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金日成主義と近代天皇制(韓国語版も)

北朝鮮の宗教的カリスマは「超宗教」の段階に入った。戦前の日本と類似する

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

*この記事は筆者が日本語と韓国語で執筆しました。韓国語版(한국어판)でもご覧ください。

北朝鮮と国境を接する中国側で売られていた金正恩のバッジ(右)。左は故金日成のバッジ

オウム真理教は政治目標を掲げていた

 2018年夏、「オウム真理教」の元教祖をはじめ主要な幹部信者たち、特に「地下鉄サリン事件」(1995年3月20日午前8時頃、オム真理教が東京中心部の地下鉄でサリンを散布して、市民と駅員ら13人が死亡、約6,300人が重軽傷を負った大きな宗教テロ事件)に関与して死刑判決が確定した者に対する刑が執行された。

 これによりこの事件に対する法的処理や政府の行政的課題は終了したかようにみえる。じつに事件から23年もかかってのことである。しかし、犠牲者の遺族や負傷した人々のなかで、精神的なトラウマに悩まされている人々の苦痛はいまなお進行形である。

 「オウム真理教」は近年、名称のみを変更し、いくつかに分派して、一部の継承者によって布教を継続していると伝えられている。すでによく知られている事実であるが、「オウム真理教」が引き起こした衝撃的な一連の社会的事件は、怪しげな宗教集団による政治指向の過程で発生した。彼らは宗教集団として出発したが、やがて無謀にも終末論的革命組織という政治的目標を掲げたのである。

洪秀全の「太平天国」も宗教から始まった

 中国清末期の洪秀全(コウシュウゼン)は、いわゆる「黙示」を受けたとして宗教団体を組織し、「太平天国」運動を展開した。そのモデルはキリスト教の「地上天国説」であったが、それはすぐに過激な政治運動へと移行した。洪秀全を「天王」として擁立し、清の軍隊と衝突したのである。

 一時期は大きな勢力を形成して、南京(彼らは「天京」と呼ぶ)を「太平天国」の都に定め、拠点を拡大した。そして差別撤廃、平等世界の創成を掲げて、多数の民衆、なかんずく女性の支持を受けた。宗教的カリスマと理想的な政治理念の合一は、当時の中国社会に大きな衝撃を与えたところである。

 しかしやがて清政府は戦陣を整えて応戦し、また「太平天国」の内部分裂もあって、凋落をむかえることとなる。洪秀全の死後、彼の後継者たちも逮捕されるか戦死した。1864年、「太平天国」の都南京が陥落して、この運動は終息をむかえる。

歴史上の宗教は政治指向的である

 日本の植民地統治末期の朝鮮半島、1944年4月朴東基(バクドンキ)はキリスト教系の新興宗教である「シオン山聖逸帝国」(シオンサンソンイルジェコク)を創設した。

 長老会の伝道師として活動していた彼は、神社参拝反対に際して警察からの受難にあい、山中に逃避していわゆる「黙示」を受けたと陳述した。彼の新興宗教団体は、日本の敗戦、連合軍の勝利を喧伝し、朝鮮半島の独立闘争を宣言した。そして「シオン山帝国憲法」を宣布して、宗派の組織内に政府組織を構成し、独自の年号も作ったが、敗戦直前の1945年5月、朴東基と信徒33人は朝鮮総督府の警察に逮捕され、団体も解散させられた。

 8.15以後に宗教団体は再建されたが、韓国政府とのあいだで、国旗拝礼の拒否などの問題でまた軋轢を生むこととなる。

 上記の歴史的事例は、宗教が明瞭に政治指向を示したケースである。

 しかしこれは、東アジアにおいて事件化したいくつかの事例にすぎない。歴史上存在した宗教は、現在ある大部分の宗教もふくめてすべからく、どんなかたちであれ、政治に影響力を行使するか、関与することについて「慣性」とでもいうべき欲望を持っている。それが世界宗教か、はたまた地域中心の土着的群小宗教かで、大した差はないと思われる。

 ただ、特別に来世指向が強かったり、彼岸的な神秘主義を指向したりする一部の求道的あるいは小乗的な宗教は例外とすることができるが、ともあれ大部分の歴史上の宗教は政治指向的である。

 このような面からみると、近代国家成立の一つの要件とされる「政教分離」は、国家権力から宗教的な良心の自由を守るという本来の目的が主たるものではあるものの、その一方で、無分別な宗教集団が政治勢力化することを防御する意図も併せもっているとみられる。

