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平野啓一郎から、リベラルメディアへ

未来は不確定で将来不安は膨らむ。保守化する社会へ向けて、何をどう発信するのか。

WEBRONZA編集部

*この記事は8月21日付朝日新聞オピニオン面に掲載された小説家の平野啓一郎さんのインタビュー記事「妙な両論併記は幻滅招く」の詳報です。

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう) 小説家。1975年生まれ。京大在学中に「日蝕」で芥川賞。近著に「マチネの終わりに」。9月28日刊行の「ある男」を「文学界」に発表し、ウェブでも先行公開中。ツイッターで政治的発信もしている。

未来の見えない時代

 今の日本社会の根幹にあるのは将来不安です。

 先行きが明るくないことを、ほとんどの人が感じている。東京五輪への期待だけでなんとかやっていますが、その後は心許ない。自然災害は不安だし、グローバル経済にどう巻き込まれていくかも心配です。

 何しろ、テクノロジーの進化が速すぎて、予測がつかない。それは必ずしも悪いことではないはずだけど、わからないというのが不安になっています。AIで仕事がなくなるというのは、その典型でしょう。どんなイノベーションが起きて生活がどう変わるのか、誰もわかりません。

 2008年ごろ、いまの時代を正確に予言できた人はいません。2000年ごろに携帯電話がここまで進化することは誰も予測できませんでした。10年後、20年後の未来は不確定です。

 私たちはそういう時代を生きています。

 ひとつの職業についたら一生安泰というモデルは崩れました。副業も含めていろんなことをしながら、今はこれがうまくいっている、うまくいかなくなったら他のことをいろいろやって食いつないでいくというように、自分自身を複数のプロジェクトにして同時進行にしていく形でしか、人生のリスクヘッジはできないでしょう。

保守化する社会

 同じことは企業にも言えるのではないでしょうか。

 中央集権化して、国家や企業が巨額の資本を集めて大きな事業を担ってきたのが近代以降の歩みでした。必然的に参入障壁は高くなります。その象徴が原発です。

 しかし、インターネットの登場で、社会自体に大きなパラダイムシフトが起きました。分散化、ネットワーク化がシステムの中心になり、「チープ革命」によって、いろんな人がプロジェクトに参入し、競争による技術革新と更なるコストダウンが進む。その典型が再生エネルギーの目覚ましい発展でしょう。

 未来予測が難しいという意味では、企業も個人と同じで、いろんなことをやってバランスをとっていくしかない。何がどう役に立つのかは分からないのですから。しかし、株式会社として短期利益を求められ、「選択と集中」が過度に進められると、それができない。

 新しいことを始めるにあたり、社内で了承をとりつけるためデータ主義的になると、保守的になりがちなんじゃないでしょうか。確かな前例的な数字の根拠がなければみんな信じてくれない。余裕がある時代は「まずはやってみよう」となったけれども、今はそのようなリスクがとれない。結局は「今までうまくできたからこれからも続けていきましょう」となってしまう。自分が知っている出版業界を見ていても、思うところは多々あります。

 現政権の原発も続けましょう、リニアもやりましょう、という政策は、時代に逆行しているようにしか見えません。

 社会は政治的にも経済的にも保守化しています。過去の成功へのノスタルジーも強い。企業も内部留保は増えているが、実際、何に投資していいのかわからなくなっているところもあるんでしょう。日本という国が、今後、何で食っていくつもりなのか、成長戦略も見えないので、ヴィジョンを抱けません。それでも、幾つかのベンチャーが元気なのには希望を感じますが。

アベノミクスは将来不安を解消しない

 僕は経済の専門家ではないですが、成長戦略がないまま、金融緩和をいくら続けても、将来が見通せない以上、個人消費は伸びないだろうと思っています。インフレを見越して慌てて買い物をしている人が、身の回りで誰かいるんでしょうか?

