時代の転換期を表象したかのような通常国会。事件や不祥事、法律を読み解くと……
2018年07月23日
通常国会が閉会した。フルスケールとしては平成最後となるこの通常国会は、近年珍しいほどにいろいろな事件が次から次へと起こった国会であった。
年譜風に振り返ると次のようになる。
2月 裁量労働制の対象拡大部分を法案から削除決定
3月 朝日新聞、森友文書のスクープ
佐川元局長証人喚問
2019年度予算成立
4月 防衛省、不存在と答弁していた陸上自衛隊のイラク派遣の日報公表
週刊新潮福田財務事務次官セクハラ問題スクープ
5月 国民民主党成立
柳瀬元首相秘書官、参考人招致
大阪北部地震
国会における男女共同参画推進法
財務省、森友学園改竄資料の国会提出
一年半ぶりに党首討論実施
6月 成人年齢を18歳へ引き下げる改正民法成立
TPP関連法成立
働き方改革法成立
7月 西日本豪雨
赤坂自民亭SNS配信
参議院定数増の公職選挙法改正
受動喫煙対策法成立
IR法成立
次から次へと続く政権の不祥事は、その多くがマスメディアのスクープと連動、内部文書や内情が何らかの形でリークされて、政権が不安定化する状態が続いた。公文書管理問題と関わったのも特徴的である。
佐川宣寿・元財務省理財局長の証人喚問、柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人招致では、過去の発言を撤回しながらも、政権の関与を問われるときのみ、「まったくありません」とあえて「まったく」という形容句をつけて居直る姿が、上司の命令にどこまでも従う「官邸官僚」の現状を強く印象づけた。
不祥事のしんがりは、政権側のオウン・ゴールとも言える「赤坂自民亭」SNS配信問題。西日本豪雨で被害が甚大となる夜、赤坂の議員宿舎で安倍晋三首相、小野寺五典防衛大臣、上川陽子法務大臣、岸田文雄政調会長ら政権幹部がゆるんだ表情で酒を飲む姿を、出席者がこれみよがしにツイッターで発信した一件である。甚大災害に対する真剣さを疑わせる、危機管理意識の薄い政権の姿があからさまになった。
国会審議では、参議院の定数を増やす公職選挙法改正の審議に見られたような、与党の強引な運営が際立ち、与野党が合意したうえで国会審議の日程や懸案を調整するという「国対政治」はほぼ消滅した。政権の野党への答弁も、時間稼ぎに類する不必要な内容が多かった。さらに党首討論における安倍首相の対応は、質問に正面から答えるそぶりが見えず、国会審議の劣化は着実に進んでいる。
とはいえ、今後の日本社会の骨格を決めるような重要法律も、幾つか国会を通過している。
国会における男女共同参画推進法、成人年齢を18歳へ引き下げる改正民法成立、受動喫煙対策法の成立といった動きは、社会をより多様に、より健康に変化させるものである。働き方改革関連法も財界の声が強く反映されているため、長時間労働がよりひどくなることが懸念されるとはいえ、ワーク・ライフ・バランスを保つ方向へと社会が転換する最初の一歩にはなりうる。さらにTPP関連法によって、TPPを軸に日本の通商政策がより実効的なものになるであろうことを視野に入れると、今後の日本の内政・対外政策の基軸もある程度、そのかたちが見えてきた。
こうしてみると、政権の官邸主導が現場の官僚の離反を招き、「官邸と結託した各省幹部 vs 現場官僚」という構図がほぼ常態となった。
官邸は匿名の官僚の造反に、これからも絶えず怯(おび)えることになるであろう。とはいえ、国民の支持を背景にした強力なリーダーシップがリークに直面するか、これを防ぎ適切に官僚集団を統率できるか、という課題こそ、アメリカやイギリスなど政権交代ある政治システムではふつうに直面する課題である。
ときに飛び出すリークから現場の危機を防ぎ、これに適切に対処できる政権のみが、強力な長期政権となる。その点で、安倍政権は、事態を掌握し直して強力な長期政権となるか、悪しき長期政権が無残な衰退へと向かうかの、まさに岐路にさしかかりつつあると言えよう。
