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100歳を迎えた中曽根康弘・元首相

「青年将校」「風見鶏」「大統領的首相」。生涯現役を自認する元宰相を振り返る

服部龍二 中央大学総合政策学部教授

戦後通史を語れる唯一の総理経験者

 中曽根康弘は戦後日本を代表する政治家である。首相在職は佐藤栄作、吉田茂、安倍晋三、小泉純一郎に次いで戦後第5位となっている。宮澤喜一が2007年に他界して以降、戦後史を通して語れる唯一の総理経験者である。

 その中曽根が5月27日に100歳を迎えた。

 中曽根が生まれた1918年5月27日は寺内正毅内閣の時代であり、同年夏の米騒動やシベリア出兵よりも前である。さらにさかのぼると、1905年の5月27日は日露戦争で日本海海戦に勝利した日であり、戦前は海軍記念日として祝日であった。海軍主計中尉として太平洋戦争に出征したこともある中曽根は、誕生日が海軍記念日と重なることを誇りとしていた。

楽観主義という意志

「白寿を祝う会」で花束を受け取る中曽根康弘元首相=東京・永田町のホテル拡大「白寿を祝う会」で花束を受け取る中曽根康弘元首相=東京・永田町のホテル

 とはいえ、歴代首相のなかで、最年長記録は中曽根ではない。歴代首相で最高齢は東久邇稔彦の102歳であり、中曽根はそれに迫ろうとしている。

 以前に会ったときは血色もよく、「未来を語るスピリットが現代人には足りていない」、「健康の秘訣は悩まないこと」と語っていた。

 中公新書から刊行した拙著『中曽根康弘』を謹呈したところ、帯を見つめながら、「写真がいい。こういう表情ができる政治家は、いまはいない」と述べていた。

 帯の写真とは、腕を組み、上から目線でにらみつけるようなポーズである。見方によっては、威圧的とも映る写真だろう。そこを良いほうに解釈する楽観主義が長寿の源になっているのかもしれない。

 幼少期には病弱だった中曽根だが、悲観せずに将来を切りひらいた。とりわけ、父親の反対を押し切って内務省を辞職し、28歳という全国歳年少で衆議院議員に初当選することは大きな賭(かけ)だった。それが20回連続当選の第一歩となる。

 「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」と説いたのはフランスの哲学者アランであった。旧制静岡高校でフランス語を学んだ中曽根が、アラン『幸福論』を読んでいたのかは知らない。しかし、中曽根の発想に通底するところがありそうである。

「青年将校」と「自主防衛」

 中曽根が100歳を迎えたということは、多くの読者が首相期の中曽根をリアルタイムで知らないか、知っていても記憶が薄れているであろうことを意味する。そこで中曽根の足跡を振り返ってみたい。

 第71代総理大臣となる中曽根康弘は、1918年に群馬県高崎市で生まれた。海軍、内務省を経て政治家に転身し、同期には田中角栄、鈴木善幸がいた。田中とは生年も同じである。初当選後の中曽根は、「青年将校」と呼ばれた。吉田首相を「官僚秘密外交」と批判し、自主憲法を訴えたのである。原子力政策を推進したのも中曽根である。

 少数派閥を率いた中曽根は、批判していたはずの佐藤政権に急接近して運輸相として入閣する。防衛庁長官としては「自主防衛」を唱えるなど、保守最右翼のタカ派と目された。

「三角大福中」の時代

 中曽根が台頭したのは、「三角大福中」と呼ばれる派閥抗争が最も激しい時期である。「三角大福中」とは、木武夫、田中栄、平正芳、田赳夫、曽根康弘の5派閥の俗称である。

 といっても、中曽根派は小さく、自民党の主流ではない。「角福戦争」の間で目まぐるしく立場を変え、その右顧左眄(うこさべん)ぶりから「風見鶏」と揶揄(やゆ)された。最右翼のタカ派でありながら、「風見鶏」でもあるという意味で、中曽根には2つの相反するイメージが交錯する。

 しかし中曽根自身は、「風見鶏」という揶揄にも楽観主義を発揮する。

「風見鶏ぐらい必要なものはないと思っている。風見鶏は足はちゃんと固定している。からだは自由です。だから風の方向がわかる。風の方向がわからないで船を進めることはできない」、「現代は勝海舟とか西郷南洲のような、ああいう風見鶏が必要なのです」と各地で講演したのである(『朝日新聞』1982年11月25日夕刊)。

中曽根と福田赳夫

 中曽根が力点を置いたのは外交と安全保障だろう。そこに憲法や教育を加えてもよい。天下国家を論じるタイプであり、特定の利益を代弁する族議員ではない。

 一方、同じ群馬3区の福田赳夫は大蔵省出身であり、経済財政を専門とした。当時は中選挙区制のため、得意分野に専念することが可能であった。2人は同じ選挙区ながら、得意分野ではすみ分けていた。

 この点は、現在の小選挙区比例代表並立制と大きく異なっている。現在の制度では、得意分野もさることながら、ジェネラリストであることが求められる。

 いまでも群馬で年配の方に聞けば、地元を代表していたのは福田という答えが多いはずである。中曽根については、「中曽根さんは“世界の中曽根”ですから」と皮肉交じりに評されがちだという。福田に比べれば、中曽根は地元に冷たかったというニュアンスだろう。

