メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

無料

米軍から “汚染された土地” が還ってくる!

沖縄の軍用地返還は「負担軽減」ではない。「新たな負担」だ

島袋夏子 琉球朝日放送記者

 

拡大土壌汚染が確認された米軍基地・返還軍用地=琉球朝日放送「Qプラス」5月14日より

 沖縄県北部に広がる「やんばるの森」は、国内最大級の亜熱帯照葉樹林だ。環境省は世界自然遺産への登録を目指している。

 しかし、森にはもう一つの顔がある。「米軍北部訓練場」として長らく使われてきたのだ。

 2016年にその過半が返還された際、日米両政府は「復帰後最大規模の土地の返還」「沖縄の負担軽減」と強調した。だが、厄介な問題が発覚するのに、そう時間はかからなかった。森のあちこちから、照明弾、ペイント弾、タイヤ、バッテリーの一部といった廃棄物が続々と出てきたのだ。

 艶やかな緑の木々の合間に残された無機質な廃棄物は、北部訓練場がベトナム戦争中から米軍のゲリラ訓練に使われていたことを物語る。そこには世界自然遺産候補地のイメージとはかけ離れた、灰色の歴史の跡が刻まれていた。

 沖縄では、米軍から返還された土地の汚染が次々に発覚している。軍用地の返還は、日本政府が強調するような「負担軽減」ではない。「新たな負担」なのだ。

2013年、パンドラの箱が開いた

 返還軍用地の汚染の実態が浮き彫りになったのは2013年、沖縄市サッカー場(1987年返還)でドラム缶が見つかり(最終的に108本)、ダイオキシン汚染が発覚した時だった。

 工事現場からドラム缶などの廃棄物が発見されることはままあることだが、サッカー場の一件は尋常ではなかった。ドラム缶表面に米軍がベトナム戦争中に使っていた化学兵器・枯れ葉剤の製造会社名が書かれていたからである。

拡大沖縄市サッカー場で発見されたドラム缶=2014年1月、琉球朝日放送「枯れ葉剤を浴びた島2」より

 「沖縄なくしてベトナム戦争は戦えない」。ベトナム戦争が泥沼化した1965年12月、星条旗新聞の見出しを飾った米太平洋軍トップ、グラント・シャープ司令官の言葉である。沖縄は前線基地だった。

 沖縄からベトナムへ、兵士や武器だけでなくタバコやトイレットペーパーまで送り込まれた。フェンス一枚隔てた米軍施設内に何が貯蔵され、戦後どう処理されたのか、沖縄の人たちは知る術もなかった。

 サッカー場が返還されてから26年後、地元沖縄市と沖縄防衛局が別々に実施した土壌調査では、ともに環境基準を上回るダイオキシンが検出された。沖縄市は枯れ葉剤の可能性を示した。一方、沖縄防衛局は枯れ葉剤の存在を認めず、両者の評価は食い違った。

 この土壌調査は、米軍に使われた土地が汚染されている可能性や、汚染されていることを知らないままその土地で沖縄の人たちが暮らしている可能性を突きつけた。サッカー場の地中に埋まったドラム缶はパンドラの箱だったのだ。

ゴルフ場や住宅の跡地からも

 琉球朝日放送の取材班は、返還軍用地における土壌汚染の実態を可視化するため、汚染地図を作成した(=冒頭の地図)

 基データとして、日米両政府や沖縄県などの公式発表・公文書、それらを基にした新聞記事や著作を引用した。取材を進める最中に米軍嘉手納基地などで燃料漏れなどのトラブルが発生したため、現在使用中の米軍施設も含めた。

 汚染現場を地図に落としてみると、少なくとも県内20カ所で、土壌汚染が発覚していることがわかった。沖縄本島では、北は国頭村の北部訓練場から、南は浦添市の牧港補給地区までの全域に汚染地帯は広がっている。

拡大沖縄本島北部に広がる「やんばるの森」=琉球朝日放送提供

 汚染物質も、ダイオキシンを始め、鉛や油など様々だった。このうち、PCB(ポリ塩化ビフェニル)は4カ所、ダイオキシン汚染は3カ所で確認された。油(軽油、重油、航空機燃料など)の汚染は最も多く、嘉手納基地や普天間基地を始め11カ所で起きていた。さらに8カ所で鉛汚染が発生していた。

 注目すべきは、飛行場や弾薬庫といった土壌汚染が予測される施設跡だけでなく、ゴルフ場や住宅地などに使われた場所でも鉛や油の汚染が発覚していることだ。

 米軍が土地をどのようにして使っていたかを推測するのは難しい。まだ入手できていない資料もある。また、嘉手納基地の燃料漏れなどの多くについては日本政府は関知しておらず、米国の公文書で明らかになった。この汚染地図に示した現場は、氷山の一角である。