目を国会に転じよう。先述したように、かつて自民党長期政権のもと、硬軟自在の手法で野党を懐柔した田中派・竹下派流の「国対政治」は、いまや完全に過去のものとなったようだ。参議院定数増の公職選挙法は、比例区の枠を増やすという解決法自体がが安直であるうえ、自民党内の議論も与野党の審議時間もきわめて少ないという強引な審議により、野党の反対を押し切って成立したものである。選挙法改正という、本来、与野党合意を基調とすべき法律を、明らかに党利党略に基づき成立させたという意味で、将来に向けて悪しき先例を作ったことは拭えない。
だが、仮に現在の野党勢力が政権交代を果たし、与党となって衆参の過半数議席を押さえたとしたら、その政権もまた「数の横暴」に頼らないと言い切れるだろうか。現在の自民党の強引な国会運営は、安倍政権に特有の現象ではないのではないか。政権交代が常態化すれば、いかなる党であれ、強力な与党が選挙で継続的に勝利し続けたときは、必ずや強引に事態を進めるという誘惑に駆られるであろう。
これを制約するのは、もはや過去のように、オモテの与野党合意を演出するためにウラで取引するという「国対政治」ではないだろう。カギとなるのは、ひとつは国会の自制力であり、もうひとつは党の自制力である。
国会について言えば、政権交代の可能性がある政治システムに必要な国会とは何かが問われ、それがようやく改革課題となり始めたと言える。小泉進次郎・自民党筆頭副幹事長ら一部の超党派議員が国会改革を提唱すると、当初はこれを批判していた立憲民主党が別の国会改革案を発表したのは象徴的だ。
2018年は大型の国政選挙がない年である。すなわち、じっくりと政策構想を温めることができる年とも言える。与野党とも、次の選挙を視野に入れて政策構想を練ることになるが、どうやら、各党が制度的基盤である国会のあり方を、政党間の対立を越えて模索する年になってきたようである。
考えてみれば、国会も政党も、究極の自己改革にさらされる組織である。憲法が定める三権のうち、ほかの二権、すなわち行政府であれ、司法府であれ、国会で関連法を成立させることで改革が確定するという点で、改革を最終的に決定するのは国会だと言える。だが、国会はそうではない。
民間企業であれば、「カイゼン」を怠れば、淘汰(とうた)される。だが、国会は淘汰されるわけにはいかない。消滅しないよう、自身で改革するしかない「国権の最高機関」なのである。これまで何度も改革に失敗してきた国会がどのように自己改革へと到達するか。それが平成最後の政治の一大テーマになるであろう。
与党・自民党はいま、幹部である総裁=首相を中心とした官邸幹部の強力な統制下にある。それは1990年代の諸改革が求めた内閣強化の帰結である。そうした強力な官邸を監視する機関として、国会は「最高機関」となることが本来的に求められている。
政党の論理での官邸主導。制度の論理での国会による政権監視。このふたつの区分けをどう有効な制度に設計するか。それは、今年中に最終的な結論が出るというものではなく、今後さまざまに議論され続ける課題となるだろう。
権力監視はこれまでマスメディアの役割とされてきた。これからは国会がマスメディアと等価な機能を帯びることになる。そこで、政権、国会、マスメディアの関係がどう変わるか。さらにメディアの世界も、旧来の新聞・テレビといったマスメディアにくわえ、ネット・メディアが影響力を持つ状況になりつつある。そんななかで、さまざまな新しい事態――リークもあれば、煽動もあるであろう――が生み出されるであろうことは、ほぼ疑いのないところである。
それにしても政権の劣化は深刻である。あれほど不祥事が続いた財務省で、財務大臣がいっこうに辞任しないのには驚かされる。監督責任がある閣僚や、問題の根源である官邸官僚は責任をとらず、各省の幹部もごく一部の責任しか認めずに開き直る。公文書改ざんを悔やんだ現場職員が自殺したことに対し、リーダーが何ら責任をとる姿勢を見せない。これこそが、まさに現在の政権が抱える本質的な欠陥であろう。
裏を返せば、政権が発足して以来、主要な幹部を交代させずに選挙で勝利し続けることによって影響力を確保してきただけに、幹部を交代させることによる影響力の低下に、この政権は耐えられないのである。
安倍政権はいつまでこの体制を維持するのだろうか。仮に秋の自民党総裁選に安倍氏が勝利し、その後もこのままの体制で政権を続けるのならば、ふたつの大きな困難が待ち受けているであろう。
