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“超強硬派”ジョン・ボルトンは危険な存在か 上

綿密に計画し成果を求めるしたかな交渉者。その手腕が北朝鮮の非核化の成否を決める?

川端清隆 福岡女学院大学国際キャリア学部教授

レッテルの下に秘めたものは

ドナルド・トランプ米大統領(左)と握手するジョン・ボルトン安全保障担当大統領補佐官=2018年4月9日(AP)拡大ドナルド・トランプ米大統領(左)と握手するジョン・ボルトン安全保障担当大統領補佐官=2018年4月9日(AP)

 トランプ米大統領は3月22日、H・R・マクマスター安全保障担当大統領補佐官を解任して、後任に元国連大使ジョン・ボルトンを任命すると発表した。先に国務長官に指名されたマイク・ポンペイオ中央情報局(CIA)長官と並び、ボルトンは「超強硬派」とメディアで紹介されることが多く、米国の内外で不安と懸念が広がっている。

 しかし、著者が国連安全保障理事会でつぶさに観察したボルトンの実像を振り返ると、とてもそのような単純な言葉で彼の北朝鮮政策を捉えることはできない。「超強硬派」というレッテルの下に、ボルトンはいかなる資質や危うさを秘めているのだろうか。そしてそれは、どのようにトランプ政権の政策や外交手法として具現化するのだろうか。

ボルトンとトランプの共通点と相違点

 ボルトンは、トランプの選挙運動中から外交顧問を務めるなど、両者のモノの見方や行動形態には似通った所が多い。2人の共通点は、自らの考えや手法にこだわり、目的達成のためには相手を徹底的に追い詰め、敵をつくることを厭(いと)わないことだ。世界観や国家観も、軍事・経済力などのハードパワーに重きを置き、米国の国益をすべてに優先させる点において一致しているように見える。

 しかし、両者の共通点はここまでだ。

 トランプ大統領は、土地取引やホテルの経営を通して巨万の富を築いたビジネスマンであり、直観によるトップダウン方式で有利な取引をもぎ取る「非ワシントン的な手法」を自らの持ち味としている。一方、ボルトンは直感型とは程遠く、イェール大学のロースクールを修了して法務博士(J.D.)号を持ち、緻密(ちみつ)な議論で相手を追い込む理論派である。加えて彼は、国務省で外交安全保障の専門家としてキャリアを積んだ実務者であり、周到な準備に基づくしたたかな交渉を旨としている。

米朝首脳会談を左右するキーマン

 トランプ大統領は3月8日、北朝鮮の提案を受け入れて、今年5月までに金正恩・朝鮮労働党委員長と会談すると発表した。米国の目的は、北朝鮮の核・ミサイル開発の完全かつ検証可能な破棄である。

 この歴史的な米朝首脳会談の行方を左右するのは、ホワイトハウスで安全保障政策を取りまとめるボルトンである。誤解の多いボルトンの考えや外交手法を理解するためには、彼が最初に北朝鮮と対峙(たいじ)した国連大使時代を振り返るのが早道となろう。

 ボルトンは2005年8月から翌06年12月まで、当時のブッシュ政権下で国連大使を務めた。彼は1994年に「国連本部ビルの10階分がなくなったとしても何ら困る事はない」とうそぶき、国連嫌いとして一般に知られている。しかしボルトンは、こと安保理に関する限り真剣に取り組み、したたかな交渉者としての手腕を遺憾なく発揮した。

北朝鮮第2次核危機と重なる国連大使時代

 ボルトンの短い大使在任期間は、北朝鮮を巡る第2次核危機と重なる。この間、安保理は北朝鮮に関して2回の公式会議と16回の非公式協議を行い、二つの決議と一つの議長声明を次々に採択した。

 第2次核危機の発端は、北朝鮮が米国独立記念日である7月4日に合わせて発射した7発の弾道ミサイルである。あからさまな挑発行為を前に、米ブッシュ政権は北朝鮮の核・ミサイル問題を安保理に持ち込み、北朝鮮への本格的な圧力行使を迫った。ボルトンは、当時非常任理事国であった日本と共に緊急理事会の招集を求め、北朝鮮に核ミサイル開発の放棄を要求する決議の採択を目指したのである。