昭和天皇の靖国神社行幸= 1938年10月19日

近代天皇制は「超宗教」だった

 ここまで、宗教の政治勢力化の現状や、宗教集団の政治指向の事例研究を記述したが、ここであらためて全体的に再言しなければならないことは、やはり政治における宗教的カリスマ利用の問題であろう。

 日本の近代国家形成史において、「近代天皇制イデオロギー」は「超宗教」として規定された。すなわち、天皇制国家の政治的カリスマは明確に宗教的な特徴を標榜していたにもかかわらず、それは他の宗教的カリスマと衝突するレベルのものではないというのだ。「天皇の権威」と「国家神道」はすべての宗教の権威の上に位置することで、一般的な宗教的良心に抵触、侵害することはないというレトリックである。

 このような論理は、神社参拝が奨励、強制された時代には、「神社非宗教論」として展開されて、クリスチャンをはじめ宗教的信念を強く持つ人々の反対を説得する主たる論理になったのである。

 くりかえせばそれは、天皇の臣民である日本国民がたとえ個人的にどのような宗教信仰を持っていようとも、「超宗教」ともいうべき「天皇崇拝」と「国家神道」はその信仰内容と衝突したり、背馳したりすることにはならないという理屈である。宗教と宗教の間には互いに対立も衝突もあり得るが、「超宗教」と「宗教」の関係は垂直方向に置かれるため、衝突を招く理由がないというのである。

 このような宗教と政治的カリスマの関係の再生産は、ファシズムのクライマックス時代の日本政治に独特なケースとしてもう一度その特徴を検討する必要がある。すなわち通常の場合には、最高の政治的カリスマを宗教的な次元まで昇華させるのが一般的である。「政治の宗教化」や「政治指導者の神格化」のような概念がおおよそこれにあたるといえる。

 しかしこの時代の日本の政治的カリスマは、宗教的次元をさえ乗り越えて、「超宗教」の高みにまで引き上げられるのである。

 そうして「超宗教」の位置にある政治的カリスマに、すべての宗教権威は服属、隷属させられることになる。当時の日本キリスト教界における「日本的キリスト教」や「日本の神学」に与えられた諸課題は、「キリスト教」を「天皇制イデオロギー」に円満に隷属させることを目標とするものであったともいえよう。もちろんそこに少数の反対意見は存在したにせよ、である。

朝鮮労働党創建60周年を記念し平壌のメーデースタジアムで開かれたマスゲーム・芸術公演「アリラン」。人文字で「アリラン」とある=2005年9月30日、東亜日報提供

北朝鮮の主体思想も「超宗教」である

 さて、政治と宗教的カリスマの関連は、近代史の中の日本、現在の北朝鮮だけにみられるものではない。

 多数の原理主義イスラム圏の国家をはじめ、今現在も政治と宗教が不可分の関係にあるケースはいくらでもある。すでに言及したように、憲法や法律をもって「政教分離」の原則を規定する多数の近代国家においても、じつは複雑なかたちで宗教と政治は関連しながら相互に影響力を行使しあっている。

 しかしながら、それにもかかわらず、北朝鮮政治の「宗教的カリスマ」の特徴は明らかである。

 北朝鮮の政治、経済、社会、文化のすべての面において、「金日成主義」ともいってよい「主体思想」がその基軸になっていることはいうまでもない。

 結局のところ、「主体思想」は統治理念から出発したものだが、現在ではすでに北朝鮮現代史の基底思想の地位にまで拡大されて、社会の究極的なバロメーター(指標)になっている。それは比較するに、近代以後の日本に成立した「近代天皇制イデオロギー」の実現、実行のプロセスと類質な様相をみせている。

 たとえば北朝鮮の宗教として歴史的な権威をもち、他の宗教よりも信仰的アイデンティティーが強固で、排他的であるとされるキリスト教においてすら、「主体的キリスト教」という言葉を発見できるほどである。言い換えれば、北朝鮮のキリスト教にとって神学的に重大な課題は、「主体的キリスト教」の成立、ありていにいえば、キリスト教を「主体思想」の下に円満に隷属させることにあるともいえよう。

 このような側面を考慮するなら、明確な用語をもって規定することはできないまでも、北朝鮮の宗教的なカリスマはすでに実質的に「超宗教」の段階に進んでいるといってよいのかもしれない。

 いずれにせよ、北朝鮮の政治特性を客観的に把握することは、南北の和解や東アジア地域の平和構築のために必要とされる課題であろうと思われる。

*この記事は「金正恩の宗教的カリスマ」の続編です。あわせてご覧ください。