第一に幹部の疲弊が蓄積し、危機管理への態勢がとれなくなるだろう。西日本豪雨の際の「赤坂自民亭」問題から本部設置の遅れに至る過程は、そうした危機管理能力の劣化をあらわにした。
第2次政権発足直後のアルジェリアの日揮プラントにおけるテロ事件を皮切りに、安倍政権は警察がらみの事件や対外関係の危機については、かなり機敏に対処してきた。それに比べ、広域の自然災害など時々刻々、現場の状況が変わる事態には、そこまで機敏ではなく、むしろ鈍い対応しかできていない。
気になるのは、その後のツイッターに見られる政権の情報発信の内容である。首相官邸アカウント、経済産業省の省アカウントと大臣アカウントがその典型であったが、被災者目線が皆無であり、支援を自慢する内容ばかりが目についた。
外交案件ならば、しょせん国民は外国の事情には疎(うと)いので、国内向けに成果を自慢げに説明したとしても、当座はしのげる。だが、内政ではそれは不可能なことが、政権には理解されていない。
民主党政権下で起きた東日本大震災において、同党がマイクロマネジメントに終始したという指摘が事後、多くなされた。だが、甚大な自然災害に際し、マイクロマネジメントばかりに向かい、成果のみを発信したがるのは、自民党も民主党と変わらないことが示されつつある。
第二に、国民の視線が厳しさを増すことだ。不祥事や災害対応の不手際があっても国民はいずれは忘れると安倍政権は見ているようだが、それは甘いだろう。今国会から伺えるのは、今後も不祥事が絶えず政権に襲いかかるであろうことであり、自然災害もまたしかりである。そのたびに政権の過去の行状が引き合いにだされ、そのときどきの対応とが比較にさらされ、忘れるどころか厳しく査定されることになる。
ある意味、それは長期政権の宿命ではある。ただ、デジタルの時代になり、過去と現在とを瞬時に比較できるようになったことで、厳しさがいっそう増しているとも言える。何事であれ、責任をとる姿勢を見せ、真摯(しんし)に謝罪し、関係者には幹部から厳罰を科すという処分をとらない限り、国民が政権を許さなくなるのはほぼ間違いないであろう。
こうした脆弱さを抱えた政権と、なかなか自己改革が難しい国会とが、これからの政治の基調となっていく。野党の分裂状況も瞬時に解決されるものではないだろう。かくして遠心化する政治状況のなかでこの秋、自民党総裁選挙が行われる。ここでどの程度、首相や重要閣僚、官邸官僚の顔ぶれが変化するかが、こうした困難な政治の基調を変えられるかどうかの試金石となる。
一方、グローバルに情報が駆け巡るなか、社会の変化はますます速くなっている。今国会で成立した幾つかの法律には、そうした変化に歩調を合わせるものもある。これまでの日本は、その置かれた地理的な位置や言葉の壁から、世界の変化に半歩遅れてついていくといった変化を遂げるにとどまってきたが、それでも変化の端緒が見えてきた点で、この国会はひとつの転換点となっている。
第2次以降の安倍政権では、安保関連法制に代表される安全保障政策や危機管理、マクロ経済政策といったハイ・ポリティクスに官邸の関心が集中していた。それとは別の流れとして、社会の基底的な価値を急速に変えることなく、徐々に多様性へと変化を進めるという意味で、国際環境に適応する政治社会のある種の「型」が生まれつつあるとも言える。
留意すべきは、この「型」の基盤は、個々の政治家や政党、官僚などのエリートというよりも、市民の意見表明、世論調査、SNSやブログなどでの情報発信で形作られていくということだ。公文書管理に社会の関心が集まったのも、とりあえず政府は正確な情報を国民に伝えるべきだとする意見が、大勢を占めたからである。そんななか、旧来のメディアである新聞・雑誌・テレビが、両者をつなぐもっとも強力な制度であることは、当分は変わらない。
2018年が選挙のない年であることの意義は、そうしたもろもろの意見交換が、政党のキャンペーンに振り回されずに続くことにある。政権が疲弊しながらも持続する間に新しい胎動が生まれるとすれば、そのようなきれぎれの意見交換の中ではないだろうか。
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