メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

もとの濁り恋しき習近平崇拝

内政の危機を乗り切った習氏。それでも個人崇拝への警戒感はくすぶる

古谷浩一 朝日新聞論説委員(前中国総局長)

中国の習近平国家主席

習氏、内政危機を乗り切る

 どうやら中国の習近平国家主席は、伝えられていた内政の危機を、とりあえずは無事に乗り切ったようだ。

 筆者がWEBRONZAで『「習近平降ろし」は本当か?』と報じてから約1カ月。8月半ば以降に立て続けに開かれた中国共産党の重要会議で、これを仕切る習氏の健在ぶりが中国主要メディアで大々的に報じられている。8月上旬から党指導部や長老らが集まって開いた北戴河会議で、習氏は最高指導者としての権力の座をしっかりと守り切ったということらしい。 

 中国の友人は「中国共産党にとって、この内憂外患の時代に習氏に代わる権威はないということで、党長老も含め、習氏への支持が改めて確認された。ただし、厳しい批判を受けたので、習氏の個人崇拝の動きは今後、トーンダウンするだろう」と解説する。

 なるほど。結局のところ、党内の結束と安定が最優先されたということか。

 しかし、そうだとすると、今回の中国内政の「2018夏の陣」とも言えるような不穏な動きはいったい何だったのか。

メディア管理のトップ更迭

 振り返ってみれば、最初に異変が伝えられたのは7月だった。習氏のポスターに黒ずみをかける若い女性の動画がインターネット上に流れたり、人民日報の1面から習氏の名前が消えたりするなど、習氏の個人崇拝に対する批判とみられる異例の動きが相次いで明らかになった。

 習氏は3月に憲法を改正し、国家主席職の任期を撤廃するという政治的な剛腕ぶりを見せつけたばかりだった。国家主席の終身制に道を開き、ますます党内の権力掌握を万全に進めているとみられていただけに、習氏批判が表面化したこと自体が、内外で驚きをもって受け止められたのは当然のことだった。

「宣伝思想工作に関する党中央の決定は完全に正しく、宣伝思想戦線の広範な幹部は完全に信頼に値する」

 8月21~22日に北京で開かれた全国宣伝思想工作会議で、習氏はそう強調した。わざわざ宣伝工作の正しさや幹部への信頼を口にするのは、逆にそれを揺るがしかねない状況がこの間、生じていたことを示唆させるものだ。

 宣伝部門を統括する政治局常務委員、王滬寧氏もこの会議で司会役を務め、健在ぶりをアピールしたものの、一時は失脚説が流れていた。

 一方で、中国政府のなかでメディア管理などを担う国務院新聞弁公室の蔣建国氏が7月にトップの主任職(閣僚級)から外れたのは、やはり更迭だったとの説が根強くある。蔣氏はその党のポジションである中央宣伝部副部長の職は維持しているので、完全な失脚とまでは言えないが、中国の国内メディアが習氏の個人崇拝を助長する宣伝をしたことに批判が出ていたため、この責任をとらされたようだという。

 また、中国の国内メディアをめぐっては、中央テレビが制作した「すごいぞ、我が国」などといった中国の発展ぶりをあまりにも自画自賛するような番組や報道が、中国の台頭に対する米国内の警戒感を刺激してしまい、米中貿易戦に悪影響を及ぼしたとの批判が強く出ていた。蔣氏の親族の腐敗疑惑が関係したとの情報もある。

江沢民時代が懐かしい

「北戴河会議」会場とみられる海辺の施設。ここに中国共産党の指導者や長老が集まる=2018年8月3日、河北省北戴河
 習氏は今回の事態を通じて、権力基盤をより確かなものにしたのか。それとも、大きな打撃を受け、政治的に後退したのか。

 はっきりしたことは分からないが、習氏に対する不満を生じさせた根本的な問題は何も解決されていない。案外、批判の声は今後もくすぶり続けるのではないか……。

 そんなことを考えていたら、さっそく日中関係に詳しい友人から、はるか昔に学校で習った江戸時代の狂歌がメールで送られてきた。

 白河の 清きに魚も 住みかねて
 もとの濁りの 田沼恋しき

 松平定信の寛政の改革は厳しすぎて暮らしにくく、汚職が横行した田沼意次時代の方がよかった、との意味だが、示唆されているのは、習氏の反腐敗政策での引き締めは厳しすぎて、かつての江沢民・元国家主席らの時代が懐かしいということらしい。

 一時は誰もが口をつぐんだ習氏批判が復活し、どうやらそれはまだ止まっていないようだ。

個人崇拝への根強い警戒感

 文化大革命さなかの1970年、毛沢東は、自らへの個人崇拝の動きについて、米国人ジャーナリストのエドガー・スノーのインタビューに対して、こう語っている。

「最近数年間は個人崇拝の必要がいくらかあったものの、今日ではもうそんな必要はなく、熱を冷さまさなければならない」

 文化大革命で、紅衛兵らは毛沢東語録を手に各地で幹部をつるし上げ、多数の死傷者を出すなど、中国社会を大混乱に陥れた。毛沢東はこうした行きすぎた個人崇拝を素直に認めたうえで「(中国)3千年にわたる皇帝崇拝の習慣を打ち破ることはなかなか大変だ」と語った。

 そして、さらに、こんな言い訳もしている。

・・・ログインして読む
(残り:約348文字/本文:約2396文字)