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有権者は改憲の国民投票を行いうるか?

「理にかなった」判断に必要なエリートによる十全の議論とメディアの適切な報道

境家史郎 首都大学東京准教授

話題になった「村本・井上論争」

 2018年元旦に放送された討論番組「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)でなされた、お笑い芸人・村本大輔の発言をめぐるやり取りが、ちょっとした話題になっている。

 村本が「(自衛隊が)『違憲』っていうのは、何が違憲なんですか」と問い、憲法9条2項を「読んだことがない」と述べたところ、他の出演者から「自分の無知を恥じなさい」「義務教育の小学校6年生の授業でやっている」などと総攻撃を浴びることになった件である。

 このやり取りのなかで、「視聴者の代弁者だから(あえて質問をした)」という村本に対し、井上達夫(東京大学大学院教授)が「ある種の愚民観を感じるのね。国民はよくわからないんだからとか」と批判する場面があった。村本は納得がいかなかったようで、ツイッター上で翌日、「僕も(自衛隊違憲論を)知らない」とする一般人を早速見つけたとし、「バカ学者ども、お前達は街の人を知らない…お前らは知で飯食ってるから知ってるだけ」と反論している。

 他方、井上も後日このやり取りを振り返り、「普通の庶民も…(9条の)条文くらいは中学・高校の社会科の教科書や授業で一度ならず読んだはずである。…2項の条文を虚心坦懐(きょしんたんかい)に読み、これを自衛隊・安保という軍事的現実と比較するなら、学者・政治家などのエリートの詭弁(きべん)に毒されていない庶民は当然『何かおかしい』と思うはず」と述べている(iRONNA「ウーマン村本よ、国民を「愚民視」しているのは誰か」)。さらに井上は、こうした愚民観は護憲派憲法学者にも広くみられるとし、「憲法改正国民投票の機会を国民から剥奪(はくだつ)」しようという考えにもつながっていると懸念を表している。

 いったい、村本と井上、いずれの「庶民観」、「平均的有権者像」が実態に近いのだろう。

 この点、自分自身の知識や個人的経験、印象をもとに議論していては、水掛け論に終わるほかない(ちなみに、本稿の読者は、こうした問題に特別の関心を持っているという点で、すでに「平均的有権者」ではない)。国民が憲法について、実際にどの程度知識を持っているのか、どのようにその内容を考えているのかは、実証的に論じられるべき問題なのである。

意外と貧しい有権者の憲法知識

授業のなかで改憲について議論する高校生と大学生。9条改正の模擬投票も行われた=2017年12月12日、岐阜県立岐阜高校授業のなかで改憲について議論する高校生と大学生。9条改正の模擬投票も行われた=2017年12月12日、岐阜県立岐阜高校

 筆者が昨年に上梓(じょうし)した『憲法と世論』(筑摩選書)は、まさにこの問題について実証的な知見を示そうとしたものである。

 結論を述べれば、一般有権者の理解水準を考えて質問したという村本の意図は、的を外れたものではない(もっとも当番組の視聴者を「一般有権者」とみることはできないが)。平均的有権者の憲法に関する知識は――少なくとも、法学者や政治学者が期待するよりはるかに――貧しいものとみるべきである。

 早稲田大学が2005年に行った調査によると、「戦争放棄条項を含むのは第何条だと思いますか」という問いの正答率は67%であった。高い数字にもみえるが、4択式であったことから考えれば、「勘」によらずに正答した割合は、せいぜい5割というところだろう(ちなみに29%の人は正直に「わからない」と回答している)。この設問が選択式ではなく、自由回答式であったとすれば、「9条」と答えられた人はずっと少なかったに違いない。

 「自衛隊の合憲性」をめぐる論点の認知は、単に「9条の存在を知っている」という以上の理解水準を要求する。このことを考えると、村本がした質問を、「義務教育を受けた国民がみな答えを知っているはず」という観点から、「愚問」とまでみなすことは難しい。

 憲法条文のなかで最も有名だと思われる9条についてすらこうだとすると、憲法の他の部分については推して知るべしである。「働くことが国民の権利・義務である」という27条の内容について正答したのは、12%でしかなかった(4択式ゆえ、勘で選んでも25%の確率で正解できたにもかかわらず!)。

政党の立場も把握せず

 2001年に行われた別の学術調査(JESⅢ)では、主要政党の憲法問題における立ち位置(改憲派政党か護憲派政党か)を回答者に分類させる質問がある。自民党、社民党、共産党という、比較的立場のはっきりした政党に関して分析してみたところ、それぞれの立場について5割前後の回答者が「わからない(DK)」と答え、また分類に挑戦した人のなかでもかなりの割合で「誤答」がみられる〈下表=有権者による政党の分類(JESⅢ)〉。

有権者による政党の分類(JESⅢ)有権者による政党の分類(JESⅢ)

 例えば、社民党の立場を答えた人のうち、4人に1人は同党を「改憲派政党」としている。自民党を「改憲派」、社民党・共産党を「護憲派」に分類することが正解とすれば、半数もの回答者が全問不正解であった。多くの有権者は、憲法について明確な姿勢を打ち出している主要政党についてさえ、その立場を把握していない、と考えざるをえない。

 こうした有権者たちは、憲法条文そのものに関する知識についても十分には備えていない、とみるのが自然であろう。

 以上の調査では、標本が「社会の縮図」となるよう、慎重なサンプリングが施されているが、実際には、政治に対する関心・知識が比較的高い人が回答している傾向が強い(関心・知識の低い人は調査に協力してくれない傾向が強い)。このことを考えれば、平均的有権者の知識は、上のデータが与える印象よりさらに乏しいものとみなければならない。

 法学部で教える人間にとっては、厳しい現実である。

自衛隊違憲論は庶民感覚ではない

 このように、「庶民」の多くは、9条条文について、はっきりしたイメージを持っていない。その帰結として、多くの有権者は(村本と同じく)、自衛隊違憲論を当然のこととは考えていない。

 例えば、NHKが2017年3月に実施した世論調査によると、62%が「自衛隊は憲法で認められると思う」と答え、「認められないと思う」は11%にすぎない。この調査に限らず、自衛隊違憲論は戦後を通じ、有権者の間では少数派である。自衛隊違憲論が「庶民の感覚」だとする井上の見方は、この点で明らかに実態に合わない。

 もっとも、そうであるからといって、有権者の多くが、井上のいうところの「修正主義的護憲派」憲法学者(自衛隊を合憲と認めたうえでの護憲主義者)の立場にくみしているわけでもない。日本人はこれまで、自衛隊を憲法に明記することの是非について問われた場合、強い反対は示してこなかった。これは過去多くの世論調査から明らかである。「自衛権」保有明記論についてはなおさらである。

 戦後を通じて、日本人は憲法典の条文そのものに大したこだわりは持っておらず、現実の安全保障政策をプラグマティックに評価してきたとみられる。この点については、「学者・政治家などのエリートの詭弁に毒されていない」という、井上の庶民観は妥当といえる。政治家や知識人による、神学的ともいえる憲法解釈論争に対し、多くの国民は知識も関心もないのである。

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