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この国にエリート官僚は必要か?(中)

公務員制度改革で大きく変化した、官僚をエリートたらしめてきた四つの要素

中野雅至 神戸学院大学現代社会学部教授

バブル崩壊で一変したエリート官僚の姿

 前回「この国にエリート官僚は必要か?(上)」では、官僚がエリートであることを四つの角度から検証してきた。しかし、これはあくまでバブル経済が崩壊する前までのことである。エリートは、大きな社会変動で新旧の主役が入れ替わるといわれるが、官僚についてもそれは同様である。バブルの崩壊後、エリートとしての官僚の姿もまた、一変した。

 まず、長期にわたる不況は、官僚の威信を大きく低下させた。威信がなまじ高かっただけに、官僚に対して不信感を持つと、それはより一層強くなる。その結果、見過ごされてきた不祥事や特権的な扱いに対する不満が、社会全体に蔓延(まんえん)するようになった。行財政改革の必要が叫ばれ、官僚はその渦中に巻き込まれた。

 官僚にとって、バブルの崩壊がいかに大きな社会変動となったかを具体的に現しているのが、公務員制度改革にまで行き着く行財政改革である。それまで聖域視され、大きな改革が加えられてこなかった公務員制度に、ついに改革の手が伸びたのである。結果的に、これまでみてきたような官僚をエリートたらしめてきた四つの要素にも、重大な変化が生じるにいたった。

内閣人事局の看板かけをした、(左から)加藤勝信内閣人事局長、稲田朋美内閣人事局担当大臣、安倍晋三首相、菅義偉官房長官=2014年5月30日内閣人事局の看板かけをした、(左から)加藤勝信内閣人事局長、稲田朋美内閣人事局担当大臣、安倍晋三首相、菅義偉官房長官=2014年5月30日

官邸主導構築のピークは内閣人事局の発足

 権力という側面から観察してみると、真っ先に目につくのが、政治主導体制の構築である。1990年代以降、様々な政治改革、行財政改革が進められるなか、官邸に権力が集中する体制が構築されるようになった。

 そのピークともいえるのが、第2次安倍晋三内閣における内閣人事局の発足である。同局の発足後、官僚の権力は明らかに減じている。さらに、政治に比べて劣る権力を補ってきた官僚ならではの「技能」についても、大きな変化が生じている。

 たしかに、政治主導体制と言われているにもかかわらず、官僚が優れた技能を駆使して政策形成過程を回している実態は、バブル経済崩壊の前後を通じてそれほど変化がない。政権のインフラ機能を果たしているのは依然、官僚である。

 だが、従来のように、官僚が自らの利益(省益)のために政策形成過程の黒子にあえて徹しているという感は薄くなっている。むしろ、絶大な権力を握る官邸を中心とした与党政治家のために「働かされている」という印象の方が強い。それは、官邸にマンパワーなどのエネルギーが投入されるようになっていることからもうかがえる。

 一つ事例をあげるとすると、かつて総理秘書官などは官邸を見張るために各省が送り込んだスパイのように語られることがあったが、必死で安倍総理をかばう現在の官邸スタッフをみていると、もはや省益のために官邸を見張るなどというのは遠い昔のことである。

止まらない「威信」の低下

 「威信」についてはどうだろうか。これも低下したことは言うまでもない。官僚出身の総理大臣は宮沢喜一氏以来、長らく輩出していないし、規制緩和の流れが強まるなか、官僚出身者を経営人に据えようという企業はほとんどない。さらに深刻なのは、威信の低下がこの程度で止まっていないことである。

 たとえば、辞職する官僚が年々、増えている。官僚という職業に嫌気がさして辞職している人がどれだけいるのかについて、正確な統計は存在しないが、優秀な官僚が若手を中心に中央官庁を辞しているという記事は、バブル経済の崩壊後、頻繁に見られるようになった。キャリア官僚から民間企業へと転身する人が増えたため、第2次森喜朗改造内閣で橋本龍太郎行政改革担当相(当時)が辞職者からヒアリングを行っているのは、象徴的である。

