」と水平的に語りかけ、草の根民主主義を説いたのだ。
この光景は、日本でようやく真の民主主義が本格的に現出した歴史的瞬間ではないだろうか。人々が殺到して枝野コールが響き渡り、初めて選挙演説を聴きに来た人、初めてボランティアになる人がたくさん現れたという。
政治家が魂の奥底から不屈の信念を語り、理念を訴えるところに、人々の心が共鳴する。演説を聴いて、心が洗われ、希望と勇気を汲み取り、自ら公共的な世界に関わっていく――これぞ、本来の民主主義の理想だ。政治学では参加民主主義とか、草の根民主主義と言う。
民主主義本来のダイナミズムは、普通の人々が政治に感動し、そこに夢を抱いて、自らそこに関わっていくところにある。アメリカ政治で言えば、J.F.ケネディの、近年ならオバマの選挙運動がそうだった。このダイナミックなエネルギーを立憲民主党はついに日本において解き放ったように見える。
他方で、選挙戦最終日の安倍首相の秋葉原での演説は、固いガードに守られて日の丸の旗がたなびく右翼的な色彩の強いものであり、好対照だった。どちらが民主主義にふさわしいだろうか。保守的・右翼的な新聞ですら、選挙当日には枝野演説の写真を一面で使って話題になったほどである。
希望の党の「排除」が甦らせた立憲政治の「希望」――専制化への反撃の狼煙がついにあがった(WEBRONZA)
立憲民主党に必要な理念は「リベラル」ではない――「立憲自由民主主義」を旗印にせよ(WEBRONZA)
これまで不覚にも私は知らなかったが、枝野幸男(ゆきお)という名前は、祖父が尊敬していた尾崎行雄(ゆきお)にあやかってつけられたものであり、その名前の由来を聞いて物心がついた時から政治家を志望していたという。してみれば、
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