 日本では、安保理が北朝鮮の核問題に1993年に勃発した第1次核危機から本格的に関与したとの印象が根強い。しかし、これは単純な間違いである。核兵器開発の阻止を目指す交渉は米朝の二国間協議にゆだねられ、安保理は90年代を通して専ら「脇役」に甘んじた。

 この時期、安保理の非公式協議では50回近く北朝鮮が議題にあがったが、協議の大半は朝鮮戦争の休戦協定違反に費やされた。東西イデオロギー対立という冷戦の残滓(ざんし)を常任理事国が引きずっていた当時、北朝鮮の核問題は安保理の正式議題ですらなかったのである。

安保理で孤立無援だった日本

 安保理軽視の極みは、98年8月に北朝鮮が発射したテポドン弾道ミサイルが東北の上空を通過したときであった。テポドンの上空通過まで危機感が希薄であった日本だが、政府は初めて真剣に安保理と向き合うことになった。

 ところが当時、安保理の反応は鈍く、対応を決めるまで、発射から実に2週間以上の時間を費やした。これは、「発射したのは人工衛星だ」という北朝鮮の主張を中国が支持し、「深刻な懸念」を表明して安保理の具体的措置を求める日本の前に立ちはだかったためである。頼みの米国も、枠組み合意を実施するため朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)事業の継続を重視しており、本気で日本を助ける気はなかった。

 ひっきょう、日本は安保理で孤立無援となり、ようやく出た安保理の対応は「報道談話」という最も格が低く法的拘束力がないものとなった。その内容もテポドンをミサイルと呼ぶことさえできず、単に「飛翔体(flying object)」と表現するにとどまり、将来の発射を抑止する役には立たなかった。「報道談話」は要旨のみ安保理理事会が合意し、具体的な表現は議長の裁量にゆだねられるため、安保理の正式文書としての記録は残らない。

中国を圧倒したボルトンの手腕

 ボルトンは98年の教訓を踏まえ、日本と結束して安保理審議を主導して多くの理事国を味方につけ、非難決議の採択に消極的な中国を圧倒した。彼は「安保理が懸念すべきは、ミサイルと大量破壊兵器(WMD)の開発がもたらす二つの脅威の合体(marriage)だ」と直面する危機の本質を喝破し、制裁など強制的措置の発動を示唆する国連憲章第7章下での決議の採択を求めた。

 北朝鮮と同盟関係にある中国は当初、98年の報道談話のような穏やかな対応を示唆したが、他の理事国の支援を得られず、日米の結束を前に徐々に主張を後退させた。結局、中国はわずか10日余りの間に、報道談話どころか安保理の決定の中で最も重い決議の受諾まで追い込まれた。

 安保理の対応の「序列」は重要な順に、決議、議長声明、報道声明、報道談話の四種類であるが、中国は短期間で四段階の妥協を強いられたのである。一方、日米が行った妥協は、中国が反対する第7章への言及を見送ることのみであった。

金正日の風刺画のコピーを配布

図・金正日を揶揄する風刺画拡大図・金正日を揶揄する風刺画

 安保理は7月15日に決議1695を全会一致で採択して、史上初めて北朝鮮を名指しで糾弾(condemn)したうえで、弾道ミサイル開発の中止と六カ国協議への無条件復帰を要求した。全会一致での決議採択に成功したことより、ボルトンは北朝鮮が近い将来に核実験など更なる挑発を強行した場合、安保理制裁に中国が反対しにくくなるように布石を敷いたのである。

 ボルトンは8月2日に第二の布石を打った。彼は安保理に対して、北朝鮮の核・ミサイル問題を安保理の月間スケジュールの備考欄に記載することにより、必要に応じて継続的に同問題を審議する体制を整えることを提案したのである。

 同時に彼は他の理事国に、「将軍様、食料をいただければミサイルをもっと遠くに飛ばせましたのに」と痩せこけた国民が嘆く、金正日を揶揄(やゆ)する風刺画のコピーを配布した(図)。加盟国の元首を扱う風刺画が、きわどい政治問題を扱う非公式協議で配られたのは前代未聞であり、ボルトンの型破りな外交手法が見て取れる。

