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バラバラの野党を再構築するために必要なこと

政権目当ての呉越同舟は続かない。地域社会を足場に社民と保守を統合する新たな理念を

宇野重規 東京大学社会科学研究所教授

野党の分裂がもたらした与党の勝利

 選挙の意味は終わってしばらくたたないと、本当のところはわからない。自民、公明の与党で憲法改正の発議ができる定数の3分の2超の議席を獲得した今回の衆院選であるが、表面的に見れば、安倍政権が信認を得たということになるだろう。

 ただ、その一方で、与党の勝利が野党の分裂という敵失によって得られたものであることについても、多くの論者がまた、指摘する通りである。小選挙区制を中心とする選挙制度のもとでは、野党が分裂しては勝負にならない。こうした当たり前の事実をあらためて確認したことが、衆院選のもう一つの意味だったのは明らかだ。その点で、有権者の、そして政治家自身のリテラシーは間違いなく高まったはずだ。

 だが、問題の本質はより深刻だ。私たちは今、野党とは何かという問いに、真剣に向き合わなければいけない局面にある。

消えかかる政権交代の可能性

会談に臨む野党の国対委員長ら。中央は立憲民主党の辻元清美氏、左隣は希望の党の笠浩史氏=11月8日、国会拡大会談に臨む野党の国対委員長ら。中央は立憲民主党の辻元清美氏、左隣は希望の党の笠浩史氏=11月8日、国会

 野党を英語でいうとopposition party。つまり、「反対=opposition」の「党=party」である。文字通り、与党と現政権に対抗し、その政策やあり方を批判する勢力であるが、単に与党に対抗し、批判すればいいというわけではない。少なくとも、小選挙区制を導入した1990年代の政治改革の意図は、批判的であるだけの野党ではなく、政権交代を可能にする野党、すなわち選挙に勝利して政権を担うだけの力と準備のある野党をつくり出すことにあった。

 その意図は、民主党による2009年の政権交代により、いったんは実現したかに思えた。しかし、民主党政権が3年余りで崩壊した後、民主党(民進党)の低迷と「安倍一強」の風潮のなか、今日では政権交代の可能性は消えかかっているように見える。

前原、小池両氏だけの責任なのか

 今回の衆院選における野党分裂劇を、前原誠司・民進党代表と小池百合子・東京都知事の責任とすることは容易である。しかし、民進党の希望の党への合流を決めた前原氏が「だまされた」とか、小池氏の「排除」発言が不用意であったとかいうだけでは、いささか問題を矮小(わいしょう)化しているのではなかろうか。

 なるほど、2人に計算違いがあったことは明らかだ。合意の内容が、あまりに曖昧(あいまい)だったことも確かである。しかしながら、野党が一本化しなければならないという戦略それ自体が間違っていたわけでは決してない。

 実際、合流を決めた民進党の両院議員総会では、強硬な反論が出るどころか、どこか高揚した雰囲気さえあったという。民進党議員の間には、この党の看板で戦うことに対して、どこか行きづまりの感覚があったのであろう。選挙後の彼らの希望の党に対する批判には、いささか「後出し」の印象が拭えないが、「だまされた」側にもその時点ではそれなりの理由があったのである。

バラバラになって求心力が出た皮肉

 思えば、民主党時代を含め、他の会派と合併することで組織を大きくしてきたこの党は、つねに組織の一体感が弱いという課題を抱えてきた。

 確かに、中道左派政党が政権をとるためには、社会民主主義者から保守主義者まで、幅広い勢力の結集が必要である。とはいえ、多様な勢力が集まれば集まるほど、党のイメージはぼやけ、むしろ内部調整のコストとストレスが高まってきたのがこの党の歴史であった。実際、民主党政権の挫折は政策の失敗以前に内部のガバナンスの失敗によるものだったし、維新の党と合併して民進党になってからも、党の求心力は低下する一方だった。

 今回の衆院選における立憲民主党の躍進は、その意味で皮肉な事態と言えるかもしれない。意見の違う勢力が無理に一緒になるよりもバラバラになった方が、少なくともその一方には求心力が生まれるということが明らかになったからである。

 そもそも、前原代表がさかんに口にした「(反米的な)共産党とは組めない」という発言には、党内において共産党との連携を辞さない勢力と決別したことを、むしろ喜ぶ雰囲気さえうかがえた。こうしてみると、民進党の分裂はある意味、やむをえなかったことにも思えてくる。希望の党への合流組と立憲民主党とは、別れるべくして別れたのである。

前途遼遠な政権交代への道のり

 民主党から民進党にかけて、党の存続を脅かす博打(ばくち)に打って出たのは、民主党政権末期に解散をおこなった野田佳彦首相と、今回の合流騒ぎの前原代表である。いずれも党内における保守派のリーダーである点が奇遇を感じさせる。

 2人はともに党内融合を目指しながら、その途上で結果的に党を解体へと向かわせる決断をしたことになる。そこに、この党における左右対立の深刻さを見てとることができるかもしれない。2人の決断のなかに、最終的には「党が壊れても仕方がない」という「あきらめ」のようなものを感じるのは筆者だけだろうか。

 そうだとすれば、野党の再結集への道はやさしいものではないだろう。安直に民進党の復活を目指せば、「選挙目当ての離合集散」という批判を免(のが)れない。なにより、民主党時代から続く、意見の異なる勢力間の内部調整コストによる失敗を繰り返しかねない。

 かといって、それぞれの勢力が純化・自立路線に走れば、巨大与党に対して無力になるばかりである。いずれの道を進んでもなかなか展望は開けない。政権交代可能な野党の勢力結集の前途は遼遠(りょうえん)と言わざるをえない。 ・・・続きを読む
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筆者

宇野重規

宇野重規(うの・しげき) 東京大学社会科学研究所教授

1967年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。同大学社会科学研究所准教授を経て2011年から現職。専攻は政治思想史、政治学史。著書に『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、『保守主義とは何か』(中公新書)など。