アーカイブ機能を重視し、沖縄と本土双方向の目線を重層的に積み上げたい
2017年12月14日
「OKIRON/オキロン」とは、「沖縄を論じる」の二文字をとった「沖論」を、ローマ字とカタカナで表記したもの。それからもわかる通り、沖縄について学び、考えるためのプラットホーム・サイトだ。スタートしたのは先月11月半ば、まだ生まれたてのほやほやだ。https://okiron.net/
編集方針などを決めるエディターは今のところ8人。私と一緒にコア・エディターをつとめるジャーナリストの渡辺豪さんと上智大学教授の宮城大蔵さんが、次々と声をかけて参集した。ウチナーンチュもいれば、ヤマトンチュもいる。それぞれ、本業の仕事をもっている。大きくいうと記者と学者ということになるのだろうけど、ひとりひとりのバックボーンも違えば、沖縄との関わり方もさまざまだ。
そんな8人がなぜ「オキロン」に集まったのか。毎日いろいろと忙しいはずなのに、どうしてわざわざ手弁当で新しいサイトに関わり、自らも原稿を書こうとするのだろう。立ち上げの作業に参加しながら、ふとそんなことを考えたりしていた。
そしてなんとかスタートにこぎつけた今、こんな風に思うようになった。私たちを引きつけたのは、沖縄の持つ磁力とでもいうべきものではないか。逆にいえば、沖縄という島はそれほど強い磁力を発しているのではないだろうか。
それでは、その磁力の正体は何なのだろう。
一言で表現するのは難しい。というより、メンバーによって異なるだろう。私自身で言えば、「沖縄を見れば合わせ鏡のように日本という国の姿が見える」ということではないかと思う。
琉球処分と、方言(島くとぅば)を禁止するなどしたその後の本土化の流れは、当時の日本の植民地主義的政策を映し出しているし、唯一の地上戦となった沖縄戦のありようと、日本兵の振る舞いは本土の人間の沖縄への差別意識をいやおうがなく感じさせる。
そして今も置かれ続けている米軍基地は、アメリカの占領状態が続いていると言われてもおかしくない現実を示しているし、沖縄へのその集中ぶりと変わらぬ地位協定は、基地問題をめぐってはアメリカとはなぜか向き合おうとしない日本政府の映し鏡でもある。
つまり沖縄について学び、語ることは、最も先鋭的に日本の姿を見つめることなのだ。そして歴史に翻弄(ほんろう)され続けている沖縄の人々は、私のような本土の記者からすると、取材しないではいられない対象におのずとなっていく。
もちろん沖縄の持つ磁力はそれだけではない。
沖縄というと、過去と厳しい現状につい目が行ってしまうが、これほど未来の可能性にあふれている島もなかなか見当たらない。豊かな自然に恵まれているうえ、アジアの中間層の拡大も後押しして、観光客の数はハワイを抜く勢いで増えている。
地理的利点は観光だけでなく、東アジアの平和に貢献できる将来の可能性も秘めている。平和の父と呼ばれるヨハン・ガルトゥング博士は、東アジア共同体を作り、その本部機構を沖縄に置いてはどうかと唱えている。
もうひとつの強力な磁力は文化だろう。三線(さんしん)の音色と島唄、踊り、そして沖縄料理も、私たちを引きつけてやまない。さらにその文化の担い手、沖縄の人こそ磁力そのものかもしれない。はるか昔から中国と日本の間で生き抜くために身につけたしたたかさ、異なる者たちへの温かさとおおらかさは、決してまねのできるものではない。
しかしその一方で、現実は歓迎すべき方向に行ってはいない。
沖縄と本土の亀裂はむしろ深まっていると言ってもいいだろう。本土の言論空間では、沖縄の民意に寄り添う側と、敵視する側の両極に分かれる傾向が生まれている。さらに沖縄ヘイトと言うべき悪意に満ちた情報も流され、ますます本土から沖縄の実相が見えにくくなっている。
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