沖縄の自己決定権の主張と、基地引き取り運動の可能性
2018年01月19日
沖縄との溝―本土日本人は植民地主義と決別を――決定的に欠ける「当事者意識」。「辺野古」は植民地主義や差別の象徴
沖縄と本土の大きな溝を作っている大きな原因の一つは、歴史認識である。
アジア・太平洋戦争後、沖縄は27年間、米国の統治下にあった。日米の憲法は適用されず、住民の命や人権、暮らしよりも米軍の運用が最優先される“無法地帯”だった。そこからの脱却を目指す運動が「祖国復帰運動」だった。この運動は単なるナショナリズム運動ではなく、権利獲得闘争だったとみることができる。「世界一」と冠される米軍と闘った苦悩の歴史の延長に辺野古新基地問題を位置付けるのか、それとも、北朝鮮や中国の「脅威」を出発点に捉えるかで、辺野古問題の見方は180度異なると感じる。
苦悩の歴史を理解して辺野古の問題を見ると、「これ以上、沖縄に負担を強いるべきではない」との意見になるだろう。一方、「脅威」から出発すると「沖縄は甘えるな」あるいは「反日」というレッテルを貼ることを促すだろう。「沖縄は犠牲になって当たり前」という意見さえ出てくる。北朝鮮がミサイル実験を繰り返せば繰り返すほど、本土の世論が後者に傾いていくことを私は強く心配している。
この危機感から2017年12月、拙書『続 沖縄の自己決定権 沖縄のアイデンティティー―― 「うちなーんちゅ」とは何者か』(高文研)を出版した。沖縄で今、県民の心を捉えている言葉がある。翁長雄志知事が発した「イデオロギーよりアイデンティティー」だ。本書は、その「沖縄のアイデンティティー」を、日本人のナショナリティー形成という大きな歴史的視点から捉える試みである。
重視するのは、アジア・太平洋戦争後の沖縄における「祖国復帰」運動の展開と、「復帰」論議の変遷だ。中でも、日米両政府による沖縄返還プログラムが明確化した1970年前後、沖縄の知識人が「復帰」を徹底的に議論した復帰論・反復帰論に焦点を当てている。これらの議論は、「基地のない平和な島・沖縄」を目指した運動が、広大な米軍基地が残ることで挫折感を深める中で噴出した。その中で「沖縄人」が表明されたのだ。
その「沖縄人」は沖縄の将来展望を「日本復帰」から「自立」へと変容させた。1972年の「復帰」から45年を経た今、沖縄は「自己決定権」を主張するに至っている。権利獲得闘争という一貫した戦後史の流れがあってこそ、今の沖縄の立ち位置がある。この観点から本書は現在の日本本土と沖縄の“溝”を解き明かす試みである。
前編著『沖縄の自己決定権――その歴史的根拠と近未来の展望』(高文研)もそうだが、沖縄の歴史を広く知ってもらうことで、沖縄と本土の“溝”を少しでも埋められないか、と考えている。しかし、残念ながら、北朝鮮がミサイル実験を繰り返せば繰り返すほど、本土の世論は沖縄の新基地建設問題に冷淡になっていると感じる。沖縄ヘイトも活発化の様相を呈している。
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