メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

日本社会の成熟度を映す「在住外国人」(下)

イスラム社会のマイノリティの思想から学ぶ「分かち合う社会」

岩城あすか 情報誌「イマージュ」編集委員

盲目の吟遊詩人アシュク・ヴェイセル(1894~1973年)=トルコ「Milliyet」紙より

 「成長社会」から「成熟社会」へ――。超高齢化に直面する日本は、さまざまな人と分かち合うことでしか豊かに暮らしていけない。「在住外国人と共生」という課題には「分かち合う社会」へ向かうヒントがたくさんある。

夫はマイノリティ「アレウィー」

 私の夫はトルコの人口の2割ほどを占める宗教マイノリティ「アレウィー」である。宗教というよりも哲学に近いその思想はとてもユニークで面白い。

 アレウィーの起源はとても古い。古代アナトリアをはじめ、古代ギリシアの自然哲学、ヒッタイト、メソポタミアの信仰、アミニズム、マニ教、ゾロアスター教、古代(ササン朝)ペルシアの“マズダク教”、仏教、さらに様々な新興の唯一神信仰や思想が混ざり合い、発展してつくられた。

 それは“HAK YOLU(=正しい道、の意)”と言われ、人間を
〇Hak(=神)
〇学問探求への道
〇愛情
 という3つの観点からとらえた“徹底的な人間中心”の一種の教え、生活様式である。すべての宗教や哲学思想の「良い所取り」をした結果の「人間中心主義」の思想といえるだろう。

 トルコにはアレウィーがおよそ2千万人(人口の約20%)いるとみられ、中央部「スィヴァス県」周辺や南東部に多い(下図)。民族的にはトルコ人のほか、クルド人の「アレウィー」も少なくない。周辺国にも数百万人程度のアレウィーが暮らしている。歴史的に受けてきた様々な圧力、度重なる虐殺の経験から、アレウィーの人たちは自らの信仰やアイデンティティをカミングアウトしづらい状況にある。

ピンク=アナトリアのアレウィー、緑色=アラブのアレウィー(アラウィ―)、水色=トルクメン人(遊牧系のアレウィー)、紺色=「都市部に居住するアレウィー」。「Alevi Forum. NET」が運営するウェブサイト(http://www.aleviforum.net/)より「トルコにおけるアレウィーの地理的分布」

 夫いわく、「アレウィズムとは、1万年も前からある、遊牧民の世界観をベースにした思想哲学」。大変リベラルなアイデンティティを持ち、飲酒はOKだ。「自然に逆らわない」を善とし、「心のまま生きる」をモットーにしている。男女(など)の関係に寛容で、女性は男性と同権。スカーフをかぶらず、ふるまいはより西洋的だ。

 アレウィーはイスラム教の五行「断食、(1日5回の)礼拝、喜捨、巡礼、信仰告白(シャハーダ)」はおこなわず、彼ら独特の信仰と礼拝方法を有する(モスクの代わりに「ジェムエヴィ」と呼ばれる集会所があり、そこで集団礼拝や旋舞〈セマー〉をおこなう)。

 また、宗教上の「(血縁関係のない)きょうだい」の関係(Musahiplik)は、一般的なイスラムの教えにはないものだ。イスラム教と関係はあるものの、スンニ派及びシーア派の人たちの理解からかけ離れた特徴があり、敬虔なスンニ派からは「ユダヤ教やキリスト教のような他の一神教よりも信仰心が薄い」とみなされる。オスマントルコ時代の15世紀から何百年にもわたって虐殺などの迫害を受けてきた。

 アレウィズムは常に人間の側に立ちながら、最も神聖な生き物とされる人間にふさわしい社会的教養を内在化させ、集約・蓄積させようとしてきた。だからこそ、これまで経験した数々の迫害や虐殺にもかかわらず、彼ら自身の独特の信仰のアイデンティティを成立させ得たのだ。「抵抗」の歴史が長いと、圧政に対するさまざまなノウハウが蓄積されてきていて非常に興味深い。

シリアのアサドもアレウィーだった

 内戦が泥沼化するシリアの大統領バシャール・アサドは、アラブ人のアレウィー(現地では「アラウィー」)である。

 シリアの人口構成は、アラウィー派10%強、キリスト教徒約10%、クルド人のスンニ派約10%、アラブ民族のスンニ派約65%、ドルーズ派が数%だが、マイノリティとして過去に受けた迫害に対するコンプレックスが、アラウィーには根強く残っているのだろう。

