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日大とモリカケ問題にみる、大義のための「抑圧」

市民の生活にまで染み渡っている「集団的独裁体制」

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

日大のため、組織のため、部のため拡大大学のため、部のため、という大義のもとで?=日大アメフト部の内田正人・前監督(左)と井上奨コーチの会見で

ソウルの一夕で

 「あのくらいの汚職はいくらでもある。金額もたいしたことはない。そんなに問題にするほどのことではない」と韓国の友人はニヤリとしながら語ってくれた。話題は、2016年から17年にかけての韓国のいわゆる「ろうそく革命」である。その起爆剤になった大統領の汚職についての見解である。

 「しかし、我々が本当に怒ったのは、パク・クネ大統領の女友達の父がパク家と長い交際のあるシャーマンで、かつ友人の女性もシャーマン、要するにイカサマ占い師だったことだ。占い師が裏で国政を壟断していたことに市民の怒りが爆発したのです」

 たしかに100万人近いデモが毎週金曜日に続いたのだから、議員会館や国会前に5000人集まっただけで喜んでいる日本の反対運動とはスケールが違う。

 ここで引いた「韓国の友人」とは、このあいだの定年退職まで韓国の漢陽大学の教授を務めていた社会学者全聖佑教授だ。ドイツでも広く認められているマクス・ヴェーバー研究の泰斗である。1ヶ月ほど前、ソウルでの学会の一夕の会話だが、その後この見解をソウルの多くの友人にぶつけてみたら、一様に「その通り」という答えが返ってきた。

はっきり見えてきた構造

 そうだ、これこそモリカケ問題を解くカギだ、と納得して戻ってきたら、日大の事件となった。その間には財務次官のセクハラ辞任もあった。

 この韓国の友人たちの筆法で言えばこういうことだ。「国有地払い下げの際のいい加減な査定はいくらでもある。金額もたいしたことはない。大学や学部の新設に際して、国会議員が裏で動いているあまり感心しない話はいくらでもある」。「しかし、我々が本当に怒らねばならないのは、児童に教育勅語を朗唱させ(一種の児童虐待だ)、日本会議との関係を言いふらすような学校を優遇しようと首相一家が暗々裏に関係当局に働きかけたことだ。さらには首相の長年の友人、したがって怪しげな日本中心主義にとっぷり浸かっている人物を許認可で優先するように仕向けたこと、ようするに、反民主主義的勢力に裏で便宜をはかっていることだ」となる。

 実際に衆参で700人を超える国会議員全員が、民主主義のお手本として、朝から晩まで勉強して、熟議に勤しんでいるとは、そしてその国会議員から選ばれた各省の大臣や政務官がみな、勤務時間中に怪しげな指圧マッサージなどに公用車で出かけないで、担当の分野の政策研究や立案に耽(ふけ)っているとは誰も思っていない。選挙区や業界団体からの陳情や提案を、支持と引き換えに官僚に取り次ぎ、官僚はそのなかで合法的な手続きに回せるものには知恵を貸し、無理筋のものは巧みに断ったり当分延期にしたり、次年度に希望をもたせたりするのが政治と行政の実際だろう。

 したがって、モリカケ程度の「犯罪」はいくらでもあろう。今回はあまりに目立ちすぎただけだろう。

 だが、もう一度言おう。今回の問題は、便宜を図ったこと一般ではない。シャーマンではなくとも、反民主主義勢力に便宜を図ったことが焦点なのだ。内閣のトップが反民主主義勢力を助けてこそこそと、いやときに白昼公然と働きかけ、官僚システムがその隠蔽と偽装に、そして“嘘の上塗り”の“嘘”に全面的に力を貸したことである。「日本を取り戻す」と称する反民主主義勢力が、制度を骨抜きにして、裏でよろしくやっている構造がはっきり見えてきたことである。

 官僚も、内心困ったものだと思った方々もいたかもしれないが、やってはならないことの感覚が麻痺していて、バレては困ることだけに神経が集中している。彼らの頭の中に咲いている桜の花(出世と国威発揚と省益という桜の花)がはっきり見えてきたことだ。桜のためなら見かけの合法性さえ守れば「なんでもあり」だから、なんで「やってはならない」ことなのか、理解できないようだ。かわいそうに、佐川氏の桜は散ってしまったようだが。

「日本の政府は犯罪組織?」と質問されたら…――「バレてはならない」ことと「やってはならないこと」

「組織のため」という大義

 さて、そんなことを考えながら帰国してしばらくすると日大アメフト事件が起きた。これも反民主主義的勢力の権化たちが陰に陽にうごめいていることの証左だ。日大事件とモリカケ、いや安倍事件とが似ている、同型だ、という議論はすでに出尽くしている。

 似ているのは、ひとつには、議論のすり替えだ。「私は知らない」「私は言っていない」「言ったかもしれないが、そういう意味で言ったのではない」「この言葉にはいろんな意味がある」「現場が勝手に受け取ったのだ」などなど。次官のセクハラにも似たようなやりとりと、防衛線の引き直しと退却、さらなる引き直しと撤退が繰り返されていた。ひとつひとつ思い出せば、血圧が上がりそうなので、このくらいにしておこう。

 だがもうひとつは、このずるさを成り立たせている日本の、いや我々市民も含めての日本の生活の暗部だ。 ・・・続きを読む
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筆者

三島憲一

三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

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