土壌調査された返還軍用地は「19/350」

 なぜ汚染が放置されたまま返還されるのか。

 沖縄防衛局によると、1972年の沖縄本土復帰以降、県内では350回に分けて米軍用地が返還された。このうち土壌調査が実施されたのはわずか19件しかない。ほとんどの土地が地中に埋もれた廃棄物や土壌の有害物質について調査されることなく返還されていた。

拡大1987年に米軍から返還された沖縄市サッカー場で廃棄物が発見され、ダイオキシン汚染が確認された=2013年6月、琉球朝日放送「枯れ葉剤を浴びた島2」より

 背景には二つの法整備の問題が挙げられる。

 一つは、国内における土壌汚染対策関連法の整備の立ち遅れだ。ダイオキシン類対策特別措置法が施行されたのは2000年、土壌汚染対策法が施行されたのは2003年だった。地中の有害物質を詳細に調べる法制度が長らく存在しなかったのだ。

 特筆したいのは二つ目の問題、「沖縄が抱え込まされた事情」である。

 米軍基地提供について細かく定めているのが、1960年に結ばれた日米地位協定だ。日米地位協定4条1項では米軍の原状回復義務を免除している。つまり、米軍は土地を汚したまま返しても責任を負わないことになっている。代わりに原状回復は日本政府が担う。

 ところが調べてみると、日本政府が返還軍用地の原状回復を行う過程で、汚染をチェックする土壌調査を定める法律は1995年に返還特措法が施行されるまでなかった。返還軍用地の汚染に関する法整備は大きく立ち遅れたのだ。

表沙汰にしたくない「土壌汚染」

 「安保条約を実施するために、ある程度の国民の基本的人権の制約もやむを得ない」。1977年の参議院内閣委員会で、真田秀夫内閣法制局長官が述べた言葉である。

 こうした考え方の下、沖縄には本土復帰後も広大な米軍基地が置かれ、全国の米軍専用施設の約70%が集中している。返還軍用地の土壌調査を義務づける法律がないという法制度の不備は沖縄以外では関心を持たれず、全国的な社会問題に発展しなかった。

拡大「5.15平和とくらしを守る県民大会」に集まった参加者=2018年5月13日、沖縄県宜野湾市の宜野湾海浜公園

 沖縄県内でも、軍用地の返還は県民の悲願として伝えられ、跡地利用の側面ばかりが語られてきた。地主にとっても、返還軍用地を中心にまちづくりに取り組む自治体にとっても、「土壌汚染」は表沙汰にしたくない問題なのである。

 ある地主はこう語った。「汚染された土地が子や孫の代まで引き継がれるのは許せない、しかし、風評被害が広がり、地価が下がるのも怖い」

弱者に押しつける「汚染の責任」

 返還軍用地の土壌汚染の問題は、地主や小さな自治体の手に負える問題ではない。

 沖縄防衛局によると、土壌調査費用は19件で約9億1100万円にのぼる。2003年に返還されたキャンプ桑江では約1億3360万円。沖縄市サッカー場では3億4720万円。北部訓練場では2億5700万円だ。これらは土壌調査だけの費用で、構造物の撤去や汚染土壌の撤去などの原状回復費を合わせるとさらに莫大になるとみられる。

 一方、汚染が発覚すると、政府と地元、地主の間で、責任の所在を巡ってもめる。

拡大沖縄の米軍基地返還の前倒しで合意し握手するドーラン在日米軍司令官(左)と菅義偉官房長官(右)。中央はケネディ駐日米大使=2015年12月4日、首相官邸

 2002年、北谷町のクレー射撃場跡地の工事現場からドラム缶187本が見つかった時は、米軍が廃棄を認めなかったため、日本政府は当初、原状回復に応じなかった。結局、元軍雇用員が米国人上司の命令で廃棄したと名乗り出たため、日本政府が撤去費用を払うこととなったが、地主や自治体が返還前に汚染されていたことを立証する責任を負わされることが浮き彫りになった。

 2014年には読谷村の飛行場跡で、跡地利用に向けた土地整備事業の最中にダイオキシン汚染が発覚した。この土地は返還前から村民が自由に出入りでき、民間業者が勝手に廃材置き場にしていたため、国は責任がないと主張し、現場は今も放置されている。

 汚染の現場では、力の強い者が弱い者に責任を押し付ける。その構図は、沖縄が誰に、何を押し付けられているのかを表しているようだ。返還軍用地の土の中からも「沖縄の負担」が見えてくる。


筆者

島袋夏子

島袋夏子(しまぶくろ・なつこ) 琉球朝日放送記者

1974年沖縄県生まれ。琉球大学法文学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科修了。 山口朝日放送で約10年勤務したのち、2007年に琉球朝日放送入社。米軍基地担当などを経て、現在はニュースデスク、調査報道担当。2014年「裂かれる海~辺野古 動き出した基地建設~」で第52回ギャラクシー賞番組部門大賞、2016年「枯れ葉剤を浴びた島2~ドラム缶が語る終わらない戦争~」で日本民間放送連盟賞テレビ報道部門最優秀賞、2017年石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞公共奉仕部門奨励賞など。

島袋夏子の新着記事

もっと見る