 それというのも、福田は有権者の関心の高い経済を得意とする。これに対して中曽根は、外交や安全保障、憲法改正、教育改革など、票に結び付きにくい分野に強い。

 中曽根は、経済政策に苦手意識があっただろう。そのことは、1966年元旦に地元群馬の『上毛新聞』に掲載された中曽根と福田の新春対談に表れている。中曽根は経済では福田にかなわないと感じていたのではなかろうか。

 中曽根は総選挙で14回も福田と争っている。そのうち、中曽根の得票が福田を上回ったのは、わずか4回にすぎない。中曽根内閣期の2回の総選挙ですら、福田の後塵を拝している。

 もっとも、両者の首相としての人気を全国的にみれば、中曽根の人気は福田を上回っていたであろう。1986年の総選挙で304議席を占めた勝因について、中曽根は国鉄民営化と東京サミットの成功を挙げている。自民党総裁としても、2年2期までという党則を改正して1年延長し、中曽根は3期を務めた。「三角大福中」のうち、総裁を2期以上務めたのは中曽根だけである。

 その意味で、中曽根は「三角大福中」派閥抗争の勝者といってもよいだろう。少数派閥でありながら、中曽根は政界遊泳術を身に付けて首相に就任し、サミットの記念撮影では中央に写るようなパフォーマンスも心得ていた。中曽根内閣の誕生で、立川にあった喫茶店「風見鶏」が急に繁盛したというエピソードもある(『朝日新聞』1983年1月7日)。

「大統領的首相」の外交戦略

自由民主党の臨時大会で選ばれ、第11代総裁に就任した中曽根康弘氏。党本部の「総裁のイス」に座り、カメラマンの注文に応じポーズをとった拡大自由民主党の臨時大会で選ばれ、第11代総裁に就任した中曽根康弘氏。党本部の「総裁のイス」に座り、カメラマンの注文に応じポーズをとった

 中曽根が1982年に64歳で念願の総理に就任できたのは、福田ではなく田中の支援を得たからである。首相として中曽根は、どのような成果を生んだであろうか。

 中曽根は内閣成立後、電撃的に韓国を訪問したうえで、日米首脳会談やサミットなど得意の外交で存在感を示している。

 電撃的訪韓は首相として初の韓国公式訪問であり、全斗煥が韓国大統領として初来日したのも中曽根政権期である。アメリカのレーガン大統領とは「ロン」「ヤス」と呼び合うほど緊密であり、中国の胡耀邦総書記とは「平和友好、平等互恵、長期安定、相互信頼」の4原則を約した。

 小泉純一郎などのように対米関係に熱心な首相は少なくないが、同時に中国や韓国とも良好な関係をマルチに築けたのは、中曽根と大平ぐらいだろう。福田は全方位平和外交を掲げ、日中平和友好条約を締結したが、安全保障政策では中曽根に軍配が上がる。中曽根はその外交を通じて、日本の国際的発言力を高めたのである。

 ロン・ヤス関係は今後の首相にも再現できる可能性があるとしても、中曽根と胡耀邦の蜜月が今後に再現できるとは考えにくい。強いていうなら、福田康夫首相と胡錦涛主席、温家宝首相との関係が、それに近かったといえよう。もっとも、福田康夫の首相在任は、わずか1年で終わっていた。

 しかも中曽根は、対ソ戦略やヨーロッパとの関係も視野に入れており、戦略的に世界政策を実践できたほとんど唯一の政治家ではなかろうか。日本の国力は最高潮に差し掛かっており、日米経済摩擦など負の側面もあったにせよ、中曽根の外交は戦後日本外交の頂点といってよい。

 内政では「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄、電電公社、専売公社の民営化を進めた。多くの審議会を設置するなどブレーンを多用し、「大統領的首相」と称する手法を駆使したのである。中曽根政治は、現在の安倍政権にもみられる官邸主導のルーツでもある。

総主流派への転機

 いまでこそ大宰相のイメージが強い中曽根だが、当初はアンチ吉田茂で自主憲法制定を主張し、「青年将校」と呼ばれていた。重光葵や佐藤栄作の日記を読めば明らかなように、同じ保守政党内でも高くは評価されていなかった。中曽根は保守本流ではなく、「革新保守」を自認した。要は少数派である。 ・・・続きを読む
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筆者

服部龍二

服部龍二(はっとり・りゅうじ) 中央大学総合政策学部教授

1968年生まれ。京都大学法学部卒。神戸大学大学院法学研究科単位取得退学。博士(政治学)。専攻は、日本政治外交史・東アジア国際政治史。著書に『中曽根康弘』(中公新書)、『田中角栄』(講談社現代新書)、『大平正芳 理念と外交』(岩波現代全書)、『日中国交正常化』(中公新書、アジア・太平洋賞特別賞、大佛次郎論壇賞)、『増補版 幣原喜重郎』(吉田書店)、『佐藤栄作』(朝日新聞出版)など多数。