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2年後に迫った東京五輪で考えたいこれだけの問題

レガシーは残せるか。「復興五輪」とは何か。開催の意味は。「夢の力」をどう使うか。

森田浩之 ジャーナリスト

パラリンピック閉幕で空気が変わった

3月19日付朝日新聞・ラッピング紙面。右ページには平昌オリンピック・パラリンピックで活躍した選手たち。左ページには2020年東京大会で期待のかかる選手たちの写真が並ぶ。3月19日付朝日新聞・ラッピング紙面。右ページには平昌オリンピック・パラリンピックで活躍した選手たち。左ページには2020年東京大会で期待のかかる選手たちの写真が並ぶ。

 空気が変わった──。

 そんなふうに思えたのは、韓国・平昌でのオリンピックに続き、パラリンピックが閉幕した翌日の3月19日だった。

 朝、自宅の郵便受けをのぞくと、見慣れない新聞が入っている。一面にあたるページには、大きな文字でこうあった。

 「TOKYO 2020 ← PyeongChang 2018」

 この新聞は紛れもなく朝日新聞で、この日の朝刊はいつもとは違う「特別紙面」になっていた。1面と終面を4ページの紙面で包み込むもので、「ラッピング紙面」というらしい。

 特別紙面の右ページには、平昌オリンピック・パラリンピックで活躍した選手たちの写真があしらわれている。

 フィギュアスケートで2連覇を果たした羽生結弦、スピードスケート500メートルで金メダルに輝いた小平奈緒、スキージャンプ銅メダリストの高梨沙羅、銅メダルを獲得したカーリングのLS北見……。

 左ページには、2020年東京大会で期待のかかる選手たちの写真が並んでいた。陸上短距離の桐生祥秀、競泳の池江璃花子、卓球の平野美宇……。

 添えられていた文章の締めには、こうあった。

 〈平昌から東京へ。バトンは、つながれた〉

 その夜、NHKは『時論公論』という番組で、やはり「ピョンチャンから東京へ」というテーマを扱っていた。アナウンサーとしてオリンピックの名実況でも知られる刈屋富士雄解説委員が、平昌大会の開幕前に持ち上がっていた問題を、韓国がいかに解決したかという話をしていた。

 平昌では施設工事の遅れやボランティアの不足が問題となっていた。刈屋解説委員によれば、開会式会場の工事はまさにギリギリの日程で進んでいたが、直前の3日間に軍隊を投入して何とか間に合わせた。ボランティア不足も軍隊がカバーしたという。

 軍隊の力を「平和の祭典」の成功の要因として強調するのはどうかとも思えたが、刈屋解説委員にそう言わせたのも「次は東京だ!」という空気があればこそだったのかもしれない。

日本人の心を揺さぶったが……

 確かに平昌大会は、多くの日本人の心を揺さぶっただろう。

 日本勢は数々のドラマを見せ、冬季五輪最多の13個のメダルを持ち帰った。パラリンピックでも前回ソチ大会を上回る10個のメダルを獲得した。

 そんな感動のドラマの連続が、これまで東京オリンピックに対していくらかは存在した「ためらいのハードル」のようなものを低くしたようだ。冒頭に書いた朝日新聞の紙面作りやNHKの番組は、そうした空気の変化の表れに思える。平昌大会は東京オリンピックにとって、絶好のパブリシティーになった。

 だが、ちょっと待ってほしい。平昌大会が感動に包まれたからといって、それによって東京オリンピックをめぐる問題が何かひとつでも解決したわけではない。

 問題は山積したままだ。「レガシー(遺産)」をどう残すのか。「復興五輪」という位置づけをどう考えるのか。そして何より、なぜオリンピックを開くのか──。

 平昌の熱狂と感動は確かに価値あるものだが、だからといって「この感動を次は東京で!」という安直な空気に浸ってはいけない。いよいよ次のオリンピックとなった今こそ、なぜ東京大会を開くのか、どんな大会にするのかを冷静に考えるべき時だろう。

