制度上の政治・行政改革では不十分。「共通善」が実現される政治をどうつくるか
2018年07月24日
平成政治は改革の歴史だった。政治改革、行政改革、経済構造改革、司法改革……。さまざまな改革が試みられた。なかでも大きかったのは、統治構造の変更に挑んだ政治・行政改革だったのではないか。その結果、戦後政治をつくった自民党一党優位の55年体制は幕を閉じ、平成21(2009)年には歴史的な政権交代が実現した。ただ、その結果、日本の政治がどこまで改革されかたというと、評価はなかなか悩ましい。
1990年代はじめに自民党を離党、その後、新党さきがけを経て民主党を立ち上げ、10数年かけて政権交代を成し遂げた鳩山友紀夫・元首相(首相時の「鳩山由紀夫」から改名)は、自らがメインプレーヤーの一人として関わった平成政治をどう総括するのか。そして、ポスト平成政治に何を求めるのか――。政界を引退して5年半。今なお、政治活動を続ける元首相に、思いの丈を語っていただいた。(聞き手 WEBRONZA編集長・吉田貴文)
個人的な思い出からお話します。
今からちょうど四半世紀前の1993(平成5)年6月18日、私は自民党を離党しました。3日後、共に自民党を出た同志と10人で新党さきがけを結成し、それがその後の民主党の旗揚げ、2009年の民主党による政権交代へとつながるわけです。
実は、人生の中で一番痛快で最高にうれしかったのは、この自民党を離党した日なのです。民主党が衆院選で自民党に勝ったときでもないし、首相になったときでもありません。
私は1986年の衆院選に自民党から初当選、政治家として一歩を踏み出しました。間もなく、自民党や霞が関の空気に強い違和感を持つようになりました。
ほとんどの議員が「大臣病」にかかっていて、国民のために何をするかではなく、自分がどの大臣になるかばかり考えている。大臣になっても政策は官僚任せで、官僚の作文を読むばかり。一方、行政もいわゆる政官業の癒着構造にどっぷりと浸り、官僚は天下り先のことばかり考えている。
これではいけないと思い、自民党を変えようと提言をしましたが、派閥幹部からお叱りを受けたりして、悔しい思いを何度もしました。そんなとき、さきがけを立ち上げることになる田中秀征さん、武村正義さんから「自民党を出ないか」と誘われたんです。「出ます」と即答しました。
執行部に知られないよう準備を進め、宮澤喜一首相に対する不信任案に反対したうえで、衆院解散したのを機に、離党に踏み切りました。自民党の軛(くびき)から放たれた開放感と喜びは、ほんとうに大きかったのです。
思えば、当時のさきがけの理念や政策は、今の私の政治的な立ち位置や政策の基になっています。武村さんが唱えた「小さくともキラリと光る国」は、私が主張する「脱 大日本主義」と響き合う。安倍晋三首相が目指している大日本主義的な方向とは、真逆です。政治改革、行政改革を進めて平成の新しい日本をつくろうという方向性も、さきがけから離党してつくった民主党で引き継いだと思っています。
ただ、平成のはじめの頃、自民党を離党したときに思い描き、その後、自民党と対峙(たいじ)しながら追い求めてきた政治や行政の理想のかたちと、平成の終盤にきた現在の政治や行政のかたちとの間には、あまりにも大きな落差があるように思えてなりません。
もちろん政治家としてもろもろの改革にかかわってきた以上、政治の現状に責任があるのは当然です。たとえば選挙制度改革にしても、小選挙区制を導入して、果たしてよかったのか。行政改革においても、内閣人事局の設置に至るさまざまな改革の末、行政のあり方ははたしてよくなったのか。内心忸怩(じくじ)たる思いは拭えません。
2012年の末に政界を引退した後、私は東アジア共同体研究所を設立、年来の主張である東アジア共同体構想の実現に向け、活動を続けています。さらに、この6月には政治に倫理的正義を実現するべく、政治哲学で言う「コミュニタリアニズム」に関する勉強会も始めました。