 たとえインフレになって自分の持っているお金の価値が減るとわかっていても、多くの人はお金を使えないのです。原資が減るとわかっていても、将来が不安だから、お金を貯めておくしかない。仕事がいつまであるのかわからないし、自然災害の懸念もある。

 大体、2%の物価上昇自体がいつまで経っても夢のまた夢なんですから、信じてお金を使えという方が無理です。だったら、株で増やそうとか、そういう発想じゃないですか?

 それに、テクノロジーの進化が速すぎます。後で買うほど、格段にいいものが手に入るから、いま使っているものをなるべく長持ちさせて、本当にダメになった時に最新のものを買うというのが、すっかり習慣化している。インフレになるとわかっていても、3年後の最新のiPhoneや自動運転の車は今は買えません。単価も高いし、コロコロ買い換えるわけにもいかない。

 それに、国民が労働者としてこき使われるばかりで、消費者としての健全化が図られていません。収入が増えず、自由な時間がなくて、どうやって消費するんでしょうか。

両論併記は共感してくれていた人を失う

 1994年に大学に入り、本格的に小説を書き始めました。ほどなく文献を調べるのにインターネットが便利だと気がつきました。今では情報収集に不可欠です。感度の良い人をフォローすれば的確な情報を効率よく集められる。

 僕もツイッターで政治的意見を表明しています。小説は10万部でベストセラーの世界。日本の人口の0・1%が読んでくれたらベストセラーなのです。99・9%の人にそっぽ向かれても構わないんだと思うと気が楽です。

 読者には自分がうまく言えないことを説得力のあるかたちで言って欲しいという気持ちがある。新聞社はどういう読者に支えられているかをもっと意識すべきだと思います。

 関東大震災時の朝鮮人虐殺について、朝日新聞が「朝鮮人らが殺害される事件が起きたとされる」という書き方をしましたが、僕も含めて歴史修正主義に反対の多くの人が反発しました。朝鮮人虐殺は歴史的事実だからです。僕が同様のツイートをすれば炎上するでしょう。僕の主張に普段、賛同している人は幻滅します。

 言論人はここぞという時には、その思想を明確に示さなければならない。そこで妙な両論併記になると、共感していた人たちも離れていく。

主張が弱いと内省するより技術力を磨く

 モリカケ問題や災害対応、人権軽視発言など現政権は多くの問題を抱えていますが、何があっても不問に付し、批判の声に反発するのは、政治的支持者というより、首相個人の「ファン」でしょう。

 ネット時代のビジネスではファン・コミュニティーの形成が重視されつつありますが、ある意味現政権はそれに成功している。自民党ネットサポーターズクラブなど早くからの取り組みが功を奏しています。その活動の実態と責任の所在は曖昧にされていますが。

 リベラルメディアの自信喪失は、やや過剰な印象です。ネット上の炎上はごく一部の人に引き起こされるメカニズムが解明されてきましたが、過大評価してすぐに謝ったり、両論併記したりすることがありました。

 自分たちの主張を反省するのも大事ですが、技術的な拡散力の向上をもっと真剣に考えるべきでしょう。新聞社や出版社の人と話していると、ウェブ周りの話が何周も周回遅れだと感じることが多々あります。

長いスパンで読者との関係を築く

 炎上商法などで、短期的にネットを席巻する人なりメディアなりはありますが、中長期的にそのやり方が続くとは思えません。そんなに年がら年中、炎上ネタがあるわけでもないでしょうから、必然的にどんどんおかしな話になっていくでしょう。それでも、メルマガなど、閉ざされたコミュニティに読者を囲い込んでいく、というのは、一つの方法でしょうが。

 新聞は長いスパンで読者とのオープンな信頼関係を築くべきです。新聞社同士が、報道の真偽や社説を巡って、もっと批判し合ってもいいんじゃないでしょうか。今は、SNS上で、それぞれの読者が引用しつつそれをやっていますが、各社が進んでやれば、社説なんかは、もっとSNSで引用されるでしょう。

 その一方で、僕がものすごく違和感を感じるのは、東京新聞の望月衣塑子記者が質問して、

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