北の核実験強行に備え、中国の外堀を埋める

 10月3日、北朝鮮が「今後、安全が徹底して担保された核実験を行うだろう」との声明を発表し、核実験の実施を予告すると、事態はにわかに深刻化した。

 ここでボルトンは第三の布石を投じた。核実験を「決議1695が禁じたものの内で最も深刻な違反行為のひとつ」として、北朝鮮が突き付けた挑戦に安保理が毅然(きぜん)と立ち向かうよう促したのだ。具体的には、日本と協力し、北朝鮮が核実験を思いとどまるよう「非常に説得力のある」決議を安保理が採択するよう求めた。

 通常、安保理は紛争に事後的に対処することがほとんどで、将来の危機を未然に防止するための予防的な措置を取ることはまれである。この点、ボルトンの手法は柔軟かつ機動的であった。中国が警告には同意したものの、決議に難色を示したため、日米は議長声明に一段階、格下げすることに同意。安保理は10月6日、もし北朝鮮が核実験を強行すれば「安保理は国連憲章下の責任にのっとって行動する」と警告する議長声明を発表した。

 「国連憲章下の責任」に、制裁などの強制措置が含まれるのは言をまたない。これによりボルトンは、北朝鮮が安保理の警告を無視して核実験を強行した場合、中国が制裁決議の採択に抵抗しづらいよう、外堀をさらに埋めたのである。

史上初めて北への制裁を受け入れた中国

 議長声明の発表に先立つ審議でボルトンは、「これから述べることは米国政府の判断を反映していない」とあえて断ったうえで、もし北朝鮮が核実験を強行すれば「米国は(翌日の)土曜の朝であっても昼であっても、日曜の朝であっても昼であっても、(祝日である)月曜であっても、直ちに緊急安保理を招集する」と明言した。核実験が間近に迫っていることを示す、紛れもない警告であった。安保理の空気は凍りついた。

 北朝鮮は3日後の10月9日に、第一回核実験を豊渓里で強行した。実験が間近に迫った週末に、米国は各理事国の首都で制裁決議案の要旨を配布した。中国を含めた理事国が、制裁決議の審議に遅滞なく応じるよう最後の布石を投じたのである。

 実験後に招集された安保理協議で、ボルトンは北朝鮮の核実験を先の議長声明に対する「あからさまな挑戦だ」と非難した。彼はさらに「核実験は侵略ではないかもしれないが、それに次ぐものだ」と脅威の深刻さを強調したうえで、「もし素早く行動しないと安保理の信用は地に落ちる」と警鐘を鳴らして、制裁決議の迅速な採択を求めた。

 中国は当初、「制裁は北朝鮮の一般国民を害するばかりで効果は薄い」と主張して慎重な姿勢を崩さなかったが、「核実験の深刻さ」にかんがみ「安保理が一定の行動をとること」に同意した。中国が史上初めて、朝鮮戦争を通して「血で固められた同盟」を振り捨て、北朝鮮に対する制裁を受け入れた瞬間であった。

北の輸出の9割が制裁対象に

 安保理は核実験からわずか5日後の10月14日、決議1718を全会一致で採択した。決議は北朝鮮に対して更なる核・ミサイル開発を禁ずるとともに、奢侈品、戦車や戦闘機などの重火器の禁輸を定めた。中国大使は採択に先立つ安保理協議で、制裁への同意は「我が政府にとって容易な決定ではなかった」と述べて苦しい胸の内を吐露した。

 安保理は今日まで、合計10回の制裁決議を採択し、そのたびに内容を強化した。現在、石炭をはじめとして北朝鮮の輸出の実に9割近くが制裁の対象となっている。安保理は昨年12月に決議2379を採択して、北朝鮮へのガソリンなど石油精製品の輸出の9割近くを制限したが、同国の「生命線」である原油の供給については手つかずの状態である。(次回は16日に掲載します)


筆者

川端清隆

川端清隆(かわばた・きよたか) 福岡女学院大学国際キャリア学部教授

大阪府出身。通信社を経て1988年より25年にわたり国連本部政治局で政務官として勤務。アフガン和平交渉やイラク戦争の戦後処理に関わった後、2004年以降は安保理担当として第二次核危機以降の北朝鮮の核ミサイル問題に関する審議に関わる。2013年より現職。著書に「アフガニスタン 国連和平活動と地域紛争」(みすず書房)や「イラク危機はなぜ防げなかったのか 国連外交の六百日」(岩波書店)。共著に「PKO新時代 安保理からの証言」(岩波書店)。

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