内戦で破壊し尽くされたシリアの都市ホムスの中心部=2017年8月

 バシャールの父で大統領だったハーフェズ・アサドが1982年、ムスリム同胞団(スンニ派の武装集団)の蜂起を弾圧するために「ハマ」という都市で起こした虐殺事件は「この蜂起に敗けることはシリアの二級市民になることを意味し、現在享受しているいかなる権利も失ってしまう」との不安の裏返しだった。この虐殺を機に、多数派であるスンニ派アラブ人は、政権奪取を悲願とし、アレウィーの根絶をめざすようになった。

 多くのアラウィーは「人間中心の思想」からかけ離れた残虐行為を非難したものの、「レバント(東地中海地方)のバルカン半島化」を恐れ、そして「スンニ派の統治下になるよりは」と、キリスト教徒やクルド人、ドルーズ教徒たちとともにバシャール体制を支持するしかない政治状況が続いている。

 「IS(イスラム国)」「ヌスラ戦線」「自由シリア軍」などの思惑が交錯して泥沼化するシリア情勢を読み解く重要なキーワードのひとつが、「アラウィー」など宗教的マイノリティと「スンナ派」との対立軸なのだ(「アラブ」か「クルド」か、はたまた「クルド」を掃討する「トルコ」か、という民族間の対立軸もあるのだが)。

 話がシリアにそれてしまったが、元に戻す。

「遊牧」は究極のシェアリング

 アレウィズムにはコーランのような教典はなく、そのエッセンスは民謡(古くは14~15世紀の歌もある)などを通して口承でつたえられてきた。おじいさん、おばあさんから幼い子へ、数々の優れた吟遊詩人の歌が語り継がれてきた。近現代では盲目の吟遊詩人アシュク・ヴェイセル(冒頭の写真)が広く知られ、没後もトルコのマスコミにしばしば紹介されている。

 トルコのアレウィーにはトルクメン(トルコ系遊牧騎兵集団)の生活様式も深くかかわる。彼らの「遊牧」は「農耕」の発想の対極にあり、「究極のシェアリング」の思想を有している。

 「農耕」は土地がなければ成り立たない。自然破壊につながり、限りある土地や作物をめぐる骨肉の争いが繰り広げられる。飢饉や干ばつの時には家族内でも生き残る優先順位がつけられて「人減らし」がおこなわれた。これは日本だけでなく世界のあちこちで見られた現象だ。効率・能力至上主義や優生思想に行き着くといえるだろう。

 「遊牧」は土地に縛られることがない。限りなく自然と共存し草のある地を求めて自らが移動する。草を食べる家畜は自らの体内で乳製品をつくりあげ、油やミネラルなど、栄養分をふんだんに提供してくれる。それはまるで錬金術のようだ。家族に障碍があったり、老いて動けなくなったりしても、見捨てることはなく、どこまでも行動をともにする。

 日本で2年前におきた「相模原障碍者殺傷事件」では、障碍のある人たちが施設に預けられ、その生活の場で19名の命が奪われた。いまも「遺族の意志」という理由から犠牲者の名前すら公表されない日本社会とは正反対の発想といえる。

右から4人目が筆者の夫=2009年8月14日、夫の故郷マラティア県アラプギルで

 アレウィーの人たちは、管理されたり、束縛されたりすることを極端に嫌う(だから教典などがないのかもしれない。どんなに素晴らしい教えでも、他人に「押し付ける」ようになった瞬間、その良さは死滅するということをよく知っているからなのだろう)。女性や子供が犯罪にあったり、行政の圧力や政治的な弾圧を受けたりしたときは、「アレウィーである私たち全てへの攻撃」とみなし、強烈なカウンターをはったりもする。

 私の夫も職場で自らに向けられた言葉がヘイトスピーチであるかどうかを瞬時に判断し抗議する。その健全さが正直、羨ましい(もっとも、その行為は日本では「仇」となり、「扱いにくい奴」と誤解され、敬遠されることが多いのだが…)。

・・・ログインして読む
(残り:約1690文字/本文:約4730文字)