 それだけではない。優秀な学生が中央官庁に入らなくなるという事例も続出している。少し前、農水省で初めて東大卒の入省者がいなくなったことが話題となったが、財務省などの人気省庁でも同様の傾向がある。。優秀な学生が財務省を蹴って外資系企業に流れる事例も続出しており、マスコミで大きく取り扱われるケースも増えた。

「集団性」も大きく変化

 「集団性」についてはどうだろう。官僚を他のエリートと分ける大きな特徴は、出身省と同期を中心にした強い結束=集団性である。バブル経済崩壊後、この集団性にも大きな変化が生じている。

 具体的には、世論の強い批判や行政改革の結果、同期横並びで課長まで昇進するとか、昇進できない者は天下りで救われるといった、従来の雇用慣行は維持できなくなっている。また、内閣人事局の発足によって、各省ベースの自律的な人事も難しくなった。その結果、官僚の集団性は明らかに低下している。その根拠を幾つか示そう。

 第一に、処遇に不満を持つ者が現われている。天下り斡旋(あっせん)の禁止は、中高年期以降の生活設計に大きな影響を与える。当然、彼らは官庁への不信感を募らせる。同期横並びで昇進できなかったり、降格にも見える人事異動があったりすれば、それに対する不服申し立ても起きる。

 第二に、職場環境に対する不満が生じている。中央官庁の長時間残業(国会・予算・立法業務)はもともと有名だったが、プライドや利益で満たされていれば、これも悪しき伝統程度ですんだ。プライドが損なわれ、利益もなくなれば、職場への不満が増大するのは避けられない。

 ちなみに、職場環境に対する不満は、女性の官僚が増えることでより一層強くなっている。今後、霞ヶ関で相当大きな課題になると考えられる。

 第2次安倍内閣では女性の積極的な登用が目立っており、採用人数をみると平成30年度に総合職に占める女性の割合は32.5%と従来から大幅に増加している。その一方で、女性官僚には仕事と家庭の両立を求める声も強く、有志が内閣人事局長に対し、「持続可能な霞が関に向けて-子育てと向き合う女性職員の目線から」と題された提言を提出している。そこでは10個の提言が挙げられているが、長時間残業の改善とそれを生み出す法案・予算・国会待機の業務改善を求めており、働き方が抜本的に変わる可能性がある。

加藤勝信内閣人事局長(左から2人目)に、働き方改革についての提言書を手渡す霞が関の女性官僚たち=2014年6月26日、内閣府加藤勝信内閣人事局長(左から2人目)に、働き方改革についての提言書を手渡す霞が関の女性官僚たち=2014年6月26日、内閣府

官邸主導人事の確立で生じた病理的な現象

 三つ目は、官邸主導人事が確立するにつれ、官僚の間に政治を巻き込んだ昇進争いのようなものが生じるようになっている。民間企業の場合、激しい昇進レースは組織に活力をもたらすかもしれないが、政治から統制を受ける公務員の世界は、昇進レースに競争が持ち込まれることが必ずしもプラスになるとは限らない。

 なぜか?政治を巻き込んだより激しい昇進レースが展開されるようになれば、人事に大きな影響力を持つ有力な政治家に近づき出世しようと考える官僚が増加するからである。

 詳しく考察する。従来、官僚の人事は規則性が強かった。すなわち、事務次官になる者は〇局長を経験するなど、第三者にも明確な規則性があった。だが、昨今は必ずしも規則通りになっていない例が多い。政治家は必ずしも慣例を重視して人事を決定しないどころか、官僚をコントロールするために人事権を使おうとする。

 このように、人事から規則性がなくなり、政治が人事に影響を及ぼす傾向が強くなると、政治に働きかけたり、逆に政治が働きかけたりするなど、人事に党派性が持ち込まれることになる。集団性は低下し、病理的な現象も生じる。

エリートに対する許容度が高い日本

 以上、エリートを定義づける四つの観点からみた場合、官僚は明らかにエリートの地位から滑り落ちつつある。これについて社会や国民はどのように考えているのだろうか。

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