勉強会については後で詳しく述べますが、ここで言っておきたいのは、最近になって政治や行政のさらなる改革が避けられないという思いが私の中でますます大きくなっており、それが勉強会発足の背景にあるということです。
なぜ、そんな思いを持つに至ったのか。詳しくお話します。
最近の政治について、私は強い危機感を抱いています。今の安倍晋三政権の最大の特徴は、官邸があらゆる面でトップに立ち、すべてを牛耳っていること。国会は軽視され、司法も行政の言いなり。一種の独裁国家、全体主義国家の様相を呈しています。
リーダーがほんとうに国民のために仕事をするなら、官邸主導は効率がいいでしょう。でも、安倍首相をみていると、自分自身やお友達の利益のために仕事しているのではないか、自分のやりたい政策、たとえば中身は問わない憲法改正、にだけ目が向いているのではないかと思えてなりません。首相が自分のために立法、行政、司法をコントロールしているとすれば、非常に恐ろしい。
官邸主導は民主党政権の目標でもありました。2009年に政権交代をはたし、私が首相になった際の政権構想でも「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」「各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ」を掲げました。その後、内閣人事局の設置も模索しました。
内閣人事局は結局、安倍政権で設置され、大いに効果を発揮しています。繰り返しになりますが、トップが「国民第一主義」に立てば、内閣人事局を使った官邸主導は有効でしょう。各省縦割りの弊害も防げるはずです。だが、トップが政治の私物化のためにこれを使うと、恐ろしいことになるというところまでは思いが至らなかった。
政治家とは、しばしば自分のために行動してしまう動物です。だからこそ、国民のため、無私な気持ちで仕事ができるよう、政治家を訓練する場が必要だと思います。あるいは、あくまで公を重視する人が政治家になるべきです。
官僚に公務員試験で選ばれるように、政治家もそれにふさわしい資質をもっているか、国民のために仕事ができる「道徳性」を持っているかどうかで、選ばれるべきではないでしょうか。単に選挙で勝てばいいという今のシステムでいいのかという疑問が最近、大きくなっています。
私が自民党を離党したころ、永田町では金権腐敗が深刻化し、政治改革が叫ばれていました。そこで元凶とされたのが中選挙区制です。自民党から複数の候補者が立候補するため、政策ではなく、サービス合戦になり、おカネがかかる。それが政治とカネの問題を生む。中選挙区を小選挙区制にしないといけないというのが、政治改革推進派の共通理解でした。
その発想自体は、私は間違っていたとは思いません。政権交代を起こすために小選挙区は必要です。その観点から、私は単純小選挙区を主張していました。
新党さきがけも与党として加わった細川護熙・非自民連立政権で1994年、小選挙区の特徴が色濃い小選挙区比例代表並立制が導入され、そのお陰で民主党は政権交代を実現できました。しかし、今の政治状況を見渡すと、ほんとうに小選挙区制でよかったのか、自信が持てなくなっています。
小選挙区制だと、多数の支持を得るため、どうしてもポピュリズムに陥り、自らの主張を貫くことが難しくなります。その結果、政治家が小粒になったとも言われます。全面的に賛成はしないけれど、今の政治家の質をみると、国民がそう思うのも、当たらずといえども遠からずという気はします。選挙制度自体の改革も一考の余地があるかもしれません。
ただ、それ以上に必要なのは、先述したように、政治家がふさわしい資質を備えているか、何らかのかたちで判断したり、資質を磨くトレーニングをしたりすることではないでしょうか。
イギリスでは、新人の政治家は最初、厳しい選挙区で立候補をさせられ、有権者との関係づくりをたたき込まれます。日本の場合、世襲議員はもとより、多くの議員が最初から自分に有利な選挙区を選んで立候補できます。鍛えられ方が足りません。