平昌パラリンピックの閉会式に参加した日本の選手たち=3月18日平昌パラリンピックの閉会式に参加した日本の選手たち=3月18日

招致成功後に相次いだスキャンダル

 まず、東京オリンピックはこのまま問題なく開けるのだろうか。

 振り返れば、招致に成功してからしばらくは、負のスパイラルに陥ったかのようにスキャンダルが相次いだ。まずは新国立競技場の総工費が招致段階の2倍近くに膨らむことがわかり、設計案が白紙撤回された。公式エンブレムも、ベルギーの劇場のロゴに似ていると指摘されて白紙撤回となった。

 新国立競技場は新しい設計案が公募で決まったが、オリンピックのメインスタジアムに必須である聖火台の設営を忘れていた。さらには、大会招致をめぐって「裏金」が動いていたと英ガーディアン紙に報じられる始末だった(同紙は「東京の大会招致成功に深刻な疑念をもたらす問題」と指摘したが、この件に関する日本のメディアの動きは不思議なくらい鈍かった)。

 東京オリンピックをめぐるドタバタは、このあたりで一段落したかにみえた。しかし、もっと根本的な問題がいくつも残っている。

巨額な経費をかけて何が残るのか?

 そのひとつが「巨額の経費をかけて大会を開催して何が残るのか」だろう。東京オリンピックを開催する経費は、今年1月の東京都の発表によると、計2兆1600億円に達する。それだけの費用をかけて何を得られ、何が残るのかが相変わらず見えてこない。

 その象徴的な存在が新国立競技場だ。このスタジアムはオリンピック後に、球技専用とする方針が固まっている。トラックをはずして観客席を増設し、サッカーやラグビーの試合で収益を確保するというねらいだが、それだけで年間24億円とされる維持費をまかなえる保証はない。

 懸念されるのは、こうした施設が大会後に使い道がなく、「負の遺産」になることだ。前回2016年のリオデジャネイロ大会で造られた施設は大半が活用できておらず、資金難と無計画から管理もおざなりで、文字どおり廃墟(はいきょ)と化しつつあると報じられている。

スポーツイベントに経済効果はない?

 日本経済を考えたときにも、オリンピックで「負の遺産」が生じることへの懸念がある。

 オリンピックのようなメガイベントには、つねに「経済効果」への期待が持ち上がる。東京大会の経済効果についても、東京都や民間シンクタンクなどからさまざまな予測が出ている。だが予測の幅は7兆〜32兆円と、非常に大きい。これだけでも経済効果の予測を当てにできない理由になるだろう。

 それどころか、オリンピックの経済効果なるものは本当にあるのだろうか。開催国の政治家は、経済的な恩恵を約束する。だが経済学者の見方はほぼ一様に否定的で、オリンピックの経済効果は幻想にすぎないという。

 米ミシガン大学のステファン・シマンスキー教授(スポーツ経済学)は、スポーツイベントが経済効果を生むことを証明したまともな学術論文はひとつもないと指摘する。

 「むしろ、逆のことを証明した素晴らしい論文ならある。大きなスポーツイベントを開催することは経済的な負担になると結論づけたものだ」

 経済効果を生むどころか、オリンピックが不況の引き金になるという見方もある。

 慶応大学の土居丈朗教授(経済学)のまとめによれば、夏のオリンピックでは、1976年のモントリオールから2012年のロンドンまでの9大会(1980年モスクワ大会は除く)のうち、開催翌年に開催国の実質経済成長率がアップしたのは、1996年にアトランタ大会を開いたアメリカだけだ。

 しかも、開催年と開催前年の2年間と、開催翌年と開催翌々年の2年間の実質経済成長率を比較しても、9大会中6大会で成長率が鈍化していた。

 この成長率鈍化はなぜ起きたのか。

 大半の国で民間の設備投資が鈍っていた点に、土居教授は注目する。さらに民間消費は、大会の前後で必ずしも大きな変化がみられていないという。オリンピック開催を契機に民間消費が恒常的に増加するわけではないようだ。

楽観的すぎる「アベノリンピック」

 前回1964年の東京オリンピックのときには、日本も翌年に「昭和40年不況(証券不況)」と呼ばれる経済危機に見舞われた。発端は、オリンピックによる経済刺激効果がなくなったことだ。

 オリンピックが終わると、景気は右肩下がりに推移しはじめた。開催前年の63年に1738件だった倒産件数が、開催年には2倍以上の4212件となり、翌65年には6141件に達した。

 こうした不況が、2020年大会のあとに待ちかまえていないとはかぎらない。

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