やはり、トレーニングシステムはなんらかの形でつくるほうがいいと思います。政党ごとにやるのも一策です。ある政党が「うちはきちんとトレーニングした人しか議員にしない」となると、その政党への信頼感は高まるでしょう。「試験」も考えられないか。官僚に公務員試験があるように、政治家にも一定の知的能力、国民のために奉仕する気持ちを判断する機会があっていいのではないでしょうか。
ここまで政治家について述べてきました。次に官僚について、見てみましょう。
内閣人事局ができてから官僚が首相官邸の顔色しか見ていないのは確かです。財務省の若手から「上司は日々、官邸のほうばかり見て仕事をしている」とこぼされたこともあります。官邸に嫌われたらクビを切られる。それゆえ、森友学園や加計学園の問題で。文書を隠蔽(いんぺい)したり、内容を改ざんしたりしたわけです。
だが、実を言うと、私が首相のときにも、同じようなことがありました。
米軍普天間飛行場の返還に伴い、その県外移設を検討するよう指示した私に、移設先は辺野古しかないということを説明する文書を、外務省は示してきました。そこには、「アメリカ軍のマニュアルにもそう明記されている」とありました。でも、実際にはアメリカ軍のマニュアルにはそんなことは書いてなかった。事実ではないのです。
辺野古以外の移設先を求める官邸の意向に逆らい、アメリカの意向を忖度(そんたく)して、事実に基づかない嘘のペーパーを出してきたのです。それにははっきりと「機密扱い」のスタンプが押してありました。後日、そのペーパーについて外務省に問い合わせると、「省内を探したのですが、見つからない。確認できません」と言われました。
森友・加計問題の際、文書について「確認できません」というセリフが官庁から出てきたとき、「同じだ」と感じました。私のときは、首相の私よりも“上位”にあるアメリカの意向に従って偽りの文書を書いた。今は安倍首相の意向をくんで文書を改ざんした。向いている先は違いますが、官僚の振るまいとしては同じです。
私は本来、政治が官僚をコントロールするべきだと思っています。大臣が官僚の作文を読むのはおかしい。官僚が思うままに政治を動かすのはおかしいのです。そこで、民主党政権では事務次官会議を廃止したり、実現は安倍政権のときになりましたが、内閣人事局を構想したりしました。
今の内閣人事局はトップの恣意(しい)的な運用が目立ち、弊害が強く出ていますが、不祥事が相次ぐ現在の官僚の窮状の原因を、それだけに求めるのは間違いです。政治家同様、よりふさわしい人が官僚になるような、これまでとは次元の違う改革こそが求められます。たとえば、官邸に何を言われても、官僚としての矜持(きょうじ)を守るという倫理観、道徳観を持ち合わせた人間でないと官僚にはなれないという基準も必要ではないでしょうか。
1990年代から追求してきた制度上の政治改革、行政改革をさらに高度にした、人間の本性とか質といった面での政治改革、行政改革をどうおこなうか。具体的にどうするかは非常に難しいですが、挑戦しなければいけない時機に来ています。では、どこから手をつければいいのでしょうか。
先述したように、私は6月4日に「友愛政治とコミュニタリアニズム研究会」を始めました。コミュニティーの中で一人ひとりがどう協力しあい、よりよい生活、「共通善」を求めて行動いくかを考えていますが、これは自分のことばかり考える安倍政治への大きなアンチテーゼになると思っています。
私が理想とするのは、コミュニティーの中での倫理性、道義性、共通善が実現される政治、行政です。そのためには、有権者一人ひとりの意識も変わらないといけない。みなが倫理性や道義性のある政治家や官僚をつくらないといけないという意識を、いかにして持つかが大事です。
来年4月末に終わる平成の後、どんな日本をつくるのか。平成政治に責任をもつ者として、平成の改革を超える政治改革、行政改革について考え、挑み続けたいと思っています。
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